1401 範例祝詞[宣命]
参考:堀書店発行「祝詞範例全書」
[文武天皇即位に即きたまふ時の宣命] (『続日本紀』巻第一、文武天皇)
元年(六九七)八月甲子キノエネ朔ツイタチ禅ユヅリを受けて位に即きたまふ。庚辰カノエタツ
(十七日)詔ミコトノリして曰ノタマはく、
現御神止アキツミカミト大八島国所知シロシメス天皇大命良麻止スメラガオホミコトラマト詔大命乎ノリタマフオホミコトヲ
集侍ウゴナハレル皇子等ミコタチ 王等オホキミタチ 百官人等モモノツカサノヒトタチ 天下アメノシタノ公民諸オホミタカラ
モロモロ 聞食止キコシメサヘト詔ノリタマフ
高天原爾タカマノハラニ事始而コトハジメテ 遠天皇祖御世トホスメラギノミヨ中今至麻弖爾ナカイマニイタルマデニ
天皇御子之スメラガミコノ阿礼坐牟アレマサム彌継々爾イヤツギツギニ 大八島国将知次止シラサムツギテト 天
津神乃御子随母ナガラモ 天坐アメニマス神之依之奉之カミノヨサシマツリシ随マニマニ 聞看来キコシメシクル此コノ天
津日嗣高御座之タカミクラノ業止ワザト 現御神止アキツミカミト大八島国所知シロシメス倭根子ヤマトネコ天皇命
スメラミコトノ 授賜比サヅケタマヒ負賜布オホセタマフ貴支高支タフトキタカキ広支厚支ヒロキアツキ大命乎オホミコトヲ受賜
利ウケタマハリテ恐坐弖カシコミマシテ 此乃食国ヲスクニ天下乎 調賜比トトノヘタマヒ平賜比タヒラゲタマヒ 天下乃
公民乎恵賜比メグミタマヒ撫賜牟止奈母ナデタマハムトナモ 随神カムナガラ所思行佐久止オモホシメサクト 詔ノリ
タマフ天皇大命乎スメラガオホミコトヲ 諸モロモロ聞食止キコシメサヘト詔ノリタマフ
是以ココヲモチテ百官人等 四方ヨモノ食国乎ヲスクニヲ治奉止ヲサメマツレト 任賜幣留マケタマヘル国国宰等爾
クニグニノミコトモチドモニ至麻弖爾イタルマデニ 天皇朝廷スメラガミカドノ敷賜シキタマヒ行賜幣留オコナヒタマヘル国法
乎クニノノリヲ 過犯事無久アヤマチヲカスコトナク 明支浄支直支アカキキヨキナホキ誠之心マコトノココロ以而モチテ 御
称称而イヤススミススミテ緩怠事無久オコタルコトナク 務結而ツトメシマリテ仕奉止シカヘマツレト詔大命乎ノリタマフオホミコト
ヲ 諸モロモロ聞食止詔キコシメサヘトノリタマフ
故如此之状乎カレカクノサマヲ聞食悟而キコシメシサトリテ 款イソシク将仕奉人者ツカヘマツラムヒトハ 其仕奉礼良牟
ソノツカヘマツレラム状随サマノマニマ 品品シナジナ讃賜上賜ホメタマヒアゲタマヒ 治将賜物曽止ヲサメタマハムモノゾト
詔ノリタマフ天皇大命乎 諸聞食止詔
仍ヨりて今年の田租、雑徭并に庸の半を免じ、又今年より始めて三箇年、大税(正税)の
利を収めず、高年老人に加へ恤アハれむ。又親王以下百官人等に物を賜ふこと差シナあり。
[藤原不比等に食封ジキフを賜ふ時の宣命] (『続日本紀』巻第三、文武天皇)
慶雲四年(七〇七)夏四月壬午ミヅノエウマ(十五日)、詔して曰はく、
天皇詔旨勅久スメラガオホミコトラマトノリタマハク 汝ミマシ藤原朝臣乃フヂハラノアソミノ仕奉状者ツカヘマツルサマハ 掛
