31 秋田の獅子頭
 
                  参考:秋田県教育委員会発行「秋田の獅子頭」
                             (平成9年3月発行)
 
〈秋田の獅子頭の概観〉
 この調査報告書は、秋田県指定になっている有形民俗文化財の
  旧山田八幡神社獅子頭(湯沢市山田)
  七高神社獅子頭(仁賀保町院内)
  旧若宮八幡神社獅子頭(矢島町元町)
  御嶽神社獅子頭(羽後町西馬音内)
及び有形文化財(彫刻)唐松山天日宮獅子頭(協和町境)の5件を中心に、その他県北
及び由利地方の獅子頭を抽出して調査をし、その記録をまとめたものである。全県300余
に及ぶ獅子頭のうち、1割程度の詳細調査(うち"ささら"2件)をしたものである。
 
 獅子舞は、獅子踊りとも云い、獅子頭を戴いて舞う神事としての民俗芸能で、6世紀
半ばに大陸から伎楽ギガク(古代印度やチベットで発生した仮面劇)や7世紀半ばに舞楽
と共に伝承されたと伝えられている。正倉院に大仏開眼供養(752)に用いられた獅子頭
8個が現存するが、わが国最古の獅子頭である。舞楽獅子は、四天王寺舞楽や隠岐国分
寺の蓮華会舞楽などに継承されている。
 獅子舞は、種々の祭事や大寺の法会などにも採り入れられ、悪魔を払う行道獅子(法
会のとき衆僧が列を組んで読経しながら仏堂や仏像の周囲を右回りの巡り歩き、その先
導役)となり、やがて祇園会の神輿行列など祭礼の練り風流フリュウともなり、更に田楽に
も採り入れられてきた。祭礼の行列には、今日も猿田彦の鼻高面が露払いや悪魔祓いの
先導役を勤める行事が散見される。
 
△二人立獅子
 伎楽系の獅子は、百済の未摩之ミマシによってもたらされた(612)と伝える。当初は、
天地四方に向かって口をパクつかせる単純な所作であったが、やがて獅子は百獣の王と
して畏敬、霊獣化され、この所作により悪疫や天変地異の因となる悪魔を降伏させる呪
術的な意味を持つようになり、前述のような推移変遷を辿る。二人立獅子は、獅子頭と
前肢を一人が受け持ち、獅子頭から垂れた胴幕(幌)の中にもう一人が入って舞う様式
である。
 中世になると伊勢神宮や熱田神宮の御師オンシ(暦やお祓いを配った身分の低い神職)達
が、神宮の代参として全国地方に獅子を回して歩き、悪魔祓いや余興としての曲芸、軽
業カルワザ、獅子狂言などを演じた。江戸時代になるとこの二社が組織を結成するに及ん
で、全国的に伊勢熱田信仰が普及し、獅子舞(伊勢神楽・太神楽・太々神楽)と共に普及
定着してきた。
 
 一方中性から近世にかけて、全国の霊山を修行の場としながら里の人々に加持(密教
などで病気疾患を除くため仏陀の加護保持を祈祷する秘法)して地方を渡り歩いた山伏
達が伝えた獅子舞・神楽がある。これは山伏神楽、修験神楽など各種の名称で呼ばれてい
るが、民俗芸能の分類上は、神楽芸系の一つ"獅子神楽"と云っている。
 この獅子舞・神楽は、全国の霊峰の周縁部に分布し、山伏修験の呪術の色を濃く伝え残
している。最も豊富にそして特殊な縁起や演目を遺習しているのが東北地方で、分けて
も青森、秋田、岩手の北部三県である。青森県下北半島では、修法としての獅子舞の部
分を権現舞、他の舞曲の部分を能舞と呼び、八戸三戸地方では単に神楽、山形県庄内で
は比山、比山番楽、秋田県では獅子舞、番楽、岩手県では法印神楽、能舞、山伏神楽な
どと呼んでいる。
 
 青森県は岩木山、恐山、岩手県は早池峰山、黒森山、秋田県は駒ヶ岳、太平山そして
山形県境に聳える鳥海山などと、霊峰が修験の道場で、山伏達は、それらの山々を根城
に年の暮れから正月にかけて、その年の厄払いや五穀豊穣祈願のため、権現様と称する
獅子頭(天竺の仏が権カリに神の姿に現じて衆生シュジョウを救うを云い、獅子頭はその姿 −
 垂迹思想)を担いで村々を回り、戸毎に獅子舞を舞った。これを「門打ち」とか「春祈
祷」と云い、また獅子の歯をカタカタさせると、厄払いに効き目があると云うので、こ
の所作を「歯打ち」と称して戸毎に演じた。
 山伏修験達は、巡回する霞カスミ(割り当ての巡回地域)の村々の民家の座敷を舞台にし
て、番数の大成された大和能以前の古風な能風の舞曲を演じた。現在も各地に式三番、
鳥舞、松迎えなどの式舞、悪魔退治、五穀、天照大神など神話を主題とした舞曲、鐘巻、
汐汲など女性の性サガを主題にした舞曲、源平、曽我、屋島、鞍馬、鈴木、巴などの武士
舞(荒舞とも)、そして盆舞、剣舞など山伏修験の験力の強さを誇示する舞曲等数々の
演目を伝え残している。この獅子神楽では、権現舞を最も重要な舞曲としているのは、
既述のように獅子頭を神として崇敬信仰する垂迹思想に基づくものである。
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