02d 乃木神社
 
〈水師営の会見〉
                            佐佐木信綱(明治43年)
 旅順開城約成りて
 敵の将軍ステッセル
 乃木大将と会見の
 所はいずこ水師営スイシエイ
 
 庭に一本ヒトモト棗ナツメの木
 弾丸あともいちじるく
 くずれ残れる民屋ミンオクに
 今ぞ相見る二将軍
 
 乃木将軍はおごそかに
 御めぐみ深き大君の
 大みことのり伝うれば
 彼かしこみて謝しまつる
 
 昨日の敵は今日の友
 語ることばもうちとけて
 我はたたえつかの防備
 彼はたたえつ我が武勇
 
 かたち正して言い出でぬ
 「此の方面の戦闘に
 二子を失い給いつる
 閣下の心如何にぞ」と
 
 「二人の我が子それぞれに
 死所シショを得たるを喜べり
 これぞ武門の面目メンボク」と
 大将答力あり
 
 両将昼食ヒルゲ共にして
 なおも尽きせぬ物語
 「我に愛する両馬あり
 今日の記念に献ずべし」
 
 「厚意謝するに余りあり
 軍のおきてにしたがいて
 他日我が手に受領せば
 ながくいたわり養わん」
 
 「さらば」と握手ねんごろに
 別れて行くや右左
 砲音ツツオト絶えし砲台に
 ひらめき立てり日の御旗
 
〈乃木神社境内の主な施設〉
 
本殿・一の鳥居・二の鳥居・手水舎・儀式殿・宝物殿・神符授与所
乃木神社の碑・御製「教育」の碑・乃木神社戦災復興碑
遺詠碑(旧乃木邸)・東郷元帥揮毫社号標(乃木公園)
 
摂社 正松神社                  昭和三十八年一月二十二日鎮座
 
末社 赤坂王子稲荷神社             昭和三十七年十二月二十二日鎮座
 
乃木神社函館分社(北海道函館市乃木町に鎮座)
 
〈旧乃木邸〉
 現存する旧乃木邸は、将軍が明治十二年に此の所へ移られた後、明治三十年に老朽甚
しい母屋を改築されたものである。独乙留学の折、御覧になられた仏陸軍の兵舎を参考
にされ、将軍御自身の設計により、質素且つ強固にして極めて合理的で、階段下・屋根
裏など余すところなく利用されている。又、隣接する厩は、現存の母屋改築より先、明
治二十六年に建築されたものである。
 母屋が木造であるのに対し、これは、英国より取寄せられた煉瓦で造られ、当時の人
々は、母屋に比べ厩が立派であったので、『新坂の厩』と評した。武人の嗜みとして、
まず、厩を築き軍馬を肥やし、後、我が母屋を立てられた。まさに、将軍の御人柄が偲
ばれる。
 
〈乃木家墓所〉
 乃木将軍御夫妻の奥津城オクツキ(神道における墓のこと)は東京の青山霊園にあり、御
尊父、御母堂、子息二典(勝典・保典)を始め、累代の御先祖と共にお鎮まりになられ
ている。
 将軍の墓石は、明治四十四年、英国皇帝戴冠式随行渡航の際、神奈川県真鶴産の自然
石を自ら選ばれたものであり、予め裏面に「明治□十□年□月□日」の文字を刻された。
これが後に墓石となり、「大正元年九月十三日」と併記されるに至った。
 此の時既に、将軍の明治天皇に殉じられる御覚悟の程が窺われるのである。
 
〈各地における乃木将軍を祀る神社〉
 乃木将軍を祀る神社は各地にある。
 縁故深き土地に、或いは縁故は無くとも、将軍夫妻を追慕し敬仰する気持ちから祀ら
れている。
 
 那須乃木神社(栃木県那須郡西那須野町石林) 大正四年鎮座
 長府乃木神社(山口県下関市長府町) 大正九年鎮座
 伏見桃山乃木神社(京都市伏見区桃山町) 大正五年鎮座
 善通寺乃木神社(香川県善通寺市) 昭和八年鎮座
 
〈乃木神社所在地〉
 
 東京都港区赤坂八 - 十二 - 二十七
[次へ進む] [バック]