151 神皇正統記 天(その六)
 
 第四代、彦火々出見ヒコホホデミの尊と申。御兄火の闌降スセリの命、海の幸サチます。此尊は
山の幸ましけり。こゝろみに相かへ給しに、各オノオノ其幸なかりき。弟の尊の、弓箭ユミヤに
魚の釣鉤ツリハリをかへ給へりしを、弓箭をば返つ。をとゝの尊鉤ツリバリを魚にくはれて失ひ
給けるを、あながちにせめ給しに、せんすべなくて海辺にさまよひ給き。塩土の翁(此
神の事さきにみゆ)まいりあひて、あはれみ申て、はかりことをめぐらして、海神ウミノカミ
綿積ワタツミノ命(小童ともかけり)の所にをくりつ。其女を豊玉姫トヨタマヒメと云。天神アマツカミ
の御孫にめでたてまつりて、父の神につげてとゞめ申つ。つゐに其女とあひすみ給。三
とせばかりありて故郷モトツクニをおぼす御気色ミケシキありければ、其女父にいひあはせてかへ
したてまつる。大小オホキチヒサキいろくづをつどへてとひけるに、口女クチメと云魚、やまひあ
りてと見えず。しゐてめしいづれば、その口はれたり。是をさぐりしに、うせにし鉤を
さぐりいづ(一ヒトツには赤女アカメといふ。又此魚はなよしと云魚と見えたりり)。海神い
ましめて、「口女いまよりつりくふな。又天孫アメミマの饌オモノにまいるな。」となむ云ふく
めける。又海神ひる珠みつ珠をたてまつりて、兄コノカミをしたがへ給べきかたちををしへ
申けり。さて故郷にかへりまして鉤を返つ。満珠をいだしてねぎ給へば、塩みちきて、
このかみをぼゝれぬ。なやまされて、「俳優ワザヲギの民タミとならん。」とちかひ給しか
ば、ひる珠をもちて塩をしりぞけ給き。これより天日嗣アマツヒツギをつたへましましける。
 
 海中にて豊玉姫はらみ給しかば、「産期ウミガツキにいたらば、海辺に産屋ウブヤを作て待
給へ。」と申き。はたして其妹イモ玉依姫タマヨリヒメをひきゐて、海辺に行あひぬ。屋を作て
盧(盧偏+鳥)茲(茲偏+鳥)ウの羽ハにてふかれしが、ふきもあへず、御子うまれ給に
よりて盧(盧偏+鳥)茲(茲偏+鳥)草葺不合ウガヤフキアヘズノ尊と申す。又産屋をうぶやと
云事もうのはをふける故なり。そも「産ウミの時み給な。」と契チギリ申マヲシしを、のぞきて
見ましければ、竜リョウになりぬ。はぢうらみて、「われにはぢみせ給はずば、海陸ウミクガ
をして相かよはしへだつることなからまし。」とて、御子をすてをきて海中へかへりぬ。
後に御子のきらきらしくましますことをきゝて憐み崇めて、妹の玉依姫を奉て養ひまい
らせけるとぞ。
 
 此尊天下を治給こと六十三万七千八百九十二年と云へり。
 震旦の世の始をいへるに、万物混然としてあひはなれず。是を混沌と云。其後軽清
カロクキヨキ物は天テンとなり、重濁ヲモクニゴレル物は地チとなり、中和気チュウクワノキは人ジンとなる。こ
れ三才サンサイと云(これまでは我国の初りを云にかはらざる也)。其はじめの君盤古バンコ
氏、天下を治こと一万八千年。天皇・地皇・人皇など云王相続アヒツギて、九十一代一百八万
二千七百六十年。さきにあはせて一百十万七百六十年(これ一説なり。実にはあきらか
ならず。広雅クワウガと云書には、開闢より獲麟クワクリンに至て二百七十六万歳とも云。獲麟
とは孔子コウシの在世、魯の哀公の時なり。日本の懿徳にあたる)。しからば、盤古のはじ
めは此尊の御代のすゑつかたにあたるべきにや。
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