151 神皇正統記 天(その三)
 
 地神チジン第一代、大日靈(靈の巫の代わりに女。以下「靈」と記す)オホヒルメノ尊。是を
天照太神アマテラスオホミカミと申。又は日神とも皇祖スメミオヤとも申なり。此神の生給こと三ミツの説
あり。一には伊弉諾・伊弉冉尊あひ計ハカラヒて、天下アメノシタの主アルジをうまざらんやとて、
先マヅ、日神をうみ、次に、月神、次、蛭子、次、素戔烏尊を生給といへり。又は伊弉諾
の尊、左ヒダリノ御手に白銅マスミの鏡を取て大日靈の尊を化生ケシャウし、右ミギノ御手にとりて
月弓ツキユミの尊を生、御首ミカウベをめぐらしてかへりみ給しあひだに、素戔烏尊を生ウムとも
いへり。又伊弉諾尊日向の小戸の川にてみそぎし給し時、左の御眼ミメをあらひて天照太
神を化生し、右の御眼をあらひて月読ツキヨミの尊を生シャウジ、御鼻を洗アラヒて素戔烏尊を生
じ給とも云。日月神の御名ミナも三あり、化生の所も三あれば、凡慮ボンリョはかりがたし。
又おはします所も、一には高天タカマの原と云、二には日の小宮ワカミヤと云、三には我日本
ヤマトノ国これなり。八咫ヤタの御鏡をとらせましまして、「われを見るが如くにせよ。」と
勅ミコトノリ給けること、和光ワクワウの御誓もあらはれて、ことさらに深フカキ道あるべければ、
三所ミトコロに勝劣の義をば存ずべからざるにや。
 
 爰ココニ、素戔烏尊、父母カゾイロ二フタハシラノ神にやらはれて根国ネノクニにくだり給べかりしが、
天上にまうでて姉の尊に見えたてまつりて、「ひたぶるにいなむ。」と申給ければ、「
ゆるしつ。」との給。よりて天上にのぼります。大うみとゞろき、山をかなりほへき。
此神の性サガたけきがしからしむるになむ。天照太神おどろきましまして、兵ツハモノのそな
へをして待給。かの尊黒キタナキ心なきよしをおこたり給ふ。「さらば誓約ウケヒをなして、き
よきか、きたなきかをしるべし。誓約の中に女ヲンナを生ぜば、きたなき心なるべし。男を
生ぜば、きよき心ならん。」とて、素戔烏尊のたてまつられける八坂瓊ヤサカニの玉をとり
給へりしかば、其玉に感じて男神ヲガミ化生し給。すさのをの尊悦ヨロコビて「まさやあれか
ちぬ。」とのたまひける。よりて御名を正哉吾勝々マサヤアカツカチの速日ハヤヒ天の忍穂耳オシホミミ
の尊と申(これは古語拾遺の説)。又の説には、素戔烏尊、天照太神の御くびにかけ給
へる御統ミスマルの瓊玉ニノタマをこひとりて、天の真名井マナイにふりすゝぎ、これをかみ給しか
ば、先マヅ吾勝アカツの尊うまれまします。其後猶四はしらの男神生ウマレ給。「物のさねわが
物なれば我子なり。」とて天照太神の御子になし給といへり(これは日本紀の一説)。
此吾勝尊をば太神めぐしとをぼして、つねに御わきもとにすへ給しかば、腋子ワキコと云。
今の世におさなき子をわかこと云はひが事也。
 
