11g 乃木将軍詩歌集「短歌」
 
 くれかゝる空にほのめく星が岡
 ひえの社ヤシロの春の夜神樂ヨカグラ
 
 「ひえの社」は山王権現を祀る日枝神社のことで、その境内一帯の地を星が岡と呼ぶ。
 
 筑波ツクバ山峰はさやかに見ゆれども
 ふもとはなべて霞なりけり
 
 [辭世]
 
 神あがりあがりましぬる大君の
 みあとはるかにをろがみまつる
 
 うつし世を神さりましゝ大君の
 みあたしたひて我はゆくなり
 
 右辞世二首は、大正元年九月十三日、明治天皇の御大葬当日、将軍切腹殉死の際、詠
まれたもの。
 なお、将軍の和歌の師である井上通泰氏に次のような手記がある。
 「大将の詠まれた二首の辭世を自分に見せられたのは、自殺の一ケ月前即ち八月十三
日であったが、その歌は二首共に結句は『をろがみまつる』となってゐた。のち辭世が
發表になってから見たら、この第二の歌の結句は『我はゆくなり』となってをる。其れ
は恐らく初めから『我はゆくなり』であったらうが『我はゆくなり』のまゝで人に見せ
ては殉死の決心が自然現れるので『をろがみまつる』として自分の添削を受けられたも
のと思ふ。大将は其の後八日(九月)の朝に自分を訪れた時にも又この事を話されて『
二首共末が同じでをかしいか』と言われたから、自分は『上の句が違ってゐますから、
それで宜しいでせう』と答へた。然るに八日の朝、自分を訪れた後、其の足で目白の山
縣公(有朋)を訪はれたさうであるが、其の時山縣公の處に、半切に書かれたのにも、
やはり二首共に結句は『をろがみまつる』となっていたさうであります。」
 同日、静子夫人の辞世
 
 いでましてかへります日のなしときく
 けふのみゆきにあふぞかなしき
 
 を井上氏にみせたところ「至極よろし」かるべき旨答えたということである。
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