51 歴代天皇
 
 抑民をみちびくにつきて諸道・諸芸みな要枢エウスウ也。古には詩・書・礼・楽ガクをもて国を
治る四術シジュツとす。本朝は四術の楽をたてらるゝことたしかならざれど、紀伝キデン・明
経ミャウギャウ・明法ミャウホフの三道に詩・書・礼を摂すべきにこそ。算道サンダウを加へて四道と云。
代々にもちいられ、其職を置るゝことなればくはしくするにあたはず。医・陰陽オンヤウの両
道又これ国の至要シエウ也。金石糸竹キンセキシチクの楽は四学の一にて、もっぱら政をする本モト
なり。今は芸能の如くに思へる、無念のことなり。「風フウを移て俗をかふるには楽より
よきはなし。」といへり。一音より五声・十二律に転じて、治乱をわきまへ、興衰コウスイを
知べき道とこそ見えたり。又詩賦哥詠シフカエイの風もいまの人のこのむ所、詩学の本ホンには
ことなり。しかれども一心よりおこりて、よろづのことの葉となり、末の世なれど人を
感ぜしむる道なり。これをよくせば僻ヘキをやめ邪をふせぐをしへなるべし。かゝればい
づれか心の源をあきらめ、正シャウにかへる術なからむ。輪偏リンヘンが輪をけづり斉桓公
セイクワンコウををしへ、弓工キュウコウが弓をつくりて唐の太宗をさとらしむるたぐひもあり。乃
至囲碁弾碁ダンキの戯タハブレまでおろかなる心をおさめ、かろがろしきわざをとゞめんがた
めなり。たゞし其源にもとづかずとも、一芸はまなぶべきことにや。孔子も「飽アクマデニ
食クウて終日ヒネモスに心を用モチイル所なからんよりは博奕バクエキをだにせよ。」と侍めり。まし
て一道をうけ、一芸にも携らん人、本モトをあきらめ、理コトワリをさとる志あらば、これよ
り理世リセイの要ともなり、出離シュツリのはかりことゝも也なむ。一気一心にもとづけ、五大
・五行により相克サウコク・相生ソウシャウをしり、自もさとり他にもさとらしめむ事、よろづの道
其理コトワリ一なるべし。
 
 此御門誠に顕密の両宗に帰キシ給しのみならず、儒学もあきらかに、文章もたくみに、
書芸もすぐれ給へりし、宮城の東面ヒガシオモテの額も御みづからかゝしめ給き。
 天下を治給こと十四年。皇太弟にゆづりて太上天皇と申。帝都の西、嵯峨山と云所に
離宮をしめてぞましましける。一旦国をゆづり給しのみならず、行末までもさづけまし
まさむの御心ざしにや、新帝の御子、恒世ツネヨの親王を太子に立給しを、親王又かたく辞
退して世をそむき給けるをこそありがたけれ。上皇ふかく謙譲しましけるに、親王又か
くのがれ給ける、末代までの美談にや。昔仁徳兄弟相アヒ譲ユヅリ給し後にはきかざりしこ
となり。五十七歳おましましき。
 
 53 淳和ジュンナ天皇
 
 平安初期の天皇。桓武天皇の第七皇子。名は大伴。西院帝サイインノミカドとも。漢詩にすぐ
れ、「経国集」を良岑ヨシミネ安世らに撰せしめた。
(在位823〜833)(786〜840)
 天長テンチョウ 皇紀1484 AD 824
 
〔神皇正統記〕 第五十三代、淳和ジュンワ天皇、西院サイインの帝ミカドとも申。桓武第三の
子。御母贈皇太后藤原の旅子モロコ、贈太政大臣百川の女也。癸卯年即位。甲辰に改元。
 
 天下を治給こと十年。太子にゆづりて太上天皇と申。此時両上皇ましましければ、嵯
峨をば前サキノ太上天皇、此御門をば後ノチノ太上天皇と申。嵯峨御門の御をきてにや、東宮
には又此帝の御子恒貞ツネサダノ親王立給しが、両上皇かくれましし後にゆへありてすてら
れ給き。五十七歳おましましき。
 
 54 仁明ニンミョウ天皇
 
 平安初期の天皇。嵯峨天皇の第二皇子。名は正良マサラ。深草帝とも。
(在位833〜850)(810〜850)
 承和ジョウワ 皇紀1494 AD 834
 嘉祥カショウ 皇紀1508 AD 848
 
〔神皇正統記〕 第五十四代、第三十世、仁明天皇。諱イミナは正良マサラ(これよりさき御
諱たしかならず。おほくは乳母メノトの姓シャウなどを諱にもちいられき。これより二字たゞ
しくましませばのせたてまつる)、深草フカクサの帝とも申。嵯峨第二の子。御母皇太后橘
の嘉智子カチコ、贈太政大臣清友キヨトモノ女也。癸丑年即位、甲寅に改元。此天皇は西院の御
門の猶子イウシの儀ましましければ、朝覲テウキンも両皇にせさせ給。或時は両皇同所にして覲
礼キンレイもありけりとぞ。
 
 我国のさかりなりしことはこの比コロをいにやありけむ。遣唐使もつねにあり。帰朝の
後、建礼門の前に、彼国のたから物の市をたてて、群臣にたまはすることもありき。律
令は文武の御代よりさだめられしかど、此御代にぞえらびととのへられにける。
 天下を治給こと十七年。四十一歳おましましき。
 
 55 文徳モントク天皇
 
 平安前期の天皇。仁明天皇の第一皇子。名は道康ミチヤス。田邑帝とも。
(在位850〜858)(827〜858)
 仁寿ニンジュ 皇紀1511 AD 851
 斉衡サイコウ 皇紀1514 AD 854
 天安テンアン 皇紀1517 AD 857
 
〔神皇正統記〕 第五十五代、文徳天皇。諱は道康ミチヤス、田村の帝とも申。仁明第一の
子。御母太皇太后藤原順子ジュンシ(五条の后キサキと申)、左大臣冬嗣フユツグの女也。庚午年
即位、辛未に改元。
 天下を治給こと八年。三十三歳おましましき。
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