11 大里老人クラブ区域内の神様
 
名  称    所在地    故事来歴
 
八幡神社    大里堀合   祭神 八幡様
               社殿 二間四面
               大里城跡北側四五〇米のところに、八幡館と言ふ館跡
               があり、東南隅に二間四面の八幡神社が建設されてあ
               る。起源を探る手掛がありませんでしたが昭和七年改
               築された。寄進者を書いた板のみで他不詳。社居囲ん
               で、径二尺程の社木があることから察すると、二〇〇
               年近いと判断しています。戦時中は鳥居も三門程あり、
               今はない。戦時中は武運長久祈願に近隣より大ぜいの
               参拝、今は殆どない状態です。
 
疱瘡神社    堀合     祭神 疱瘡神社
               大里城跡北側四五〇米、八幡様の西側に疱瘡館と言う
               館跡がある。東南隅に疱瘡神社様一尺四方位の木造り
               の小さい祠がある。鉈削りが「こけし」に似た形の二
               四p位の御神体、昔を探る手掛りは、祠を囲んでそび
               え立つ社木七本のみです。八幡様の社木同様二〇〇年
               程の歳月と思はれる。ハシカ、疱瘡を送るには、赤飯
               をたいて桟俵に上げお詣りしました。今はほとんどな
               い。
               八幡様も疱瘡様も館の名にふさわしく背面の絶壁七丈
               程ある。
 
稲荷神社    大里     祭神 稲荷大明神
               神殿 九尺四面
               屋号孫兵衛(菊地政美氏)宅地の東北隅の小高いとこ
               ろにあり、明治二十八年再築。
               起源は一八〇年ぐらい前と推定される。セトで拵へた
               お稲荷さん五体が社内に安置され、掃除もきれいに行
               き届いている。昔、神田屋敷と言われ、神田さんと言
               う人が当時大里に貢献したと言われている。
 
柳館稲荷神社  北林     祭神 稲荷大明神
               建立は天保六年、法王正明坊が神のお告げで建立。
               巾一尺五寸、長さ五尺程の板にぎっしりと墨書されて
               いるが、うすれた箇所もあり難解で読みとれない。
               建立起の人、喜八、辰三(金沢護夫氏東京都在住)三
               代、清三(田中広貞氏)、大工善吉とある。
               次いで再建は慶応元年発起人明王院(金沢良衛氏)、
               長助(安保長助氏)、源エ門(浅石源太郎氏)五代目
               清三とある。寄進者芳名、一尺に六尺の板に墨書され
               ている。
               昭和四十七年にも改築され、金沢良衛、金沢春松、金
               沢咲男、(碇)田中佐一郎の氏子四人で改築とある。
               どこの神社も終戦までは詣でる人達も多く、神参のは
               婆様方の唯一の交流場でもあったように思はれる。
 
菅原神社    歌内沢    元の神様は屋号重兵衛宅の後方にあったとか、敷地の
               件で重兵衛が神社解体投棄したので、神信仰者浅石ム
               ラ氏が現在地移転再建し、学問の神様として崇敬をう
               けてきた。
 
山神社     飛鳥平    社は金沢春松氏宅の上にありましたが、高速自動車道
               路建設のため、大里グランド下西側に移転す。
               昔は山仕事をする人達は参拝し、無事を祈ったとのこ
               とです。
 
笹森稲荷神社  大里     祭神 正一位稲荷大明神、祭日 四月十二日
               鳥居 花崗岩製二基、鉄骨製一基、木製四基。石燈篭
                  一対、安保秀雄氏
               参道 約二五〇米程、急坂木の根道
               故事来歴 縁起勧請不明
               享保七年村内多兵エ(花輪舟場在住・現安保秀推氏)
               再建。
               寛永二年六月より嘉永三年六月まで六回上京、伏見家
               に神位申請とある。
               昭和七年改築現在に到る。
               当社はかつては霊験顕なる神占の説あり、終戦直後ま
               では自村他場より詣でる人も多かったが、現在は詣で
               る人も稀である。
               社殿 三間四面
 
川原稲荷神社  川原     祭神 正一位稲荷大明神、祭日 八月十九日
               鳥居 木一基、石燈篭一対、高麗狗一対(石)
               故事来歴 縁起勧請不明
               元明三年南部藩士中村小次郎大柳に社領地寄附再建
               文政十年十二月大里村三太(現安保幸男氏)上京伏見
               家神位申請
               嘉永元年六月源エ門(浅石源太郎氏)同
               慶応元年半九郎(現古家謹一氏)同、とあり其後現在
               まで一二四年間は記録がない。
               以前は部落の集会所代わりに使われ、現在はお祭りと
               七夕祭の灯篭の絵描きなどに使われている。
               神殿 二間四面
               拝殿 三間×五間
               渡り廊下 二、五間×一間
               なお、上京伏見家に神位申請した人は外にも二三人あ
               るが、今回は紙幅もないので、現在子孫の分かってい
               る分だけ記入した。
 
               [むらのいぶき]
               祭神 稲荷大明神
               稲荷様は元、歌内川沿いの上流にあったと云い、歌内
               川の大洪水で流されて現在地に止まったので、その地
               に社を建てて祀ったとされる。
               祭日には部落民が集まり、神官を頼み祈祷して貰い、
               御神酒を戴き、夜は青年会により境内で盆踊りが行わ
               れている。
               [文化財 「MI10051 大里川原稲荷神社先祓舞」]
 
観音堂(大里)        [むらのいぶき]
               祭神 観音様
               杉の大木が繁茂し、観音林とも云い、近くに住居もあ
               ったと云う。
               おば杉と呼ばれる大木があり、以前は祭日にはこの杉
               に棚を掛けて祈祷し、太鼓を敲いたり、相撲大会など
               をやって大変盛んであった。
               このすぐ近くに駒形神社など四神社が並んでおり、当
               時大里村の勢力の強さが窺われる。
               この堂は大徳寺の住職が別当となっており、祭日には
               祈祷し、今では村の老人達の楽しみの日となっている。
               観音堂のトッコは二通りあり、古い家柄の集まりが「
               おうと」、部落一般で集まるのが「こうと」と言って
               いる。
               [関連リンク(観音堂)]

[次へ進んで下さい]