51a 我想[宗教について]
 
[一神教は何故生まれたのか]              H13.01.28  H13.01.30
 聖書の物語は、財産も、働こうとする意志も、正義と云う道徳の価値観も、太陽の恵
みも、故郷も、総てのものを失ってしまった「無」の状態から生まれました。豊かな農
耕者カインは、引き続いた不作のため、一転して弟殺しの罪と、神の「しるし」のみを
背負って、放浪者となりました。しかし放浪者は、唯一の神と契約し、それを忠実に履
行することによって、神の救済が得られるとの希望を確信しました。唯一の神を信ずる
ことによって、この現実の困難な境遇が、栄光ある世界へ到達すると考えました。
 このことは、多神教に由来する仏教が、この世にある、総てのものを持ち合わせた環
境の中から生まれたものとは、全く対照的です。仏教は、あり余る財産や物質、そして
欲望から解放されて、無欲で純粋な心を持つことで人間の真の幸福が得られる、との思
想です。
 
 聖書は、総てが失われた皆無の世界において、如何に生きて行くかを説いています。
そこには、太陽の恵みに感謝することではなく、旱魃をもたらす太陽は寧ろ人々の敵と
して扱うことで、物語が展開して行きます。聖書は、誠に厳しい環境の下に生まれまし
た。そのため、人間の些細な、一つ一つの行動を積極的に積み重ねることによって、生
きる環境が次第に充実して行き、人々、即ち民族も次第に繁栄して行きました。このよ
うな一つ一つの行動は、神の思うことと合致することとなりました。換言すれば、神の
意志に沿う行動を執ることは、即ち人間の生き甲斐に繋がるのです。
 
 一神教であるキリスト教などは、このような厳しい「無」の環境から発生しましたの
で、一つ一つの行動が最重要視されます。最も省力的且つ合理的な方法を見出すこと、
即ち生きるための法、生きようとする術、例えば一頭の、この羊の餌を何処で確保する
かと云うことを見出すことは、自分にとっても、また一族にとっても最も重要なことで
あり、神の意にも適うことなのです。従って、そのような思想的基盤に立って、公式(
例えば1+1=2)を発見することは、極めて意義あるものなのです。このような公式
は、総ての生産の基礎として、生産活動を支配します。また、公式の意味する理論の数
々を順次構築して行くことによって、総てのもの、そして如何なるものも、その創造が
可能となるのです。即ち、既存の世界秩序を超越して、総てのものの創成が可能になる、
と考えるようになりました。神は唯一絶対なものであり、神と、それに対面する自己以
外の総てののものは、あくまでも二義的なものとして扱われます。即ち、神のためにな
すことと、新しい公式や理論を順次見出して構築して行くこととは、全く同一視され得
るものです。
 共産主義に拠る国家建設の理論は、このような考え方によって生まれ出たのではない
でしょうか。
 
 このように考えますと、唯一神を信ずる自己及び信者以外のものは、総てその存在意
義が否定されることになります。或いは、その存在意義の変更を誘発することになりま
す。そして、唯一神とその信者による、新しい世界が創世されて行くことを意味します。
 
[仏教思想による国造り]                H13.01.28  H13.01.29
 仏教の思想は、来世へ至るための生き方を基本としています。従って、その世界観は
現実を重視しません。現実の日々の生活は、来世に至るための「仮の生活」であるとし
ています。ですから仏教では、人々が生きるために力を合わせて生産しようとか、新し
い社会を創造しようする考えが、他の宗教に比べて希薄であると思います。仏教では、
どうしても現実から逃避しようと云う考えが優先しているように思います。
 
 このことは、仏教が発生した当時のインドの人々の生き方と、創始者釈尊の生い立ち
にあります。当時インドでは、生活基盤を子弟に譲った中高年夫婦は、家を出て山で暮
らしたり、方々を遊行する習わしでした。家を出た遊行者たちは、自由な立場で人生論
を展開していました。裕福に育った釈尊も、この習わしに沿って出家しました。教団を
維持するとしても、実家が裕福である故、「労働生産」することはさして重要ではなか
ったのではないかと思います。ですから、新しい思想による、新しい真の社会造りを目
指したとしても、自助努力による自給自足の考えが十分でなかったものと思います。
 
 歴史上の仏教国家の基盤が脆弱であったのも、釈尊の生い立ちが深く関係していると
思います。仏教が如何に優れた思想を内在していても、それが生活基盤の上に築かれて
いないとしますと、期待する効果は得られないのではないか、と思われて仕方がありま
せん。
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