11f 乃木将軍詩歌集「短歌」
國のため力の限りつくさなむ
身のゆく末は神のまにまに
明治四十五年二月の作。
緋縅ヒオドシや小櫻をどし春ふけて
もえぎをどしに卯の花の袖
明治四十五年四月頃の作。
ほとゝぎすおのがまにまになく聲を
こゝろこゝろに人はきくなり
明治四十五年五月中頃、学習院内において詠む。
時ならで又面白くきかれけり
青葉がくれの鴬スグイスの聲
よき一日若殿原にさそはれて
多摩の河原に遊びくらしぬ
むれあそぶ子らのしわざの面白く
たまの河原にひと日暮しつ
右三首は明治四十五年五月十二日、輔仁会の遠足で多摩川に行かれた時の作。
さみだれにものみな腐クサれはてやせむ
ひなも都もかびの世の中
明治四十五年六月、学習院教員食堂において一同に示されたもの。「黴華美音近し」
と追書されている。
大君の御楯とならむ身にしあれば
みがゝざらめや日本心を
以下掲げる歌は年代未詳のものである。
百ちひとつ君が代祝ふつゝの音は
うみの内外にとゞろき渡る
年代未詳であるが、紀元節の日に詠まれたものと言う。
この里にいつ初霜のふりつらむ
櫨ハゼの葉ずゑはもみぢしにけり
身は老ぬよしつかるともすべらぎの
大みめぐみにむくいざらめや
黒駒のしらあわはませますら雄が
岩が根木の根ふみさくみゆく
しぐれふる片山蔭のならの葉は
もみぢもあへずちりはてにけり
ちりひぢのいぶせかりつるあともなし
大路小路に雪のつもりて
春あさみとふ人もなき梅ぞのを
我もの顔に鴬の鳴く
我もまた皇軍人ミイクサビトの数なれば
のどにはあらじのどに死なめや
雨はれて若葉すゞしき木コの間より
さし出る月の影のさやけさ
ふる城にたてる鉾杉ホコスギ影たかみ
弓張月の入りかねて見ゆ
月ごとに月はみつれどひとゝせに
くまなき影をいくたびか見る
松に吹く風ものどかに渡るなり
花なき庭も月朧オボロにて
いねやらぬ人もあるらん望月の
かたぶく空にこゝろのこして
散花チルハナとかたぶく月のなかりせば
いかでこの世の樂しかるべき
色あせて木ずゑに残るそれならで
ちりてあとなき花ぞ戀しき
霜にさゆるひづめの音に心せよ
ひんがしの空に弓張の月
千早振チハヤブル神代の月のさへあれば
手洗川も濁らざりけり
ふるからに消えゆくあとのきよげなる
なにゝたとへむ春のあは雪
はれてさへをぐらきものを夏木立ナツコダチ
賎シヅが伏屋フセヤの五月雨サミダレの空
狭田サダ長田オサダ瑞穂ミズホの束もまさりけん
神のめぐみの水無月ミナツキの雨
ひろくともふみなまよひそすぐならぬ
いぶせかりけるみちならぬ道
花をいけ茶をのむ道をならふとも
腹切るすべをわするなよ君
大君のへにこそ死なめもののふは
うきてう事のなどかあるべき
われゆかば人もゆくらむ皇國の
たゞ一すぢの平らけき道
國のため散る一ひらは惜しまねど
あだにぞ散るな大和櫻は
青柳のいとおもしろく白玉の
みすまるなしぬ春のあは雪
みすまる(御統)は上代の首飾りや腕輪のこと。
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