82c 第一章 神道と他の諸宗教
 
 第五節 知識の進化と宗教の発達
 
 人知は、常識即ち普通人の知識と一層高級に知恵即ち良く教育され良く学んだ階級の
知識とに大別される。常識は更に、無教育な無学な者即ち殆ど教育を受けない者の知識
と思慮ある者即ち良く教育されて、中には非常に深い洞察力をもつ者の知識とに細分さ
れる。進化の進につれて、知識の水準が段々と高まり、科学的哲学的知識や学問の最高
の段階が専門家や学者に依って得られる。このように、無教育で無学な者の知識 − 思
慮ある人々の知識 − 及び学者専門家の知識 − の三種の知識がある。
 
 さて、これ等三種の知識を宗教上の二段階即ち自然教と文明教に関連して述べてみよ
う。認識の立場からみると、自然教とは、何であるか。先ず、それは過去と現在の、無
教養無教育な自然人の間の宗教である。この答は、正しい。しかし、文明世界の無教養
無教育な人々の間にも多くの自然人の居ることを忘れてはならぬ。彼等は教養あり、思
慮深い人々の間に自由に混ってはいるが、その影響は受けないで、相変わらず、多霊教
や多神教の間にさ迷って自分達の水準から抜け出ようとはしない。正しく、所謂自然人
である。
 
 神道信者の中には、この低級な宗教に属している者のあることは事実である。しかし、
仏教でも基督教でも、その点は同様である。ニュートンやカントのように、哲学や科学
の分野における専門家でなくとも、その人の知識道徳の水準の高いところから判断して、
その人は思慮深い人であると呼ぶのである。哲学者や科学者達は知識の低い段階の人々
や、も少し進んだ常識の持主に比べて、学問のある専門家であり、老練家である。自然
教期の宗教は、一般に過去及び現在の無教養な人々に信ぜられ、実行されている宗教で
ある。
 学問ある専門的な老練家や教養ある思慮深い人々の間に文明教期の宗教即ち道徳的、
知的宗教が行われている。神道は、厳密に云えば、国民的宗教であり、地域的な即ち制
度上の特殊教で普遍的な個人的な宗教ではない。しかし、神道は自然教期の段階を経て、
仏教や基督教と同一水準に達して、文明教期の宗教となった。今日まで無視されていた、
この歴史上の事実を、比較宗教学や宗教学を学ぶ者は心に銘記しなくてはならぬ。この
点において、なかんずく、神道は、紀元前八世紀から七世紀にかけてのイスラエルの予
言者教に似ている。と云うのは、神道も予言者教も、共に国民的宗教であって、普遍教
ではないが、しかし各々文化的な即ち論理的な知的な宗教である仏教や基督教と十分に
匹敵し得る文明教期の宗教である。
 
 上述のことで明らかなように、宗教評価の根本的な標準は、或る宗教が国民的である
とか普遍的であるとか云うのではなくて、それが自然教期の宗教か文明教期の宗教かと
云うことである。
 
 第六 結論
 
 宗教一般及び特に神道に関するこの短い研究から、吾等は次の結論に達する。
 宗教は人と神との特殊関係であり、(一)そこで人は自分の内で神と一種の霊的な交
渉を自覚し、(二)又そこでは、人は意識の中で同化して神と一つになる。
 過去及び現在の神道は明らかに日本人と密に一体となっている宗教である。それは自
然教期と文明教期の総ての段階を経て発達し来った日本人の本性の信仰である。神道は
宗教ではないと云う主張は全く正しくないし又論拠の無いものである。それは明治政府
の横暴な官僚的態度であって、古神道を復活して、政治上の目的に使うために、その宗
教的性質を否定したのである。明治、大正、昭和の時代を通じて、この誤った考えで教
育されたのであるから、大多数の人々が、神道は宗教ではないと云う謬見即ち政治上の
偏見を持つに至ったことは驚くに足りない。
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