1402b 範例祝詞[宣命]
[新嘗ニヒナヘに酒幣サカマヒを賜ふ宣命] (『続日本紀』巻第丗、称徳天皇)
(同じ年)十一月壬辰ミヅノエタツ(廿八日)、宴ウタゲを五位已上に賜ふ。詔して曰は
く、
今勅久イマノリタマハク 今日方新嘗乃猶良比乃ナホラヒノ豊乃明トヨノアカリ聞許之売須キコシメス日仁在ヒニアリ
然昨日能シカルニキノフノ冬至乃日仁フユノキハミノヒニ天雨天アメフリテ 地毛潤チモウルホヒ万物毛ヨロヅノモノモ萌毛
延始天メグミモエハジメテ 好阿流良牟止ヨクアルラムト念仁オモフニ 伊予国与利白祥鹿乎シロキシルシノシカヲ献
奉弖在礼方タテマツリテアレバ 有礼志与呂許保志止奈母ウレシヨロコボシトナモ見流ミル 復マタ三乃ミツノ善事
乃ヨゴトノ同時仁オナジトキニ集天在己止ツドヒテアルコト 甚希有止イトメヅラシト念畏末利尊備オモホシカシコマリ
タフトビ 諸臣等止オミタチト共仁トモニ異奇久アヤシククスシク麗白伎ウルハシクシロキ形乎奈毛見喜流カタチヲナモ
ミヨロコベル
故是以黒記白記乃クロキシロキノ御酒食倍ミキタマヘ恵良伎エラキ 常毛賜酒幣乃タマフサカマヒノ物賜礼止之天
モノタマハレトシテ 御物オホミモノ給波久止宣 賜録有差ロクヲタマフコトシナアリ
[光仁天皇御位に即きたまふ時の宣命] (『続日本紀』巻第丗一、光仁天皇)
宝亀元年(七七〇)冬十月己丑ツチノトウシ朔ツイタチ、天皇の位に大極殿に即きたまふ。
元を宝亀と改む。詔して曰はく、
天皇我スメラガ 詔旨勅命乎オホミコトラマトノリタマフオホミコトヲ 親王諸王諸臣百官人等天下公民衆聞食
止宣
掛母恐伎奈良宮御宇倭根子天皇 去イニシ七月爾ハヅキニ此食国天下之業乎 拙劣朕爾ツタナク
ヲヂキナキアレニ被賜而タマハリテ仕奉止ツカヘマツレト負賜オホセタマヒ授賜伎止サヅケタマヒキト勅天皇詔旨乎ノリタマフ
スメラガオホミコトヲ 頂爾イタダキニ受被賜ウケタマハリ恐美カシコミ受被賜懼ウケタマハリヲヂ 進母不知爾 退不
知爾 恐美坐久止カシコミマサクト勅命乎ノリタマフオホミコトヲ 衆聞食止宣
然サテ此乃天日嗣高御座之業者 天坐神地坐祇 相宇豆奈比奉 相扶奉事爾依弖志 此座
者コノクライニハ平安タヒラケクヤスラケク御坐弖オホマシマシテ 天下者所知物爾在良之止奈母所念行須オモホシメス
又皇坐而スメラトマシテ天下治賜君者 賢臣能人乎カシコキオミノヨキヒトヲ得而志エテシ 天下乎波アメノシタヲバ
平安治物爾在良志止奈母聞看行須キコシメス
故是以大命坐勅久オホミコトニマセノリタマハク 朕アハ雖拙弱ツタナクヲヂナクアレドモ 親王始而王臣等乃 相
穴奈比奉相扶奉牟事爾依而仕ヨリテシ 此之負賜授賜食国天下之政者 平安仕奉止奈母所念
行須
故是以衆浄明心正直言以而タダシナホキコトヲモチテ 食国政奏比ヲスクニノマツリゴトマヲサヒ 天下公民乎恵
治倍之止奈母メグミヲサムベシトナモ所念行須止勅天皇命 衆聞食止宣
辞別詔コトワケテノリタマハク 今年八月ハヅキノ五日イツカノヒ 肥後国ヒノミチノシリノクニノ葦北郡アシキタノコホリノ人日
ヒトヒ奉部マツリベノ廣主売ヒロヌシメ献白亀シロキカメヲタテマツリキ 又同月オナジツキノ十七日トヲカマリナヌカノヒ 同国
オナジクニノ益城郡マシキノコホリノ人ヒト山稲主ヤマノイナヌシ献白亀 此則並コハスナハチトモニ合大瑞ダイズイニアヘリ
