10b 小豆沢老人クラブ区域内の神様
名 称 所在地 故事来歴
赤沼大明社 堂ノ上 ○祭神 赤沼大明・天照皇大神・不動尊三社合併社
○別当 安倍洋直氏、管理者 畠山惣一氏
○例祭 八月十三日、当日は大日堂の氏子と部落代表
者で拝礼。
○由緒・由来 元治元年建築され、社庭に小さな沼あ
り。樹齢百十数年程の老木有り。旧大日霊貴
神社御家根萱ぶきでふき替えた時には、御神
体を赤沼大明社にお遷しなされたとの言伝え
もあり、小豆沢地区の人々の忘れる事の出来
ないお社であった。
熊野神社 小豆沢(大日堂の境内)○祭神 熊野大神
○社殿 小祠
○何時代からあったのか不明。元は別の場所にあった
ものを寛文六年(一六六六)に大日堂の境内に遷し
たとされる。熊野田と呼ばれる神田があったが、現
在も熊野田と称する屋号の家がある。
大己貴神社 小豆沢(大日堂の境内)○祭神 大己貴神・保食神・大物主神
○社殿 二間四方
○この社は、昭和五十七年にホソ神と呼ばれていた大
己貴神社と、ソウゼン様と呼ばれていた駒形神社、
それに琴平神社を合祀して新たに社殿を建立したも
のである。それぞれの由緒については不明であるが、
江戸時代にはすでにあったことが棟札などで知られ
る。
○この他に大日堂の境内には薬師社や地蔵堂跡の小祠
がある。
縛駄駒形社 鷲の巣地内 五の宮皇子が岳へ登られる途中馬をつないだところ。
馬は疲労の末、石に化してしまったといわれ、社のそ
ばに老杉とともに石(高さ一、〇五米、周り二、一米余
)があり、「ばくださん」と呼ばれ信仰されている。
夫婦石社 尻無沢 五の宮皇子の入山後、御乳母夫婦が尋ねて来山するも、
登山の途中で急坂いばらにさえぎられて遂に眼をつか
れ、二枚の大きな石となったと伝えられる。石の「め
おと神社」の祠がある。
八幡神社 下鷲の巣 白山家(斉藤安三氏屋号)が加賀(石川県)から移り
住んだとつたえられ、そのとき白山神社と共に屋敷神
として拝んだものが、明治の初年同氏の畑に移転まつ
られた。
戦時中出征軍人の武運長久を祈願する家族の参拝がた
いへん盛んであった。
新座館稲荷神社 小豆沢上村 大柳沢の台地上に、杉木立の中に木造の祠がまつられ
ている。
稲荷大明神ののぼりがつくられ、※月※日は祭日とし
て近所が集い、畠山誠一氏が別当役で祭上する。
山神宮 小豆沢 山神宮、堂壱宇一間×二間、屋号笛吹田或いは「かど
のかしら(畠山与七郎氏屋号)」の氏神として祭って
おります。
東側の台地にあり、文政十一年の棟札に「奉建立山神
宮堂壱宇賽殿諸願祈」「裏梵字意味不明」とある。大
工文治郎、木挽孫次郎、金樽(酒の美称)長助とあり。
大工、木挽其の他で酒を酌み交わして上棟を祝ったも
のと想像されます。
又別の棟札には「大旦那御武運長久祈所、奉建立山神
宮堂壱宇、導師四十六世妙光院安信貫義謹言」、裏于
時、元治元年四月吉日、創建不詳。
山神宮御縁日は四月十二日と十二月十二日となってお
ります。縁日には盛大に行われた時代もあったようだ
が今は疎遠にしています。
瀧澤山不動尊 小豆沢 棟札「国土安穏諸願成叶、奉信瀧澤山不動尊新造不動
明王殿堂壱宇諸願大叶修、吉祥院十七世功厳祈祷」願
主畠山茹助昭和会四月八日建立。祭神縁日は旧四月三
日とする。
10-2 五ノ宮千寿(同上)
志和前稲荷神社 志和前 明治以前先祖が津軽街道の岸壁難所の改善工事にたず
さわった時、工事の無事故を祈願され、又明治三十年
代後半に碇発電所が起案され、建築材の煉瓦焼場とし
て神社の側に設置され工事の安全を祈願し、その御神
礼にお堂を修復され、大正八年改築寄進者四十一名労
力奉仕者二十一名の木簡が見られます。昭和六十年改
築資金は、東北自動車道に社地の一部が買収されその
補償金を得て、近隣の崇敬者の支援に依り改築。
祭典は六月二十日、三十名程の信仰者が集まり、大日
堂の神官様を招いて祈願斎行し、夕方から夜まで酒盛
りをし、往時の先人を偲んで来ます。当家屋敷神様と
して後世に長く信仰されますよう、毎月二十日は各自
で参拝しております。
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