 かくて、すさのおの尊なを天上にましけるが、さまざまのとがををかし給き。天照太
神いかりて、天の石窟イハヤにこもり給。国のうちとこやみになりて、昼夜のわきまへなか
りき。もろもろの神達うれへなげき給。其時諸神ショジンの上首ジャウシュにて高皇タカミ産霊
ムスビノ尊と云神ましましき。昔、天御中主アメノミナカヌシの尊、みはしらの御子おはします。長
ヲサを高皇産霊とも云。次をば神皇産霊カミムスビ、次を津速産霊ツハヤムスビといふと見えたり。
陰陽インヤウ二神ニジンこそはじめて諸神を生み給しに、直スグに天御中主の御子と云ことおぼ
つかなし(このみはしらを天御中主の御こといふ事は日本紀には見えず。古語拾遺にあ
り)。此神、天アマのやすかはのほとりにして、八百万ヤホヨロヅの神をつどへて相議アヒギし
給。其御子に思兼オモヒカネと云神のたばかりにより、石凝姥イシコリドメと云神をして日神の御
形ミカタチの鏡を鋳せしむ。そのはじめなりたりし鏡、諸神の心にあはず(紀伊キの国日前
ヒノクマの神にます)。次に鋳給へる鏡うるはしくましましければ、諸神悦ヨロコビあがめ給(
初は皇居にましましき。今は伊勢国の五十鈴の宮にいつかれ給、これなり)。又天の明
玉アカルタマの神をして、八坂瓊の玉をつくらしめ、天アメの日鷲ヒワシの神をして、青幣アヲミテグラ
白幣シラニギテをつくらしめ、手置帆負タヲキホオヒ・彦狭知ヒコサシリの二神をして、大峡オホカイ・小峡
ヲカヒの材キをきりて瑞ミヅの殿ミヤラカをつくらしむ(このほかくさぐさあれどしるさず)。其
物すでにそなはりにしかば、天の香山カゴヤマの五百箇イホツの真賢木マサカキをねこじにして、
上枝ホツエには八坂瓊の玉をとりかけ、中枝ナカツエには八咫の鏡をとりかけ、下枝シヅエには青
和幣アヲニギテ・白和幣をとりかけ、天の太玉フトタマの命(高皇産霊の神の子なり)をしてさゝ
げもたらしむ。天の児屋コヤネの命(津速産霊の子、或は孫とも。興台産霊ココトムスビの神の
子也)をして祈祷せしむ。天の鈿目ウズメの命、真辟マサキの葛カヅラをかづらにし、蘿葛
ヒカゲノカヅラを手襁タスキにし、竹の葉、オケの木の葉を手草タグサにし、差鐸サナギの矛をもち
て、石窟イハヤの前にして俳優ワザヲギをして、相ともにうたひまふ。又庭燎ニハヒをあきらか
にし、常世トコヨの長鳴鳥ナガナキドリをつどへて、たがひにながなきせしむ(これはみな神楽
カグラのおこりなり)。天照太神きこしめして、われこのごろ石窟にかくれおり。葦原の
中国ナカツクニはとこやみならん。いかンぞ。天の鈿女の命かくえらぐするやとをぼして、御
手をもてほそめにあけてみ給。この時に、天手力雄アメノタヂカラヲの命といふ神(思兼の神の
子)磐戸イハトのわきに立タチ給しが、其戸をひきあけて新殿ニヒドノにうつしたてまつる。中
臣ナカトミの神(天児屋命なり)忌部イムベの神(天の太玉の命なり)しりくへなわを(日本
紀には端出之縄とかけり。注には左ヒダリ縄の端出ハシイダせると云。古語拾遺には日御縄
ヒノミナハとかく。これ日影ヒカゲの像カタチなりといふ)ひきめぐらして「なかへりましそ。」
と申。上天シャウテンはじめてはれて、もろもろともに相見アヒミル。面オモテみなあきらかにしろ
し。手をのべて哥舞ウタマヒて、「あはれ(天のあきらかなるなり)。あな、おもしろ(古
語に甚イト切なるをみなあなと云。面白、もろもろのをもて明アキラカに白き也)。あな、た
のし。あな、さやけ(竹の葉のこゑ)。をけ(木の名なり。其はをふるこゑなり。天の
鈿目の持給へる手草なり)。」かくて、つみを素戔烏の尊によせて、おほするに千座
チクラノ置戸ヲキドをもて首カウベをかみ、手足のつめをぬきてあがはしめ、其罪をはらひて神
やらひにやられき。
 
 かの尊天アメよりくだりて、出雲の簸ヒの川上と云所にいたり給。其所に一ヒトリのおきな
とうばとあり。一のをとめをすへてかきなでつゝなきけり。素戔烏尊「たそ。」ととひ
給ふ。「われはこれ国神クニツカミなり。脚摩乳アシナツチ・手摩乳タナツチといふ。このをとめはわが
子なり。奇稲田姫クシイナダヒメといふ。さきに八ケの少女ヲトメあり。年毎に八岐ヤマタの大蛇ヲロチ
のためにのまれき。今此をとめ又のまれなんとす。」と申ければ、尊、「我にくれんや
。」とのたまふ。「勅ミコトノリのまゝにたてまつる。」と申ければ、此乙女を湯津ユツのつま
ぐしにとりなし、みづらにさし、やしほをりの酒を八ヤツの槽フネにもりて待給に、はたし
てかの大蛇きたれり。頭カシラをのをの一ヒトツノ槽に入れてのみゑひてねぶりけるを、尊はか
せる十握トツカの剣ツルギをぬきてつたつたにきりつ。尾にいたりて剣の刃すこしかけぬ。さ
きて見給へば一の剣あり。その上に雲気ウンキありければ、天の聚(草冠+聚)雲ムラクモと名
づく(日本武ヤマトタケの尊にいたりてあらためて草なぎの剣と云。それより熱田社アツタノヤシロ
にます)。「これあやしき剣なり。われ、なぞ、あへて私ワタクシにをけらんや。」との給
て、天照太神にたてまつり上アガられにけり。其のち出雲の清スガの地にいたり、宮をた
てて、稲田姫とすみ給。大己貴命オホアナムチの神を(大汝オホナムチともいふ)うましめて、素戔
烏尊はつゐに根の国にいでましぬ。
 
 大汝の神、此国にとゞまりて(今の出雲の大神にます)天下アメノシタを経営し、葦原の地
を領リャウジ給けり。よりてこれを大国主の神とも大物主オホモノヌシとも申。その幸魂サキタマ奇魂
クシタクは大和の三輪ミワの神にます。
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