151 神皇正統記 天(その七)
第五代、彦波瀲武ヒコナギサタケ盧(盧偏+鳥)茲(茲偏+鳥)草葺不合ウガヤフキアヘズノ尊と
申。御母豊玉姫の名づけ申ける御名なり。御姨ヲバ玉依姫にとつぎて四ヨはしらの御子を
うましめ給ふ。彦五瀬ヒロイツセノ命、稲飯イナヒノ命、三毛入野ミケイリノノ命、日本磐余彦ヤマトイワレヒコ
の尊と申す。磐余彦尊を太子に立てて天日嗣をなむつがしめましましける。
此神の御代七十七万余年の程にや、もろこしの三皇の初、伏犧フクキと云王あり。次、神
農シンノウ氏、次、軒轅ケンエン氏、三代あはせて五万八千四百四十年(一説には一万六千八百
二十七年。しからば此尊の八十万余の年にあたるなり。親経チカツネノ中納言の新古今の序を
書カクに、伏犧の皇徳に基モトイして四十万年といへり。何イヅレノ説によれるにか。無覚束
オボツカナキ事也)。其後に少昊セウカウ氏、頁(山+而偏+頁)頁(王偏+頁)センギョク氏、高辛
カウシン氏、陶唐タウタウ氏(尭也)、有虞氏(舜也)といふ五帝あり。合て四百三十二年。其
次、夏カ・殷イナ・周シウの三代あり。夏には十七主、四百三十二年。殷には三十主、六百二十
九年。周の代と成て第四代の主シュを昭王と云き。その二十六年甲寅キノエトラの年までは周を
こりて一百二十年。このとしは葺不合尊の八十三万五千六百六十七年にあたれり。こと
し天竺に釈迦仏出世しまします。同き八十三万五千七百五十三年に、仏ホトケ御年八十にて
入滅しましましけり。もろこしには昭王の子、穆王ボクオウの五十三年壬申ミヅノエサルにあた
れり。其後二百八十九年ありて、庚申カノエサルにあたる年、此神かくれさせまします。
すべて天下アメノシタを治給こと八十三万六千四十三年といへり。
これより上カミつかたを地神チジン五代とは申けり。二代は天上にとゞまり給。下シモ三代
は西の洲クニノ宮にて多オホクの年ををくりまします。神代のことなれば、其行迹カウセキたしか
ならず。葺不合の尊八十三万余年ましまししに、その御子磐余彦尊の御代より、にはか
に人王ニンワウの代となりて、暦数レキスウも短くなりにけること疑ふ人もあるべきなや。され
ど、神道の事をしてはかりがたし。まことに磐長姫の詛トコヒけるまゝ寿命も短くなりしか
ば、神のふるまひにもかはりて、やがて人の代となりぬるか。天竺の説の如く次第あり
て減ゲンジたりとはみえず。
又百王ましますべしと申める。十々の百にはあらざるべし。窮キハマリなきを百ともいへ
り。百官ヒャククワン百姓ヒャクシャウなどいふにてしるべきなり。昔、皇祖天照太神天孫の尊に御
ことのりせしに、「宝祚之アマツヒツギノ隆サカンナルコト当与天壌無窮マサニアメツチトキハマリナカルベシ」とあ
り。天地も昔にかはらず。日月も光をあらためず。況や三種の神器世に現在し給へり。
きはまりあるべからざるは我国を伝る宝祚ホウソなり。あふぎてたっとびたてまつるべきは
日嗣をうけ給すべらぎになむおはします。〈歴代天皇へ続く〉
詳細探訪 [北畠親房]
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