1403 範例祝詞[宣命]
参考:堀書店発行「祝詞範例全書」
[桓武天皇御位に即きたまふ時の宣命] (『続日本紀』巻第丗六、光仁天皇)
天応元年(七八一)夏四月癸卯ミヅノトウ(十五日)、天皇、大極殿に御オハシマして詔
して曰はく、
明神止アキツミカミト大八洲所知天皇詔旨良麻止宣勅 親王諸王諸臣百官人等天下公民衆聞食宣
掛畏カケマクモカシコキ現神坐アキツミカミトマス倭根子天皇我皇ワガオホキミ 此天日嗣高御座之業乎 掛畏近
江アフミノ大津乃宮爾御宇之アメノシタシロシメシシ天皇乃 初賜比定賜部流サダメタマヘル随法爾ノリノマニマニ
被賜弖ウケタマヒテ仕奉止ツカヘマツレト仰賜比授賜閉婆 頂爾受賜利イタダキニウケタマハリ恐美カシコミ受賜利懼
ウケタマハリヲヂ 進母不知爾退母不知爾 恐美坐久止宣天皇勅 衆聞食宣
然サテ皇坐弖スメラトマシテ 天下治賜君波 賢人乃カシコキヒトノ能臣乎ヨキオミヲ得弖之エテシ 天下乎婆平
久安久治物爾ヲサムルモノニ在良之止奈母聞行須
故是以大命坐宣久オホミコトニマセノリタマハク 朕雖拙劣アハツタナクヲヂキナクアレドモ 親王始弖 王臣等乃相
穴奈比奉利 相扶奉牟事依弖之 此之仰賜比授賜夫食国天下之政者 平久安久仕奉倍之
止奈母所念行
是以ココヲモテ無諂欺之心ヘツラヒアザムクココロナク 以忠明之誠マメニアカキマコトヲモチテ 天皇朝廷乃スメラガミカド
ノ立賜陪流タテタマヘル食国天下之政者 衆助仕奉止宣天皇勅 衆聞食宣
辞宣久 朕一人乃未也アレヒトリノミヤ 慶之岐貴岐ヨロコボシタフトキ御命受賜牟オホミコトヲウケタマハム 凡
オホカタ人子乃ヒトノコノ蒙福麻久サキハヒヲカガフラマク欲為流ホリスル事波 於夜乃オヤノ多米爾止奈母タメニトナモ
聞行須
故是以朕親母ミオヤ高野夫人乎タカヌノキサキヲ称皇太婦人弖オホミオヤトマヲシテ 冠位カガフリクライ上奉利治奉
流 又仕奉人等中爾 自何シガ仕奉状随弖ツカヘマツルサマニシタガヒテ 一二人等冠位上賜比治賜夫
又大神宮乎オホミカミノミヤヲ始弖 諸社禰宜祝等爾給位一階 又僧綱乎始弖 諸寺テラデラノ智行人
チギャウノヒト 及オヨビ年トシ八十ヤソヂ已上ヨリカミツカタノ僧尼等爾物布施賜夫 又高年トシタカキヒト窮乏
マヅシキヒト孝義人等ケウギアルヒトドモ治賜養賜夫 又天下今年田租タヂカラ免賜久止ユルシタマハクト宣天皇
勅 衆聞食宣
[続日本紀の撰上を嘉ヨミしたまふ宣命] (『日本後紀』巻第五、桓武天皇)
延暦十六年(七九七)二月己巳ツチノトミ(十三日)、是より先、重ねて菅野朝臣眞道
等に勅して、続日本紀ショクニホンギを撰ばしむ。是ココに至りて成る。詔して曰はく、
天皇詔旨良麻止勅久 菅野眞道朝臣等三人ミタリ 前サキノ日本紀与利以来コノカタ 未修継在留
イマダヲサメツガズアル久年乃ヒサシキトシノ御世後世乃行事乎ギャウジヲ 勘捜修成弖カンガヘモトメヲサメナシテ
続日本紀卅巻ミソマキヲ進留労タテマツルイタヅキヲ 勤美誉美奈毛イソシミウツクシモナモ所念須 故是以冠位挙
賜治賜波久止勅御命乎 聞食止宣
[文徳天皇御位に即きたまふ時の宣命] (『文徳実録』巻第一、文徳天皇)
嘉祥三年(八五〇)夏四月甲子キノエネ(十七日)、帝スメラミコト大極殿ダイゴクデンに即位
したまふ。其の日晨旦アカトキ快雨アメハゲし。百官雨日儀ノリを以て事に従ふ。日ヒル中に
至れる時、天ソラ晴る。策命に曰ノタマはく、
明神止大八洲国所知天皇詔旨良万止宣勅 親王諸王諸臣百官人等 天下公民衆聞食止宣
掛畏支平安宮爾タヒラノミヤニ御宇之倭根子天皇 我皇ワガオホキミ 此天日嗣高御座之業乎 掛畏
近江大津乃宮爾御宇之天皇乃初賜比定賜倍留法随爾ノリノマニマニ 仕奉止仰賜授賜比之大命乎
受賜利恐美 受賜利懼利カシコマリ 進母不知爾退母不知爾 恐美坐久止宣天皇勅 衆聞食止
宣
然シカルニ皇止坐天キミトマシテ 天下治賜君波 賢人之良佐乎ヨキタスケヲ得天之エテシ 天下乎波アメノシタ
