51 我想[宗教について]
 
[初めに]                             H13.01.28
 本稿の「我想ワガオモウ」とは、SYSOPである私自身の考えていること、思っていること、
意識していること、などを文章にして表したものです。つまり「私の思っているいろい
ろな事柄のうち、特に気にかかっていること」と云うことです。
 「哲学のすすめ」(前掲)をこのBBS(ホームページ)においてご紹介するに当たっ
て、次第次第に、自らの「人生観」と申しましょうか、「世界観」と申しましょうか、
そのようなことを発言することは、決して無意味なことではないのではないかと、考え
るようになったからです。つきましては、この「我想」をご覧の折は、恐縮ですが皆様
の貴重な助言や感想をお知らせいただければ幸甚です。
 
 本稿は最初に「宗教について」と題して、「哲学」の分野からは次第に疎遠にされつ
つあるのではないか、と問題視される「宗教」について、考えて見たいと思います。
 本稿の文中、「?」のある文節は、SYSOPが同調したり、受け入れたりすることを躊躇
する文節です。
 本稿は、不定期に、随時データを蓄積して参りたいと考えております。
 なお、項目行の右端の数値は、データを登載、又は更新した年月日を表します。
 
[宗教の類型]                            H13.01.28
 宗教の分類の仕方としては普通、多神教と一神教とか、有神的宗教と無神的宗教とか、
民族宗教と世界宗教などがあります。この分類について、自由国民社『現代用語の基礎
知識2001』を参考にして説明しますと、次のようになります。
 
(1)多神教・一神教とは
 宗教を分類しようとしたときにまず試みられたのは、崇拝対象の神のあり方や数によ
る分類でした。精霊崇拝、デーモン崇拝、多神教、単一神教、交代神教、唯一神教など
がそれです。なお、単一神教とは古代ギリシャのように多神の中に最高神が存在するも
の、交代神教とは古代インドの「ヴェーダ」の神神のように最高神が場合によって交代
するもの、唯一神教とはキリスト教やイスラム教など、をそれぞれ云います。
 通常多神教とは、東洋では、インドのヒンズー教、中国の道教、わが国の神社神道(
以下、本稿においては単に「神道」と云います。)などを云います。ヒンズー教から派
生した仏教もこの範疇に入ります。
 一方一神教とは、聖書(旧約聖書のこと。以下同じ。)に基づくユダヤ教、キリスト
教、イスラム教などを云います。
 
(2) 有神的宗教・無神的宗教とは
 前述のようなキリスト教の神観念を背景にして立てられた分類に対して、神を立てな
い宗教が存在します。前者を有神的宗教と呼び、後者を無神的宗教と呼びます。
 無神的宗教の事例としては、非人格的な不思議な力の作用として把握される原始宗教
におけるマナイズムとか、人間が聖なる法を悟り正しい道の修行を通じて解脱ゲダツする
ことを述べた仏教などがあります。ほかに無神的宗教の範疇に入れることの出来るもの
に、ヒューマニズムの宗教があります。例えばプラグマティズムの哲学者J.デューイや
新フロイト学派のE.フロムは、人間主義や人類愛など普遍的理想に目覚めて献身的に生
きる姿は宗教的である、と言います。
 
(3) 民族宗教・世界宗教とは
 民族宗教には、神道、ユダヤ教、ヒンズー教などがあります。民族宗教は、特定の民
族と結び付いて存在し、民族の地縁血縁に基礎を置く共同体の上に成立しており、共同
体の現世における繁栄を志します。多くの場合自然に発生し、教団組織や祭祀集団を持
ちません。
 世界宗教とは、特定の民族、言語、社会、性、階層を超越し、個人としての人間に救
済をもたらします。宗教的価値を世俗的価値に優先させ、その意味において現世拒否的
性格を持ちます。代表的な宗教は仏教、キリスト教、イスラム教であり、これらは民族
宗教とは異なり、教祖が存在し教団組織を形成しています。即ち、世界各地の宗教の中
で、人種や国境、民族や文化など違いを越えて個人個人に信仰される宗教が「世界宗教
」です。
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