02b 『観音経』と道教
 
 こういった五つの道の教えが,仏教が入る以前の中国に既にそれぞれの流れとして成
立していました。其処へインドの仏教が入って行きます。しかし,仏教が中国へ入って
来るのと前後して,西暦2世紀の後漢の時代からは,このような中国古代の伝統的な安
楽の思想はそのまま道教として引き継がれて行きました。
 最初,道教は安楽の道の実現のうち,呪術宗教的なもの,医術・薬学的なもの,政治
・倫理的なものを主としてその教えを説きました。その中でも呪術宗教的な「道の教え
」が一番重視され,これを基盤として他の四つの道を併せ説かれるようになりました。
中国の道教はこういったものの全てを含んでいます。つまり呪術宗教的な信仰と宗教文
化的なものの全体を包含する「道の教え」 = 「道教」であると云えます。このことを
十分に理解しておかないと,中国の道教の歴史や儒教・仏教との関わり合い,そしてま
た日本の古代や中世の宗教文化において道教が具体的にどのような影響を与え,役割を
果たしているのかと云った問題も判定することが困難になります。
 日本の宗教文化の中には事実,道教的なものが大変多く沈殿しています。即ち仏教の
中には道教が混合された形で様々に残っており,そして特に神道の場合,教義的には殆
ど中国の道教をそのまま使っていると云っても過言ではありません。平安朝の両部神道,
室町時代の伊勢神道,その後における京都の吉田神道,また京都堀川の山崎闇斎の垂加
神道など,何れも教理的という面から観ますと,道教の教理を大幅に導入していること
が注目されます。
 
〈中国仏教と安楽〉
 中国には古くから人間の安楽を実現する道として五つの方向が考えられており,これ
らが道教に引き継がれ吸収されて行ったということのあらましを述べてきましたが,一
方,仏教にしても中国に伝わって,この国で布教し,教えが広まって行くためには,中
国的に教えの体質を変える面がなければなりません。そうでなければ中国の人々を教化
して仏教の信者として行くことは困難となりましょう。斯くてインド仏教が中国的に体
質を変えて行くということは,中国古来の安楽の思想を中国仏教の教理形成の基盤に置
いて行くということになる訳です。
 その最も具体的な例は,西暦3世紀に漢訳された『無量寿経』で,これは後の浄土教,
特に浄土真宗の根本教典ですが,この中に仏教の極楽浄土を「安楽国土」という言葉で
表現しています。これは即ち,中国人に分かり易く,また受け入れ易いように「安楽」
という言葉,更には「安楽国土」「微妙安楽」などという表現が多く使われている例で
す。
 それから『無量寿経』よりも一層多く安楽という言葉を漢訳において使っているのが,
『観音経』をその中に含む『法華経』です。『法華経』には安楽という言葉を篇名にま
で使った一篇の文章があって,それを安楽行品と云います。品とは篇と同じ意味です。
『法華経』にはまた,「安楽心」,「安楽世界」,「衆生の安楽利益」という風に,全
体に亘って実に22カ所に安楽という言葉が使われています。この『法華経』は,西暦4
世紀の終わりに鳩摩羅什クマラジュウによって漢訳された『妙法蓮華経』です。
 このほか年代は下りますが,中国における浄土教の教理書においては,安楽という言
葉が非常に多く使われていて,例えばわが国の親鸞上人が尊敬した雲鸞ドンランの『浄土輪
註』がそうであり,同じく道綽ドウシャクには『安楽集』があります。また日本には,仏教
が朝鮮を経て渡来して以来,安楽寺という寺が各地に建てられて現存している程です。
 このように安楽という言葉は,中国の仏教において非常に重要な意味を持ちますが,
それは中国の古くからの安楽の思想をそのまま受け継いだものと観ることができます。
 
〈法華経と道教教典〉
 『観音経』もまた,前述のような漢訳『法華経』の安楽の思想,更に遡っては漢訳『
法華経』の根底にある中国的な安楽実現の道の教え,その中でも特に呪術宗教的な安楽
の道の教えを最も凝縮的に受け継いだ仏教教典であると観ることができます。
 ということは,『観音経』は漢文で書かれていて,字数は大正蔵経本では1853字です。
このお経は最初から在ったのではなく,後から『法華経』の中に加えられたもので,そ
れが為されたのは中国においてではないかと,という見方さえあった程です。『観音経
』は,それ程に中国的な性格の強いお経なのです。また別の言い方をしますと,中国人
の体質,気質,好みに最も合ったお経であるということもできます。そのことは『観音
経』と同じ内容や性格を持っている道教の教典が大変多いということによっても裏付け
られるのです。
 道教の教典を集めたものを道蔵ドウゾウと云いますが,これは仏教の一切経 = 仏蔵に
対する言葉です。この道蔵は冊数にして1120冊に及ぶ大部です。仏教の一切経は長い間
日本の僧侶や学者によって読まれ研究されてきましたが,道蔵はこれまで学問的には殆
ど読まれたり研究されていません。道蔵の中には,仏教の他に儒学,老荘の哲学,文学,
芸術,医学,薬学,天文学,暦学などが雑多に採り入れられていて,なかなか簡単には
読めないというのが現状です。しかし筆者がその半ば程を読んだ限りにおいては,道蔵
には『観音経』と内容的によく似た文章表現が大変多い。どちらが真似たのかは,簡単
には云えません。一般的には道蔵教典が仏典を真似たと観られることが多いとされてお
りますが,そうとばかりは言い切れない場合も少なくありません。確実に云えることは,
両者の間に共通するものが大変多いということです。
 また道教においては,『観音経』を含む『法華経』を大変重視していたという事実が
あります。例えば,6世紀の道教教団の最高の指導者の陶弘景という天師は,人類の文
明史の中において最高の宗教哲学書として3種の文献を挙げて絶賛していますが,それ
は『荘子ソウジ』の内篇と,道教の教典である『大洞真経』と,鳩摩羅什の訳した『法華
経』です。
 このことによっても,中国人が仏教と道教をきっぱりと分離し,対立する別個のもの
と考えていたとは必ずしも云えないということが明らかなのです。
[次へ進んで下さい]