07 森林の思考・砂漠の思考〈多神教の時代〉
参考:日本放送出版協会発行「森林の思考・砂漠の思考」
△飛ぶ矢の力
人間が人間を超えるものの力を意識したのは,弓矢の使用に始まると云います。弓矢
の発明は,今からおよそ一万年前頃でした。一万年前とは,氷河時代の終わった時点で
す。七万年前に始まったヴュルム氷期は,二万年前に頂点(氷河の最拡大)を迎え,以
後,気温は上昇して,一万年前頃はその上昇速度が最も急でした。
氷河時代は,砂漠がなくなり,森林と草原の時代であったことは前述しましたが,氷
河時代の終了と云うことは,単に氷河が消えただけでなく,砂漠の拡大をも意味してい
ます。ツンドラを含めた意味での草原は面積を縮小し,気温の上昇を反映して森林の面
積が増え,砂漠と森林と云う対比が著しくなって来ました。
草原・ツンドラの縮小は,大型動物の減少を招き,人間は,森林に生活する小型動物
を捕まえて生活するようになります。その技術として弓矢の使用が開発されました。
弓矢の使用を境にして,人間の思考に変化が起こり始めます。それまでは,呪術だけ
の世界であり,呪術とは,あることをなして,その結果を期待することで,自分の力が
中心でした。そして現実の狩猟も,自分の力で投げた槍が飛んで行って獲物を捕らえる
のであり,失敗は,自分の力の足りないことに他ならなかったのです。
しかし,弓矢の力は,人間の力を超えるものでした。強く引き締めれば力は増します。
しかし,しれだけではありません。弓の中に潜む力が感ぜられます。対象が小型化し,
また弓矢で射る距離が遠くなるにつれて,外れる確立も大きくなったでしょう。呪術の
効果も,前ほどではなくなってきました。
人間が人間を超える力を意識することによって,人間自身を外から眺めることが出来
るようになります。それまでは,自分が世界の中心であり,そこから呪術によって力を
外に流出させていたのですが,外から自分を眺めると云うことは,世界の中心が自分の
外に出たことを意味します。そして具体的には,壁画の中に人間自身を登場させること
に表れています。弓矢を放っている人間を絵の一画に描いています。それは自分自身と
云うものを抽象化して意識していると云うことであり,その抽象化は同時に,対象の動
物に及び,動物の形態は抽象化され,形式化されます。三万年前のラスコーでは,観て
いるのは動物だけであり,従ってその動物を極めて写実的に,丁度それが在るような姿
で描くのは当然でした。動物を観ている自分を,また「上から観る」と云うようなこと
はありませんでした。
△農耕の始まり
弓矢の使用は,人間を超える力の存在に気が付く始めでしたが,人は未だ活発に動き
回って,狩猟を主としており,そこでは,基本的に人間中心でしたが,次第に定着し,
農耕を主とするようになって,人間の考え方は大きく転換しました。
農耕の始まりは,今から一万一千年前で,地中海東部からイラク北部にかけての山間
の谷間に発達したと考えられています。少なくとも,絶対年代の測定を伴った最初の農
具の出現がそのことを示しています。
一万一千年前と云いますと,一万年前がヴュルム氷期の最後ですから,氷河時代の末
期に既に農耕が始まったと云うことになりますが,氷河期の終わりを決めるのは細かい
オーダーでは人為的な約束事に過ぎませんので,1000年前後の違いは,あまり重要なこ
とではなく,氷河期が終わって,農耕の時代に入ったと云っても差し支えありません。
人間がどういうきっかけで,狩猟の生活から農耕生活に移行したかは,必ずしも明ら
かではありません。氷河期が湿潤の時代でしたから,氷河期が終わるにつれて進んだ乾
燥化が原因であったと云う説もありますが,一万一千年前と云う,最も古い農具の発見
されているレバノン山脈やザグロス山脈の谷間は,そうした乾燥化の顕著ではなかった
処とされています。
しかし,氷河期が地球的大きさで観ますと草原の時代であり,氷河期の終了と共に草
原が後退し,砂漠が拡大し,サハラからアラビアを経て,タクラマカン,ゴビに至る大
砂漠地帯が出現したのであり,それによって起きたに違いない人間の大移動が,乾燥化
の及ぶ縁辺にあった西アジアの山の谷間にも何らかの刺激を及ぼして,狩猟から農耕へ
の移行を促したに違いありません。
△初期農耕の伝播
氷河期と云う寒冷な時代に,サハラ砂漠に雨が降って草原と化したのでしたが,氷河
期が終わった後の,今よりも気温の高い温暖の極である6000年前を中心とした二,三千
年の「高温期」にもまたサハラ砂漠に雨が降って,「緑のサハラ」が再び出現していま
した。
一万一千年前に始まった農耕と云う生活手段は,8000年頃から顕著になったこの湿潤
化による緑野に,引かれるようにして拡がって行きました。新しい技術の発展は,必要
に迫られた結果としてなされることもありましょうが,農耕の拡大の場合,必要に迫ら
れて,それが拡大したと云うよりは,自然環が変化して,農耕可能地が拡大したために,
寧ろそこへ引かれるように農耕が拡大して行ったと考えられます。
農耕の拡大は,再び出現した緑野に向かってだけでなはありませんでした。現在より
も2度程高かったと推定される温暖な気候状況の下で,その当時の農耕技術でも耕作可
能な地が北に拡がり,デンマーク付近まで農業が拡大しました。
この農耕の技術は,忽ち太平洋を越えてアメリカにまで達したと考えられます。アメ
リカ大陸では野生のトウモロコシがそれによって栽培化されますが,野生トウモロコシ
の最後の形態の遺物が7000年前と云う時代を示していることから,農耕の伝播が「高温
期」に行われたと考えられています。
△神々の時代
さて,農耕は,このように6000年前を頂点とする「高温期」に世界的な規模で拡大し
ましたが,これによって,人間の物の考え方は大きく変換しました。それまでの狩猟の
時代は,自分の力が殆ど全てであり,猟の成功不成功は,自分の技量であり,また,呪
術の上手下手であり,それも結局自分の力によるものでした。氷河時代が終わり,草原
が減少し,弓矢を使うようになって,人間を超える力を意識し始めましたが,農耕生活
に入ることによって,人間は,人間を超える力を益々強く意識するようになりました。
蒔いた種が育って行くのは,土の中に潜む力によると考えるのは当然で,それは人間の
力を超えたものであって,地母神の信仰に発展しました。生長する作物が必要とする雨
を司る力,即ち雨の神の信仰も当然でしょう。雨の無いとき,作物を枯死させる太陽に
も,一つの神格が与えられます。
そういう人間を超える諸力を強く意識するようになり,農耕の始まりと共に,人間は
多神教に時代に入ることになります。しかし,それでもなお,前時代からの呪術も健在
で,地母神へ自分の力を働きかけるために,先の尖った女性像を作って地面に挿し込む
ことが流行しました。
雨の神や太陽神への祈祷も盛んに行われたでしょう。人間を超える力を意識した後に,
それに向かって人間の力を注ぐと云うのは形式的には矛盾ですが,その矛盾の姿は,今
の高等宗教においても珍しいことではなく,寧ろ一般的なことです。
「高温期」の人類の居住地は,再び砂漠のない緑野で,其処に拡大した農耕によって,
人類の大部分は等しく多神教となり,このときもまた,東と西の違いは存在しなかった
と考えることが出来ます。
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