[二月]
一日 〈郷内行事 − 年祝〉
二月の一日から三日までを「二月正月」と云い、大正月と同じように若水を汲んだり、
餅を搗いたりしてお正月行事をします。
一日は「年祝トシイワイの日」で、女は三十三才、男は四十二才、六十二才で年祝をしま
す。年祝をする家では祝宴の後、お土産に吊るしてある鱈タラを持たせたり、また厄年の
人達が組んで村人にご馳走したりします。
初午 〈伝統行事 − 初午ハツウマ〉
二月最初の午の日を「初午」と云い、この日は方々の稲荷神社で祭典が行われます。
この日を厄払いの日と定めて、高齢な婦人達は氏神様などを廻ってにお参りし、「火
伏せ(火の用心)」を祈願します。そして各家々を廻り雨戸に水を掛けて、火伏せの呪
いをします。
〈郷内行事 − 初午〉
毛馬内では、初午の日が市日にあたると火事は火が早いとされ、火気に注意するよう
に云われます。また神社に水を持って行き、拝んでから水を家の屋根に掛けて火事のな
いように祈ります。
またこの日大湯では、馬を連れて駒形神社へお参りします。
なお花輪新町の火伏せの行事は、五月の壬辰ミズノエタツの日に行われ、愛宕神社で祈祷の
後、町内をお祓いして歩きます。
節分 〈伝統行事 − 節分・豆まき〉
夕食後、大豆を煎って一升枡に入れ、神前にお供えしてから、家の各部屋を「福は内、
鬼は外」と言って豆を撒き、鬼(悪霊)を追い出します。
煎った豆を年の数だけ食べると健康になると云います。
また囲炉裏に大豆を十二個(閏年のときは十三個)を並べて火を点け、その焼け方に
よって月々の天気を占います。やがて春が到来します。
〈郷内行事 − 豆撒き〉
豆撒きはその家の年男が新しい藁沓ワラグツを履き、炒った大豆を一升枡に入れて煮干し
ダシイワシを載せ、お神酒を神前に供え、拝礼してから行います。主人が裃カミシモを着て撒く
家もあります。豆を撒かないうちに寝ると、白髪になると云います。
豆撒きのときには豊作、招福、疫病退散などの諸願をこめて「福は内、鬼は外」「天
に花咲き地に実がなるように」などと叫びます。
豆は災難除けとして大切に保存します。即ち「夢見の悪かった日には、出かける前に
豆を食べる」「節分の豆を食べると火傷ヤケドにならない、風邪を引かない」などと云い、
また火事場で節分の豆を撒くと火の向きが変わるとも云われ、大事に扱われます。
八日 〈郷内行事 − 針供養〉
主に町家で針仕事をしている人や学校では、古い針や折れた針を集めて豆腐に刺し、
女の病気の神様である淡島明神に納めて拝みます。この日は一日針仕事を休みます。
九日 〈伝統行事 − 繭玉〉
神前に飾ってあった繭玉を、みんなで分け合って戴きます。
この日は赤日と云い、山子達も仕事をしません(旧暦の二月九日は仏滅)。
十五日 〈伝統行事 − 涅槃忌ネハンキ法要〉
涅槃忌法要とは、釈尊入滅の日を追悼する法要のことです。
谷内の延命寺では団子を撒き、子供達はこの団子を拾って食べます。檀家は菩提寺に
お参りし、祖先の位牌を拝みます。
第三日曜日 〈郷内行事 − 土深井裸参り〉
土深井ドブカイに伝わる裸参りは五穀豊穣・家内安全を祈願する伝統行事で、徳川家綱
の時代、寛文十年(1670)頃から始まったと云われます。
この日、正午に太鼓の合図で下帯姿の男衆が番屋前の村堰に向かい、次々に水垢離ミズ
ゴリを執り、その後に早朝から作っていた十五米程の大きな注連縄を担いで稲荷神社の一
の鳥居に奉納し、続いて稲荷神社、八幡神社、駒形神社、山神社を巡拝します。寒気の
中を口には清めの白紙をくわえて声も出さず、走ることもなく粛々と行います。参加し
た若者と子供達は、その年は風邪を引かないと伝えられています。
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関連リンク[稲荷神社・駒形神社(土深井)] [文化財 「MI10052 土深井裸まいり」]
二十五日 「天神講の儀」
この日は、松舘菅原神社の氏子による天神講の儀を執り行います。
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