06a 哲学・思想序曲[記号と記号学をめぐって]
 
△相互テクスト性 intertextualite
 相互テクスト性とは、ブルガリア生まれでフランスで活躍しているクリステヴァが、
ロシアの文学理論家バフチンの考え方を導入して作り上げたテクストについての理論で
す。総てのテクストは、既に存在している他のテクストを引用してモザイク状に構成し
たものであり、従って、一つのテクストはその中に含まれている様々なテクストの相互
的な関係によって成立すると云う考え方です。相互テクスト性と云う考え方は、異質な
要素を組み合わせて一つの作品を作るポスト・モダニズムの方法と深い関係があります。
 
△対話性 dialogism
 対話性は、ロシアの文芸理論家ミハイル・バフチンの考え方の基本にあるもので、叙
事詩がモノローグ(単声言語)で出来ているのに対し、近代の長編小説は、ポリフォニ
ー(多声)としてなり、そこに対話性があるとします。即ち、近代のロマンは、既に存
在している他のテクストを引用することによって構成されます。一つのテクストの中に
別のテクストが含まれていると云うこの対話性の原理は、いわばポスト構造主義の思想
を先取りしたものです。また、精神分析の領域で、ジャック・ラカンがフロイトの説を
読み直しながら構想した、「総ての言語は他者の言語である」と云う考え方にも対応し
ています。ただしバフチンの言う対話は必ず異質のもの相互の対話でなくてはならない
し、対話の結果として何かが融合して成立する弁証法とは異なります。寧ろ弁証法とは
対立する概念であり、対立関係が解消されないものです。
 
△他者性 fremdheit
 他者性とは、自分にとって他人である人間、異質なものを特に意識することです。例
えば、日本人にとって外国人は元々他者ですが、通常はそのことを意識しません。とこ
ろが、外国に行ったときなどに、急に外国人が外国人として意識されることがあります。
そのときに「他者性」が成立すると考えることが出来ます。他者性は、フーコー、デリ
ダ、ボードリヤードなどによって概念化されたものです。西欧人が現在「他者性」と云
うときには、まず最初に彼等にとってのイスラム世界の人たちの他者性が問題にされま
す。しかし、他者性の問題はそれに限定されるものではなく、主体と他者をどのように
関係させるかと云う、現代思想の重要な論点の一つになりつつあります。他者性は同一
性に対立する概念であるように見えますが、同一性は実は他者性と自己との融合のプロ
セスです。
 
△デノテーション denotation/コノテーション connotation
 デノテーション/コノテーションは「明示・共示」と訳されます。デノテーションは
言語記号(言葉)の文字通りの意味であり、コノテーションはその言語記号に含まれて
いる、もっと広い意味のことで、「伴示」と訳されることもあります。例えば、「鍵」
と云う言葉のデノテーションは、「錠の穴の中に入れて、それを開閉するもの」である
が、コノテーションは、「問題の解決にとって重要なもの」です。記号論の立場では、
コノテーションが重視されます。それは、コノテーションによって、言葉の多義性が発
生するからです。
 
△メタ言語 meta language
 メタ言語とは、言語論・論理学の用語で、言語を対象にして論じる言語のことを云い
ます。つまり、考察される対象となる言語と、考察する側の言語とはクラス(段階)が
異なるものと考えて、後者をメタ言語と名付けています。これとの類推で、様々な領域
で「メタ・・・・」と云うことがあります。例えば、「メタ小説」と云うときは、小説を対
象化して書かれた小説のことです。メタ小説やメタ文学は方法としては、過去の作品を
引用したり、パロディ化して用います。同じように、「メタ歴史」「メタ哲学」も成立
し得ます。換言しますと、このようなメタ的なものは、総て批判です。
 
△コード code
 コードは、言語学・記号論の用語としては、意味を伝達するメッセージを成立させる
規則の全体を指します。コードは「暗号」を意味する場合がありますが、暗号は一定の
規則によって作られているのであり、この規則を理解すれば、暗号を解読することが出
来ます。それと同じように、何らかの社会・文化を作っているコードが存在しますので、
そのコードを解読することが、社会・文化を理解することになります。他方、「コード
社会」と云う場合のコードは、更に技術化、制度化されたもので、例えば商品などに、
総てコードナンバーを付け、その管理を容易にすることが求められます。個人に対する
コード化も現代社会にとっての大きな問題になりつつあります。
 
△過剰/蕩尽トウジン
 一般に商品の流通のプロセスは、需要と供給との関係を基礎にして設定されます。通
常の経済理論もこの枠の中で問題を処理します。しかし、そのような問題設定では解読
出来ないものが過剰・蕩尽であり、それぞれ「余分なもの」「消費するために消費する
こと」を意味します。
 こういう考え方は、アメリカの社会学者ヴェブレン、フランスのバタイユなどによっ
て展開されたものであり、特に彼等は、通常の立場からは無意味に見える蕩尽に注目し
ました。その場合屡々例に出されるのは、アメリカ・インディアンの一部に見られた"ポ
トラッチ"と云う消費の形態であり、客をもてなすためにむやみに消費したり破壊したり
するこの風習の中に、彼等は人間の経済活動の本質的な側面を見出そうとしました。こ
れを"ポトラッチ型消費"と呼ぶことがあります。ヴェブレンの「見せびらかす消費」と
云う考え方を展開しました。

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