04e 中国名著解題1
説苑ゼイエン
前漢の劉向の撰した書で,二十巻から成っている。これは君道,心術,建本,立節,
貴徳,復恩,政理,尊賢,正諌,敬慎,善説,奉使,権謀,至公,指武,説叢,雑言,
弁物,修文,反質の二十編に分かれており,一編が一巻になっている。編毎に序説が
あって,逸事が続いていることは,同人の著になる「新序」と同じ編集方法である。
つまり,政治や社会・学問などについて,古人の逸事や旧聞を捜し求めて,分類配列
したものである。
斉書セイショ
梁の蕭子顕の撰した史書で,十一巻から成っている。「南斉書」とも云う。
赤壁賦フ
宋の蘇軾ソショク(東坡)が湖北省赤壁に舟遊して作った文章で,「文章軌範」に収載し
てある。
世説セゼツ
「世説新語」とも云う。宋の臨川王劉義慶の撰した書で,八巻から成っている。後漢
より東晋までの逸話や佳話を三十六部門に分けて集録したものである。「新語」とは,
同じ様式で編集された劉向の「新序」や「説苑」に対して云ったものである。なお,
梁の劉孝標が標注を加えている。これは天保二年(1831)にわが国に翻刻本が出てい
る。
前漢書
「漢書」とも「西漢書」とも云う。後漢の班彪とその子班固・班昭兄妹の三人の手に
成る百二十巻の史書である。前漢の高祖から元始五年まで十二代二百三十余年の史実
を書いたものである。
戦国策センゴクサク
漢の劉向リュウキョウの撰した書で,三十三編から成っている。周の安王の時代から秦の始
皇の時代に至る二百四十五年間の十二国の興亡が書かれている。その中には多くの策
士たちの活動振りや議論が書き集められている。つまり「謀略の書」と云われる。ま
た,単に「国策」とも呼ばれる。一種の「野史」と云うべきものである。
千字文センジモン
梁の周興嗣の編纂した書で,一巻である。これは梁の武帝が諸王に書を習わせるため
に,殷鉄石に命じて重複しないように一千字を選ばさせたが,何ら順序もなく意味も
ないので,更に興嗣に命じて四言古詩,二百五十句の韻文に整理したものである。こ
れは今なお,習字の手本,定本として広く使用されている。
全唐詩ゼントウシ
清の康煕四十二年,彭定求などが勅を奉じて撰したもので,九百巻,目録十二巻から
成っている。これは「御定」の二字を冠してある。内容は,作者二千二百余人,詩の
数四万八千九百余首と云う膨大なもので,まず,帝王后妃の作を巻頭に,楽章楽府を
収め,次に諸臣の詩を収め,次に連句,逸句,名媛,僧道,外国,神仙,鬼怪,諧謔
及び諸雑体の順に集録されている。その様式は厳正で,校訂もまた完璧である。
潜夫論
漢の王符の著作で,十巻から成っている。王符は当時の政治を批判して世を厭い,著
作に専念したので,自著にもこのような題名を付けたものである。
禅林類聚
中国の禅僧,道・知鏡の共編したもので,二十巻から成っている。これは仏典の類書
である。
宋史ソウシ
元の順帝の勅を奉じて,托克托タクコクタク等が宋代三百十七年間の事跡を記した歴史書で
ある。本紀四十七巻,志百六十二巻,表三十二巻,伝二百五十五巻から成っている。
編集の趣旨は,道学の精神を表すことに重点を置き,他のことはただ形を備えるだけ
で,精粗繁簡が当を得ていない憾みがある。
荘子ソウジ
周の荘周が著した書で,八巻(現存するもののみ,三十三編(内編七,外編十五,雑
編十一))から成っている。そのうち開巻の逍遥遊と斉物論の二編は荘子の手になり,
他は全て門人の追作と云う。その内容は老子の,人間は生まれながらの本性を保てば
幸福である,と云う無為に通ずる道徳説を述べている。文章は自由奔放,寓話が多い。
宋書
斉の武帝の勅令で,沈約が編纂した百巻の書である。これは南北朝の宋の時代,六十
年間の事実を記録したものである。
楚辞ソジ
前漢の劉向が編纂した書で,十六巻から成っている。これは楚の屈原,門人の宋玉・
景差ケイサの詞賦シフに,漢の賈誼カギ・淮南・小山・東方朔・厳忌・王褒の諸作と,自作
の九歌とを付けた詩集である。「詩経」の北方忠臣の詩集であるのに対し,南方詩人
の最初の詩集である。殊に屈原の作は,忠誠の熱情溢れる傑作として名高く,また五,
七言古詩の発生に寄与するところ大なりとされている。
素書
宋の張商英の編纂した書で一巻である。黄石公の撰と言うのは誤りである。原始・正
道・求人の志・遵義など六編から成っている。
祖庭事苑
宋の睦庵善卿が編纂した八巻の禅宗辞典である。
孫子ソンシ
春秋時代の孫武,その子孫の戦国時代の孫膳ソンゼンの著と云われ,十三編から成ってい
る。極めて合理主義的な戦法を唱えた兵法書である。その内容は,始計,作戦,謀攻,
軍形,兵勢,虚実,軍争,九変,行事,地形,九地,火攻,用間に分かれている。最
古の兵法書であるばかりか,中国の戦略の聖書として尊ばれ,わが国でも戦国時代以
後,大いに尊重され,実戦に活用された。古くから「呉子」と併称されて孫呉の兵法
として知られている。魏の武帝の注釈本三巻がある。
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