15a 長牛老人クラブ区域内の神様
名 称 所在地 故事来歴
大日霊貴神社 長牛 祭神 天照皇大神
社殿 四間四面、鳥居二
大日堂は「だんぶり長者」の伝説に由来し、だんぶり
長者の出身地と云われる長牛と小豆沢・独鈷の大日堂
三社の一つとして、善記(?)二年創建されたと伝え
られている。
昔は大日長根に建てられていたが火災により、安政四
年現在地に建て、更に昭和五十一年再建された。
御神体は勅命により、下向した行基僧正により、桂の
大木で三体の大日如来を彫り、元木を長牛に奉納した
が、小豆沢の大日堂の焼失により移奉し、後日改めて
現在の御神体を彫り奉納したとされている。
毎年一月と八月の十七日に祭典を行っている
[むらのいぶき]
祭神 天照皇大神
善記二年(523)伝説にて創建。
大日堂の創建は「だんぶり長者」の伝説に由来するも
ので、だんぶり長者の出身地が長牛と云われることか
ら、小豆沢・独鈷(北秋田郡比内町)・長牛の大日堂
三社の一社として、善記二年創建されたと伝えられる。
御神体は養老二年再建のとき、時の名僧行基が勅命に
よりこの地に下向され、桂の大木を以て、ア・バ・ウ
ンの體タイの大日如来(阿弥陀三尊)を彫刻し、元木は
だんぶり長者出身地の長牛に、中木は小豆沢に、末木
は独鈷のそれぞれの大日堂に安置奉納したと伝えられ
ている。
ところが小豆沢の大日堂が焼失のとき御神体も焼失し
たので、翌寛文六年再建のとき長牛大日堂の大日如来
を移して奉納している。現在の長牛大日堂の御神体は、
その後に彫刻されたものである。
八月十七日の祭日には神官から祈祷して貰い、御神酒
を戴いて酒宴となる。当日境内には若者達が大太鼓を
担ぎ出し、棒込みから打ち始めて盆太鼓を奉納する習
わしとなっている。
[文化財 「YU10023 板碑(長牛)」]
[地図上の位置→(長牛大日霊貴神社)]
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