83c 第二章 哀惜さるゝ老将軍の不時の死による深遠厳粛なる同感的な宗教心の目覚め
 
 第三節 乃木神社神道信仰宣布の必要
 
 上述の如く、乃木聖雄が宗教と倫理の根本原理として取上げたのは、至誠であり、誠
実であり、正直である。神道では屡、之れを内清浄と呼ぶ。聖雄は、教えのままに、全
く宗教と道徳の根本義に立って活動されたのである。聖雄が神と呼ぶものは、この至誠、
誠実、又は正直についての宗教的な倫理的な原理であり、真実なもの、哲学上の実体、
神的な存在即ち神なのである。その上に、聖雄は不断の訓練と修養とに依って、この神、
即ちこの絶対者、即ちこの至誠を実現したのである。即ち、人としての聖雄自信の内に
これを実現したのである。神人即一教的な日本人の間にあって、聖雄はその信徒たちか
ら、神聖なる者即ち神の権化として崇敬されたのである。このような訳で、乃木神社の
神道神学の道徳的教理は至誠であり、誠実であり、正直である。
 
 これは基督教の博愛、仏教の大慈悲と同様に、宗教上の倫理的性質の根本原理なので
ある。今日の如く、世界の内外共に重大な時期には、至誠、誠実、正直と云う根本的な
道徳原理を人々の日常生活の中に実行することが最も必要である。それは今日無くては
ならぬものである。それは人間の新しい世界、即ち偽善や暴力に依る獣の世界ではなく、
羊の皮を被った狼の世界即ち人面狼心の世界ではなく、戦争と云う、冷熱の、鉄の枷か
ら解放された世界を創造する最も偉大なる精神力なのである。至誠、誠実及び正直に依
って、人間は解放され、天国が再び戻って来るのは確実である。これは偉大なる精神上
の指導者である、神光赫如たる円光を負うた乃木聖雄の忠実な信徒達が至誠、誠実、正
直の徳を日々行うか否かにかかっている。
 
 神道信仰の要訣は、至誠、誠実、正直又は内清浄の一つの行いは、幾百の策謀にまさ
ると云うことである。それ故、乃木神社の御手洗の水盤の表面には「洗心」(心を浄め
る)の銘があって、先ず参拝する人々に、このことを警告している。如何なる徳も実行
が伴わなくては、その名に価しない。そして信仰から来たものであっても、それに知識
と云う基礎が無くてはならない。健全な心、穢れの無い清浄な心と道徳の真摯な実行と
は一個不可分のものである。即ち乃木神社の神道信仰論の三位一体である。さあ、皆さ
ん! お手を貸して下さい。世間的な賎しい敗徳の心を救うために、そして真心と至誠
の徳を清らかに澄んだ水を以て、不断に燃え続けている、あの制し難い欲望の火を消す
ために。そうすれば、希望に満ちた夜明けが参ります。神社では篤信の人々の耳には神
の声が聞こえます。公のために最善を尽しましょう。己が未来は神様の御手に任せて。
 
  徳操千鈞重  徳操千鈞重し
  鴻毛生死軽  鴻毛生死軽し
  至誠唯一貫  至誠唯だ一貫
  神鑑独公明  神鑑独り公明
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