母畏支カケマクモカシコキ天皇スメラガ御世御世ミヨミヨ仕奉而ツカヘマツリテ 今母又朕卿止アガマヘツギミト為而シテ
以明浄心而アカキキヨキココロヲモチテ 朕乎アレヲ助奉仕奉事乎タスケマツリツカヘマツルコトノ 重伎労伎事乎イカシキ
イトホシキコトヲ 所念坐オモホシマス御意坐爾ミココロマスニ依而ヨリテ 多利麻比弖夜夜彌タチマヒテヤヤミ賜閉婆タマヘ
バ 忌忍事爾イミシヌブコトニ似事乎志奈母ニルコトヲシナモ 常労彌ツネイトホシミ重彌イカシミ所念坐久止オモホシ
マサクト宣ノリタマフ
又難波ナニハノ大宮オホミヤニ御宇アメノシタシロシメシシ掛母畏支天皇命スメラミコト(孝徳天皇)乃 汝父藤原
大臣オホオミ(鎌足)乃仕奉売賈流状乎婆ツカヘマツラヘルサマヲバ 建内宿禰タケシウチノスクネノ命乃仕奉賈流
事止同事叙止オナジコトゾト勅而ノリタマヒテ 治賜慈賜賈利ヲサメタマヒメグミタマヘリ
是以ココヲモテ令文ノリノフミニ所載多流乎ノセタルヲ跡止為而アトトシテ 随令ノリノマニマ長遠久ナガクトホク 始今
而次次イマニハジメテツギツギ被賜タマハリ将往物叙止ユカカムゾト 食封ヘビト五千戸イチヘ賜久止タマハクト勅命
聞宣ノリタマフオホミコトヲキコシメサヘトノタマフ
[元明天皇御位に即きたまふ時の宣命] (『続日本紀』巻第四、元明天皇)
慶雲四年秋七月壬子ミヅノエネ(十七日)、天皇大極殿に即位アマツヒツギシメシメす。詔して
曰はく、
現神アキツミカミト八洲オホヤシマグニ御宇シロシメス倭根子ヤマトネコ天皇詔旨勅命スメラガオホミコトラマトノリタマフオホミコトヲ
親王ミコタチ 諸王オホキミタチ 諸臣オミタチ 百官人等モモノツカサノヒトタチ 天下公民衆アメノシタノオホミタカラモロモロ
聞宣キコシメサヘトノリタマフ
関母威岐カケマクモカシコキ藤原宮フヂハラノミヤミニ御宇アメノシタシロシメシシ倭根子天皇(持統天皇)丁酉ヒノトノ
トリノ八月爾ハヅキニ 此食国コノヲスクニ天下之業乎ワザヲ 日並所知ヒナメシノ皇太子ミコ(草壁皇子)之
嫡子ムカヒメバラノミコ 今御宇豆留アメノシタシロシメシツル天皇(文武天皇)爾授賜而サヅケタマヒテ 並坐而
ナラビイマシテ 此天下乎治賜比諧賜岐ヲサメタマヒトトノヘタマヒキ
是者コハ関母威近江オフミノ大津宮オホツノミヤニ御宇大倭オホヤマト根子天皇(天智天皇)乃与天地アメツチト
共長トモニナガク 与月日共ツキヒトトモニ遠トホク 不改カハルマジキ常典止ツネノノリト 立賜比タテタマヒ敷賜覇留
シキタマヘル法乎 受被賜坐而ウケタマハリマシテ行賜事止オコナヒタマフコトト 衆モロモロ受被賜而ウケタマハリテ 恐美
カシコミ仕奉利豆羅久止ツカヘマツリツラクト詔命乎ノリタマフオホミコトヲ 衆聞モロモロキコシメサヘト宣ノリタマフ
如是カク仕奉侍爾ツカヘマツリハベルニ 去年コゾノ十一月爾シモツキニ 威加母カシコキカモ我王ワガオホキミ朕子
アガコ天皇スメラミコト(文武天皇)乃詔豆羅久ノリタマヒツラク 朕アレ御身ミミ労坐故ツカラシクマスガユエニ 暇
