05a 哲学・思想序曲[現代思想の展開]
△カオス(混沌)
カオスは無秩序disorderと似た概念と思われがちですが、無秩序が秩序の対立概念で
あるのに対して、カオスはそれ自体で存在している概念で、元来は世界が創られる前の
混沌とした状態を示すものでした。最近、カオスの概念が注目されるようになったのは、
現実世界の状況が秩序の混乱や無秩序と云った概念では処理しきれないものになってい
ることと深く関わっています。今日では、カオスをコスモスと結合させたカオスモス(
後述)の概念が注目されています。
△カオスモス chaosmos
カオスモスとは、カオス(混沌)とコスモス(秩序のある宇宙)と"オスモーズ(浸透
)"の合成語であり、ジェイムス・ジョイスが使い始めたとされます。現実はカオスとコ
スモスのが相互に浸透(オスモーズ)の状態にあります。その結果として、混沌と秩序
が重なって新しいものが創造されて行くと考えます。カオスモスと云う考え方は絶対的
な価値が存在しない時代に特有の考え方であり、時には曖昧なものを含み、境界がはっ
きりしません。ガタリの最後の著作のタイトルにもこの言葉が使われています。
△シミュレーション simulation
シミュレーションは"模擬"と訳されることもあります。シミュレーションは、元来は
実在するものを模倣して作られた人工の装置であり、例えば実際の飛行機のコックビッ
トとすっかり同じような装置で訓練用に使うものなどに云います。思想の用語としては、
表象がそれに対応する実在を持つ概念であるのに対して、シミュレーションは、それに
対応する実在を持たない表現として定義されます。実在よりも表現されたものとして言
語・映像を優先させる考え方です。
△ノマド nomade 仏(フランス語)
ノマドとは、「遊牧民」「放浪者」の意で、「定住民sedentaire」と対立します。元
来は、民族学・文化人類学で使われる用語ですが、ドゥルーズとガタリが、『千のプラ
トー』の中で、一定の状況の中に閉じ込められていない、自由な動きをすることが出来
る人間、と云う意味で使っています。従って、「ノマド」は「リゾーム」(後述)と関
連した概念であり、一定の場に動かないで閉じこもっていないで、そこから「リゾーム
」状に別の場にある他のものと横断的に連絡し、そこへ移行出来る存在のことを云いま
す。また「ノマド」の運動は予め定められた方向になされるものではなく、意外な方向
に向かって、意外なものと交流し、結合します。言葉を換えて云いますと、「ノマド」
の動きはパラノイア(偏執病)的ではなく、スキゾフレニー(分裂病)的です。旅行者
・難民・移民と云う形で地球上のあらゆる処で人間が移動する現代に対応する考え方で
もあるとも云えましょう。
△トポフィリア topophilia
ギリシャ語で"トポス"は場所を、"フィリア"は愛を意味します。従ってトポフィリア
とは「場所愛」のことです。中国系のアメリカの地理学者イーフー・トゥアンによって
拡められた概念です。生まれ育った土地への愛着を持っている人は、死ぬときには故郷
の土地で死にたいの考えるし、正月やお盆には、「帰省」します。また、かつて訪れて
印象に残った土地を再訪するのも一種のトポフィリアの表れです。
△リゾーム rhizome 仏(フランス語)
リゾームは「根茎」と訳されます。ドゥルーズとガタリが『千のプラトー』などで展
開した概念です。リゾームは樹木と対立します。樹木は、生物学で用いられる系統樹の
ように、根・幹・枝・葉と云う秩序・位階制度的なものを表現しています。樹木が、西
欧の伝統的・ヒエラルキー的な思考そのものを示すイメージであるのに対して、リゾー
ムは横の関係を作るイメージです。リゾームは、相互に関係のない異質なものが上下で
はなく、横の関係で結び付くものです。思想の世界でリゾームと云うときは、ロゴス中
心主義を否定する考え方であり、その意味でポスト構造主義、ポスト・モダニズムの思
想の中で重要な役割を演じた概念です。リゾームはまた、ノマド(前述)の概念とも深
い関係にあると云えましょう。
△器官なき身体 corps sans organe 仏(フランス語)
「器官なき身体」は、元来はフランスの劇作家アントナン・アルトーが使った言葉で
す。ドゥルーズとガタリが『アンチ・オイディプス』などで展開しました。予め与えら
れた有機体organismeを前提とする、統一されている身体ではなく、それぞれの部分が先
に存在している身体を意味します。この部分は、有機体の中に閉じ込められて一定の役
割しか演じないのではなく、常に、他の部分と「リゾーム」的に結び付いて、そこに新
しい存在を形成することが出来ますし、また他の部分との結合を切り離して、別の部分
と結合することも出来ます。従ってそれはドゥルーズとガタリの云う意味での「機械」
の概念と関連しています。ドゥルーズとガタリは、メラニー・クラインの「部分対象」
と云う用語を使ってほぼ同じことを表現しています。
△オイディプス三角形 Oedipus triangle
オイディプス三角形はフランスの精神医学者ジャック・ラカンなどによって使われ始
めた言葉で、父・母・子の三者からなる、閉じられた家族関係を指します。「家族の三
角形」と云うこともあり、核家族と云う集団の閉鎖的な関係を示すために用いられます。
一般的にはフロイトの精神分析の前提となっている考え方とされます。
ドゥルーズとガタリは、フロイトの批判を含む『アンチ・オイディプス』の中で、こ
のオイディプス三角形を破壊して、家族のメンバーを他の社会的なものと結び付ける必
要性を説きました。現代では、家族の変質とともにこのオイディプス三角形そのものが
徐々に壊れつつあります。また、オイディプス三角形は近代ヨーロッパのブルジョアジ
ーの家族についてのみ成立するものであり、わが国の江戸時代の農民や、近代のプロレ
タリアートの家族については成立しないとする批判もあります。
△ダブル・バインド double bind
ダブル・バインドとは身動きのとれない精神状態のことで、「二重拘束」と訳されま
す。アメリカで活躍したイギリス生まれの文化人類学者グレゴリー・ベイトソンが精神
分裂病に関して1950年代に提示した理論です。例えば母親が子供に対して何かするよう
言い、同時にそれを否定する身振りをする。そうすると子供は二重に拘束された状態で、
何も出来なくなります。これをダブル・バインドの状態と云います。ベイトソンは母親
と子供の間に立つ父親がいないときに、この状態が生じがちであることを指摘していま
す。この理論のモデルはバリ島の住民の個人間の相互作用についての考察にあるとされ
ますが、主として母親と子供の関係を前提としています。そのため、父親の権威が薄く
なったり、父親がいなくなった現代の家族の状況を先取りして考えた理論として評価さ
れ、イギリスの反精神医学や家族療法の理論に影響を与え、ある意味ではフロイトの理
論に対立します。しかし、ダブル・バインド理論もまた家族主義に束縛されていると云
う批判もあります。
△ホモ・デメンス homo demens 羅(ラテン語)
ホモ・デメンスとは、「狂った人間」の意です。これまで人間を示すのに"ホモ・サピ
エンス(智恵のある人間 homo sapiens)"とか、"ホモ・ロクエン(語る人間 homo lo-
quens)"或いは"ホモ・ファベル(つくる人間 homo faber)"と云う表現がされてきまし
た。何れも、理性的な人間であり、合理主義の思想に基づいています。ホモ・デメンス
は、理性に全面的に依存するのではなく、非理性的なもの、不合理なもの、更には狂気
的なものを持っている人間です。それによって、理性の枠には収まらない、新しいもの
を創造していく人間が考えられます。
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