03 乃木神社由緒記
乃木神社由緒記
参考:中央乃木会「乃木神社由緒記」(昭和48年1月1日発行)
本稿は,昭和48年中央乃木会発行「乃木神
社由緒記」を参考(一部省略)にさせて頂き
ました。
昭和51年,SYSOPが乃木神社において神社実
習をさせて頂きました。この際,言葉に尽く
すことの出来ない程の,多大なご教示御指導
の数々を賜りました。厚く御礼申し上げます。
これからも益々乃木神社社頭のご隆盛をお祈
り申し上げます。SYSOP
一、祭 神 乃木希典マレスケ命
一、配 祀 乃木静子シズコ命
一、辞世の和歌
臣希典上
うつ志世を神さりましゝ大君の みあと志たひて我はゆくなり
希典妻静子上
出てましてかへります日のなしときく けふの御幸に逢ふそかなしき
一、祭神の御神徳
乃木将軍の御高徳を一語にして表すならば、忠誠に尽きる。明治という光輝ある時代
の忠誠の象徴として御祭神は祀られている。幾時代が変遷しようとも乃木将軍の自らに
対し、又父母に対し、そして国に対し誠を以て生涯を貫いた御事蹟を伏して慮るに、稍
もすれば忘れ勝ちな日本とは、日本人とは我々一人々々の精神ココロの中にあるのだという
御神訓ミオシエは不変の真理として生きつづけなければならない。乃木将軍が神として祀ら
れた由縁もここにある。
大正元年九月十三日明治天皇の御登遐に殉じて乃木大将御夫妻が自刃されてから十年
を経ずして全国の縁故ある土地に、或は縁故はなくとも崇敬者の誠が凝って乃木神社が
創建せられた。
乃木将軍は文武両道の神である。武に於ては王者の剣であり、一太刀振りおろせば全
てを打払うものである。文に於てはその遺詠に接しても或は学習院々長時代の事蹟を観
てもそれは明らかな如く教行両全の真の学問の神であらせられる。
社頭神前に額く時我々は常に自分自身に対し誠をつくしているか、そして他に対しま
た全てに対し忠をつくしているか厳しい反省をするとき、大きな御神徳により我々の精
神ココロを導いて下される。
昭和四十八年は乃木神社御鎮座五十周年である。半世紀を経て形としての「もの」は
時代と共に流れて同形のものは姿を残さない。しかし精神的な日本本来の「もの」は変
わらないはずである。又変ってはならない。諸々の現象にとらわれて精神的な「もの」
まで変化しているが如き錯覚に陥り、なげかわしき風潮が一世を風靡している観がなき
にしもあらずである。
かかる黒い霧を払いこの美しき日本の国を顕現するのには御祭神の御霊威を戴き、広
く御神徳を発揮する以外にないことを信じて疑わないものである。
最後に「乃木神社信仰信条」を掲げておく。
[乃木神社信仰信条]
一
知信行三本帰一清 至誠聖交神人融合、眷光照護四海善隣、神習範随慎之莫怠
ちしんぎょうノみつハもといっせいニきス しせいせいこうスレバしんじんハゆうごうス
知信行 三 本 一清 帰 至誠 聖交 神人 融合
けんこうハしょうごシしかいハぜんりんデアル かみニならッテはんニしたがヒこれヲつつしんデ
眷光 照護 四海 善隣 神 習 範 随 之 慎
おこたるなかれ
怠 莫
二
至誠一貫神人即一、救悟同帰徳行昭明深信重慶
しせいいっかんスレバしんじんハそくいつ きゅうごハどうきとくこうハしょうめい
至誠 一貫 神人 即一 救悟 同帰 徳行 昭明
しんヲふかクシテよろこびヲかさネン
信 深 慶 重
三
欽仰真神 礼讃聖雄
きんぎょうしんしん らいさんせいゆう
欽仰 真神 礼讃 聖雄
四
身心清一 神徳光被
しんしんせいいつ しんとくこうひ
身心 清一 神徳 光被
五
真祈礼頌
しんきらいしょう
真祈 礼頌
[乃木自依教の歌]
一、 神と人誠一つに輝けば 二つとは無き惟神カムナガラなり
二、 我れも消え誠も消えて何もなし 空に輝くとはの月影
三、 我れも消え乃木も亦消え何も無き 空に輝く月の希典
四、 神を祭り誠一つになれる時 我れを忘れて喜びにみつ
五、 我れに死し神に生くれば唯一つ 残れるものは誠なりけり
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