間得而イトマエテ御病ミヤマヒ欲治ヲサメタマハムトス
此乃天豆アマツ日嗣之位者クラヒハ 大命爾坐世マセ 大坐坐而オホマシマシテ治可賜止ヲサメタマフベシト 譲
賜ユヅリタマフ命乎オホミコトヲ 受被賜坐而ウケタマハリマシテ 答曰豆羅久コタヘマヲシツラク 朕者アハ不堪止タヘジ
ト辞白而イナビマヲシテ 受不坐在間爾ウケマサズアルアヒダニ 遍多久タビマネク日重而ヒカサネテ譲賜倍婆ユヅリ
タマヘバ 労美威美イトホシミカシコミ 今年六月ミナツキノ十五日爾トヲカアマリイツカノヒニ 詔命者オホミコトハ受賜止
ウケタマフト白奈賀羅マヲシナガラ 此重位爾イカシクライニ継坐事乎奈母ツギマスコトヲナモ 天地アメツチノ心乎労美
重美イトホシミイカシミ 畏坐佐久止カシコミマサクト詔命ノリタマフオホミコトヲ 衆聞宣
故是以カレココヲモテ親王ミコタチヲ始而 王オホキミ 臣オミタチ 百官人等乃 浄明心以而 彌務爾イヤツトメ
ニ 彌結爾イヤシマリニ 阿奈奈比奉アナナヒマツリ輔佐奉牟タスケマツラム事爾依而志コトニヨリテシ 此食国天下
之政事者マツリゴトハ 平長タヒラケクナガク将在止奈母アラムトナモ所念坐オモホシマス
又天地之共アメツチノムタ 長遠ナガクトホク不改カハルマジキ常典止ツネノノリト立賜覇留食国法母 傾カタブク
事無久動ウゴク事无久コトナク 渡ワタリ将行止奈母ユカムトナモ所念行左久止オモホシメサクト詔命 衆聞宣
遠皇祖トホスメロギノ御世乎始而天皇スメラガ御世御世 天豆日嗣止高御座爾坐而タカミクラニマシテ 此
食国天下乎 撫賜比ナデタマヒ慈賜事者メグミタマフコトハ 辞立不在コトダツニアラズ 人祖乃ヒトノオヤノ意
能賀オノガ弱児乎ワクゴヲ養治事乃如久ヤシナヒヒタスコトノゴトク 治賜比ヲサメタマヒ慈賜来業止奈母メグミ
タマヒクルワザトナモ 随神カムナガラ所念行須オモホシメス
是以先豆先豆マヅマヅ天下公民之上乎慈賜久メグミタマハク、天下に大赦して、慶雲四年七月昧
爽アケボノより以前サキの大辟罪シヌルツミ以下、罪軽重と無く、已に発覚アラハれたるもの、末だ発
覚れぬも、咸コトゴトく赦除ユルしたまふ。其の八虐の内已に殺し訖ヲハれる、及マタ強盗窃盗
の、常赦に免ユルさざる者は、並に赦す例カズに在らざれ。前後の流人ルニン、反逆の縁坐、
及移郷者は、並に放還すべく、山沢に亡命し、軍器を挟蔵して、百日首マヲさざるは、罪
を復すること初の如くせむ。侍を給へる高年百歳以上には、籾二斛コクを賜ひ、九十以上
には一斛五斗、八十以上には一斛、八位以上には、級別に布一端を加へよ。五位以上は
の例に在らざれ。僧尼は八位以上に准じて、各籾布を施せ。鰥寡クワンクワ煢(心扁+旬+子
)独ケイドクの自ミヅカら存すること能はざる者を賑恤シンジュツし、人別に籾一斛を賜へ。京師
・畿内及大宰ダザイの所部(西海道)の諸国には、今年の調を、天下の諸国には今年の田
租を復賜久止ユルシタマハクト詔ノリタマフ天皇大命乎 衆聞宣。
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