ヲバ平久安久治物爾ヲサムルモノニ在止奈毛聞行須
故是以大命坐オオミコトニマセ宣久 朕雖拙劣 親王等始天 王等臣等乃相共奈比アヒアナナヒ奉利
相扶奉牟事依天之 此乃仰賜比授賜倍留食国乃天下之政波 平久安久仕奉倍之止奈毛所
念行 是以以正直之心天ナホクタダシキココロモテ 天皇朝廷乎 衆助仕奉止宣天皇勅 衆聞食止宣
辞別宣久 凡人子乃蒙福万久サキハヘヲカガフラマク欲為留ホリスル事波 於夜乃多米爾止奈母聞行須
故是以朕親母アガミオヤ藤原氏乎フヂハラウジヲ 皇太夫人爾上奉利治奉流 又仕奉人等中爾 其
仕奉状随爾 冠位上賜比治賜布 又大神宮乎始天 諸社乃禰宜祝等爾 給位一階 又僧
綱乎始天 諸寺智行有聞流オコナヒキコユル 并ナラビニ天下僧尼乃年八十以上爾ヨリカミナルニ 施物太
万不モノホドコシタマフ 又左右ヒダリミギノ京五畿内乃ミサトウチツクニノ鰥寡ヤモヲヤモメ孤独ミナシゴコナク不能自存
者ミヅカラワタラフコトエセヌモノ 及天下給侍留ツカヒビトタマハレル人等爾 給御物布オモノタマフ 力田之輩乃
ナリハヒイソシムヒトドモノ 超衆者爾ヒトニスグレタルモノニ 賜爵一階カガフリクライヒトシナタマフ 又諸国言上 承和
九年以往ノ租税未納者 先帝サキノミカドノ御坐之時爾オホマシマシシトキニ 免給倍止勅支 今天皇我御
意止為天イマスメラガオホミココロトシテ 去年以往未納毛コゾヨリヲチツカタイマダヲサメザルモ 復尽マタコトゴトク免給
波久止勅天皇御命乎 衆聞食止宣
[清和天皇御位に即きたまふ時の宣命] (『三代実録』巻第一、清和天皇)
天安二年(八五八)十一月七日甲子キノエネ、天皇位に大極殿に即きたまふ。詔して
曰はく、
明神止大八洲国所知天皇詔旨良万止宣勅 親王諸王諸臣百官人等 天下公民 衆聞食止
宣
掛畏支平安宮爾タヒラノミヤニ御宇之倭根子天皇我宣スメラガミコトガノリタマフ 此天日嗣高御座之業乎
掛畏近江大津乃宮爾御宇之天皇乃 初賜比定賜倍留法随爾仕奉止 仰賜比授賜比之大命
乎 受賜利恐美 受賜利懼利オソリ 進母不知爾退母不知爾 恐美坐久止宣天皇勅乎 衆聞
食止宣
然シカルニ皇止坐天キミトマシテ 天下治賜君波 賢人之良佐乎ヨキタスケヲ得天之 天下乎波アメノシタヲバ
平久安久治物爾在止奈毛聞行須
故是以大命坐宣久 朕雖拙劣 親王等乎始天 王等臣等乃相共奈比奉利 相扶奉牟事依
弖之 此乃仰賜比授賜閉留食国乃天下之政波 平久安久可奉仕止奈毛ツカヘマツルベシトナモ所念
行 是コノ正直之心天ナホクタダシキココロモチテ 天皇朝庭乎 衆助仕奉止宣天皇勅乎 衆聞食止宣
辞別宣久 凡人子乃蒙福麻久サキハヒヲカガフラマク欲為留事波 於夜乃多米爾止奈母聞行須
故是以朕親母藤原氏乎 皇太夫人爾オホミオヤニ上奉利治奉流 又仕奉人等中爾其仕奉状随爾
冠位上賜比治賜布 又大神宮乎始天 諸社乃禰宜祝等爾 給位一階 又僧綱乎始天 諸
寺知行有聞流オタナヒキコユル 并天下僧尼乃年八十已上爾施物賜 又左右京五畿内乃鰥寡孤独ナ
不能自存者ヨルベナキモノ 及天下給侍留人等爾 給御物布 又内外官乃ウチトノツカサ未得解由輩免
賜 又天下百姓乃オホミタカラノ半徭免給ユルシタマフ 仁寿元年以往ハジメノトシヨリヲチツカタノ調庸ミツギ未進
タテマツラズ 在民身者タミノミニアルモノ免賜波久止勅天皇大命乎 衆聞食止宣
[大嘗会の時の宣命] (『朝野群載』巻第十二、内記)
天皇我大命良未スメラガオホミコトラマト勅大命乎ノリタマフオホミコトヲ 諸聞食止宣
今日波大嘗会乃ダイジャウエノ直相乃ナホラヒノ 豊楽畢日爾在トヨノアカリヲハルヒニアリ 故是以黒幾白幾乃
御酒ミキ 赤丹乃穂爾アカニノホニ食へ恵タウベエラギ 罷止為天奈マカレトシテナム 常毛賜布酒乃幣乃マヒノ
御物オモノ賜久止宣
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