故天地兄(貝扁+兄)大瑞者アメツチノタマヘルオホキシルシハ 受被賜ウケタマハリ歓受被賜ヨロコビウケタマハリ可貴
物爾在タフトブベキモノニアリ
是以改神護景運四年ジムゴケイウムノヨトセヲアラタメテ 為宝亀元年ホウキノハジメノトシトス 又仕奉人等中爾
志何シガ仕奉状瑞弖ツカヘマツルサマノマニマニ 一二人等冠位上賜比治賜布 又大赦天下アメノシタヒロクツミ
ユルシタマフ 又天下六位已下アメノシタノムツノクライヨリシモツカタ 有位人等クライアルヒトドモニ 給位一階クライヒトシナ
タマフ 大神宮オホミカミノミヤヲ始弖 諸社之ヤシロヤシロノ禰宜等ネギドモニ 給位一階 又僧綱ホフシノツカサヲ
始弖 諸寺テラデラノ師位シノクライノ僧尼等爾ホフシアマドモニ 御物オホミモノ布施賜布ホドコシタマフ 又高年
人等トシタカキヒトドモ養賜ヤシナヒタマフ 又困乏人等マヅシキヒトドモ恵賜布メグミタマフ 又孝義有人等ケウギ
アルヒトドモ 其事免賜 又今年天下田租タヂカラ免賜久止宣天皇勅 衆聞食止宣
[光仁天皇御位を譲りたまふ時の宣命] (『続日本紀』巻第丗六、光仁天皇)
天応元年(七八一)夏四月辛卯カノトウ(三日)詔して曰はく、
天皇我御命良麻等詔大命乎 親子等王等臣等百官乃人等天下公民衆聞食止宣
朕以寡薄ツタナクヲヂナクシテ 宝位乎アマツヒツギタカミクラノワザヲ受賜弖 年久重奴トシヒサシクカサナリヌ 而爾
シカルニ嘉政頻関弖ヨキマツリゴトシクシクカケテ 天下不得治成エヲサメズナリヌ 加以シカノミニアラズ元来モトヨリ風病
爾カゼノヤマヒニ苦都クルシミツツ身体不安オホミミヤスカラズ 復マタ年毛トシモ彌高成爾弖イヤタカクナリニテ 余命ノコリ
ノイノチ不幾イクバクモアラズ 今所念久イマオモホサク 此位波コノクライハ避天サリテ暫間毛シマラクノマモ御体オホミミ欲
養止奈毛ヤシナハムトナモ所念須オモホス
故是以皇太子止ヒツギノミコト定賜留山部親王爾ヤマベノミコニ 天下政波授賜布 古人イニシヘノヒト有言
イヘルコトアリ 知子者コヲシルハ親止云止奈毛オヤトイヘリトナモ聞食 此王波コノミコハ弱時余利ワカキトキヨリ朝夕止
アサヨヒト朕爾アレニ従天 至今麻天イマニイタルマデ怠事無久仕奉乎見波ミレバ 仁孝厚ニムケウアツキ王爾在
止奈毛 神奈我良カムナガラ所知食シロシメス 其仁孝者ソレニムケウハ百行之基奈利ヒャクギャウノモトナリ 曽
毛曽毛ソモソモ百足之虫乃ヒャクソクノムシノ至死シヌルニイタリテモ不顛クツガヘラザル事波 輔乎タスケヲ多美止奈毛
オホミトナモ聞食 衆諸モロモロ如此状カクノサマ悟弖サトリテ 清直心乎毛知 此王乎ミコヲ輔導天タスケミチビキテ
天下百姓乎アメノシタノオホミタカラヲ可令撫育止ナデメグマシムベシト宣 又宣久 如此時爾当都都アタリツツ人
人不好謀乎ヨカラザルハカリゴトヲ懐弖オモヒテ 天下乎毛乱ミダリ 己我オノガ氏門乎毛ウヂカドヲモ滅人等
ホロボスヒトドモ麻禰久在マネクアリ 若如此有牟モシカクアラム人乎婆 己我教諭ヲシヘサトシ訓直弖ヲシヘナホシテ
各各オノモオノモ己我祖乃オヤノ門不滅カドホロボサズ 彌高爾イヤタカニ仕奉彌継爾将継止イヤツギニツガムト思
慎天オモヒツツシミテ 清直岐心乎持弖仕奉倍之止奈毛所念須 天高止毛アメタカケドモ聴卑物曽止ヒキキ
ニキクモノゾト詔天皇我御命乎 衆諸聞食止宣
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