05b 哲学・思想序曲[現代思想の展開]
 
△ノイズ noise
 ノイズは「騒音」と訳されることもあります。ノイズは通常の場合は、文字通り騒が
しい音であり、公害の一つです。また情報理論でも、メッセージの伝達を妨げるもので
すが、現代思想でのノイズは、既に存在している秩序にショックを与え、それによって
新たな秩序を生み出す媒介になるものとして肯定的に考えられています。これが"オーダ
ー・フロム・ノイズ(騒音からの秩序)理論"と呼ばれる考え方です。従って、カオスと
云う考え方とも関わっており、この意味でのノイズは、中心と周縁と云う概念とも関連
があります。ノイズは元来は自然科学の領域で用いられていた概念ですが、現在ではも
っと広く、文化・社会についての理論の中で用いられています。
 
△劇場国家 theaterstate
 劇場国家とは、国家の存在理由を、支配や統治を行うことではなく、儀礼を演劇的に
行うことだとする考え方に基づく国家論です。こうした考え方は、既に1920年代にエヴ
レイノフが『生の劇場』の中で「演劇政治 theatocracy」と云う概念を使って展開して
いたものですが、現在「劇場国家」と云うときは、バリ島の政治形態を分析したクリフ
ォード・ギアーツが『ネガラ − 19世紀バリの劇場国家』で示した見解を指します。劇
場国家と云う考え方は、文化の中にある演劇性の要素を、政治の領域に拡大しようとす
るものであり、それによって今までの政治学では見えなかった部分が解明される場合も
ありますが、他方では、あらゆる事柄を演劇や儀礼に還元してしまうために、支配・被
支配の関係、国家権力の行使など、国家の政治的な要素が軽視されるおそれもあります。
 
△アンビバレンス ambivalence
 アンビバレンスは「両面性」と訳されることが多い。元来は心理学・精神医学の用語
で、同一の対象に愛情と憎悪と云う反対の感情を持つことです。そこから意味を広げて、
同一の対象に全く対立する複数の意識を持つ場合を、アンビバレントな状態と呼びます。
現在のような価値の多元化の時代には、人間の意識のあり方がアンビバレントになるの
は当然とも云えます。
 
△重層決定  overdetermination
 overdeterminationは"多元(的)決定"とも訳します。元来はフロイトの精神分析の用
語で、一つの病的な症状が、相互に矛盾する複数の要因によって決定されることを意味
します。これを経済学の領域にも拡大して用いたのがルイ・アルチュセールです。アル
チュセールは、単純な因果関係によってではなく、重層的に決定されるのが、経済のあ
り方であると説きました。現在では更に広い場面で用いられる用語となっており、一つ
の支配的な要因が何かを決定するとは考えられず、常に複合的・重層的な、複数の要因
が求められる現代の状況を反映している概念でもあります。
 
△ディスタンクシオン distinction 仏(フランス語)
 ディスタンクシオンとは、フランスの社会学者ピエール・ブルデューの概念の一つで、
「卓越性」と訳されています。元来は区別・差別の意味で、現代社会の中で階層構造が
教育・趣味などとどのような相関関係にあるかを考えるための概念です。いわゆるポス
ト大衆社会での特権階級の形成を考えるために有効とされます。ブルデューはこの概念
を基にして、1989年に『国家の貴族』を発表し、その中でフランスの新しい「貴族」で
ある超エリート官僚の形成を具体的に論じました。わが国にそのまま適用することは出
来ませんが、社会の中の差異を考えるためには、極めて有効な概念です。
 
△女性原理 feminine principle
 これまで、社会・文化・思想などを動かす原理として考えられていたものが、権力・
論理・理性・暴力と云った男性的な原理であったのに対して、女性原理は女性的なもの
を中心に置こうとする考え方です。女性原理と云う概念は、フェミニズムの運動と関連
していますが、現代において最も大きな影響力を持つ女性原理の理論の一つは、ユング
の云う"アニマ"です。アニマは、男性的なものである"アニムス"に対応する女性原理で
すが、ユングはそれが男性の中にも存在すると考えています。つまり、女性原理と云っ
ても男性原理を排除し合うものではありません。現在の問題は、単に女性原理の重要性
を説くことで終わるものではなく、男性原理との相互作用の問題に移行とつつあります。
 
△フェミニズム feminism
 フェミニズムは元来は女性の社会的な地位の向上のための運動や、政治的な権利の獲
得のための運動を意味しました。現在でも、勿論そのような意味が失われている訳では
ありませんが、現代のフェミニズムにはもっと広い意味が含まれています。即ち人間の
社会的、文化的な生活において、どれほど女性的なものが重要であるかを確認する運動
も意味しています。例えば伝統的な哲学や思想の中に、女性的なものを抑圧する考え方
があることを暴いて、それを批判することもフェミニストの仕事です。最近では、フェ
ミニズムの立場から文化・芸術を考える場合が多くなっています。
 
△ジェンダー gender
 「セックス」と云う言葉が、性的な欲望に関連するものであるのに対して、ジェンダ
ーと云う用語は、性的な区別をいわゆる性的欲望と切り離して性差を考えるときに使わ
れる用語です。ジェンダーは、元々は文法で名詞の性を区別するときに使われた術語で
あり、その意味では性的な欲望とは無関係です。しかし、ジェンダーと云う言葉を使う
ことによって、実はセックスと云う言葉に含まれる筈のものを隠そうとする場合もあり
ます。
 
△経済人類学 economic anthropology
 経済人類学とは、経済学と人類学を重層的に総合した理論です。ハンガリー生まれの
カール・ボランニーなどによって主張されました。これは、経済学や人類学と云った個
別的な学問が、それ自体では成り立ちにくくなった状況に対応しようとして創られた理
論であり、その意味ではこれまでの経済学や人類学そのものに対する批判を含んでいま
す。従って経済人類学は、経済学と人類学の「相互作用」によっているとも云えましょ
う。
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