02a 『観音経』と道教
 
 「経」とは元々中国の聖人の言葉を記録したものであり,聖人の真理は時間と空間を
超えた永遠普遍のものですから,その間に矛盾や対立があってはならないとされ,従っ
てインドの仏教教典についても,中国において「経」と訳される限りにおいては,経の
内容に矛盾や食い違いがあってはならないという大前提が置かれます。しかし現実には,
インドの仏教教理は地域的にも時間的にも変わって来ている訳ですから,矛盾や対立の
ないようにするためには,仏教の教理を中国で体系化し,統一して行くことがなされな
ければなりません。
 そこで教相判釈キョウソウハンジャクということが行われるようになりました。これは仏教のい
ろいろな「教相キョウソウ」,即ち教えの姿を分析解釈して,これを統一し体系化するという
作業のことです。この教相判釈は,中国でも日本でも盛んに行われました。
 第四に,体系化である限りにおいては基準が必要となりますが,その場合に例えば『
法華経』を体系の基準に置いて他の仏教教典の教理を整理して行きますと,これが天台
宗の教理学になります。また,『華厳経』を基準に置きますと華厳宗になります。日本
で云えば比叡山の天台宗であり,また奈良の東大寺の華厳宗ということになります。こ
のようにどのお経を中心に観るかによって,中国仏教のいろいろな学派や宗派が成立し
てきます。
 このようにインドから伝わって来て,中国の漢字文化の中に組み込まれ,道の教え,
つまり道教として中国に受け取られ理解されて来ました中国仏教は,同じ仏教であって
もインドの仏教とは性格と内容を大きく異にしている訳なのです。
 
〈道教としての中国仏教〉
 それでは仏道の教え,つまり一種の道教でもあった中国仏教の具体的な内容はどうい
うものであったのでしょうか。このことを考えるためには,インドの仏教が中国に渡っ
て来る以前の中国人の「道の教え」の具体的な内容が検討されなければなりません。
 古来の中国の人々が人生の理想として追求したことは,「安楽アンラクの道」でした。今
の我々の言葉で言い換えますと,「人生の幸福とは何か」ということになります。
 「安楽」とは安らかで楽しい生活です。「道」というのは,人生の安楽を実現するた
めの道であり,従って「道の教え」とは人生の安楽を実現するための教えのことです。
如何にすれば人間は安らかで楽しい生活を実現することができるのでしょうか。
 昔も今も現実を生きている人間は決して安らかではなく,楽しい生活は困難です。つ
まり人生は危であり苦です。だからこそ人々は安楽の道とは何かと問うことになる訳で
す。
 「安楽」という中国語は,現代の日本では安楽死という言葉で最も良く知られていま
すが,この日本語も本来は中国語の「安楽」と密接な関連を持っています。ただし本来
的な中国語の安楽は「死」と結び付いた言葉ではなく,寧ろ「生」と結び付いた言葉で
した。つまり古代の中国人においては,安楽の生,人生の安楽とは何か,という問いと
してこの言葉が使われていたのです。
 安楽という言葉は中国古代の歌謡集である『詩経シキョウ』の中に,恐懼キョウクという言葉
と組合せて使われます。安らかで楽しいことへの憧アコガれ・願いは,現実の生活が恐ろ
しくて怖コワい,何時もびくびくして居なければならない,という凝視と反省の上に立っ
ているということが『詩経』の歌謡の中でも,はっきりと示されています。その他『礼
記ライキ』という西暦前の古い文献や,『国語コクゴ』『墨子』などの,仏教が入る以前の中
国古代文献にも「安楽」という言葉が様々に使われています。
 
 ところで,仏教が入る以前の中国においては,安楽を現実の人間世界に実現する「道
の教え」として,大体五つの方向が示されています。
 第一は,安楽を実現するための呪術ジュジュツ,宗教的な道という考え方です。
 人間の力は高タカの知れたものであるから,只管ヒタスラ神に祝詞を奉げ,呪文を唱え,或
いは加持祈祷をするという,要するに神の力にお縋スガりすることによって人間生活の安
楽の実現を図ろうという方向です。こういう思想の原形は古く,中国最古代の文献であ
る『書経ショキョウ』の金縢篇キントウヘンの中などに既に観られます。『書経』とは,古の聖天子
の詔勅などを集めた書物で,いわゆる五経ゴキョウの一つです。金縢篇はその書経の一篇で
あり,金縢とは,神に対する誓いの文書を納める箱が金具で縛ってあることを意味して
います。
 このように神に対する誓約・祝詞が2世紀以後,道教の中に大幅に採り入れられ,日
本にも伝わり,現代においても宗教的信仰,行事として定着しています。また道教にお
いて,禁呪を説いた教典に『洞淵神呪経』がありますが,このお経は5世紀頃にできた
もので,日本でも古くから読まれており,修験道や山岳信仰にも影響を及ぼしています。
また京都の祇園社も関係があります。
 安楽を実現する第二番目は,医術,薬学の道の教えです。
 中国において安楽の道が求められる場合,それは必ず生身の体と結び付けて考えられ
ます。霊魂だけの安楽というものはあまり求めません。道教の不老長生の信仰や思想も
同様です。現代の医学にしても,その究極的な理想は道教と同じく不老長生を求めてい
ると云えます。つまり不老長生を実現しようとして病院が建てられ,治療法が研究され
ているのです。
 不老長生を求める中国の医学については,西暦前1世紀に書かれた司馬遷の『史記シキ
(扁鵠倉公列伝)』にも観えています。其処には具体的な臨床医学の実例も二十幾つか
挙げられていて,医師の伝記も書かれています。中国医学は古くから脈法と云って脈を
中心にしており,西暦前から鍼ハリも使われてきました。最近はその鍼が発掘されて話題
を呼んでいます。
 日本でも古く山上憶良ヤマノウエノオクラは,60歳を過ぎてから重いリウマチで苦しんだことが
『万葉集』巻五に「沈痾自哀文(やまいにしずみてみずからかなしむのぶん)」として
載せられています。これによりますと,憶良の場合も初めは加持祈祷などの呪術宗教的
な治療法を採ろうとします。しかし,それだけでは十分ではないと気付いて,中国の医
術・薬学を勉強し,その結果,自分の病気は不養生の所為セイであることが分かりました。
憶良が勉強したのは道教的な医術・薬学です。憶良はそれでも手遅れであるとして,最
後には『涅槃経』を中心とする仏教の信仰に移って行きますが,少なくともある時期に
は,中国の道教的な医術・薬学を熱心に学びました。
 第三は,人間の現実的な生の安楽を十分に実現するためには,政治倫理の確立が第一
であるという考え方です。中国古代において儒家乃至は儒教と呼ばれる孔子・孟子・荀
子・董仲舒などの思想がこれを代表します。
 中国では西暦前3世紀頃から世界的な大帝国が出現します。いわゆる秦・漢の王朝で
す。その帝王は,自分達の地位と権力は神様から授かったものであり,皇帝の位は神聖
であると主張するようになりました。そのことから政治が再び宗教と結び付き,更に倫
理と結び付いて,人民の安楽を政治倫理の力でこの地上の世界に実現するという考え方
になって行きます。つまり安楽が政治倫理の力で実現されるというのが,儒家乃至儒教
の考え方には一貫していました。漢の武帝ブテイに仕えた董仲舒の説く儒教としての教学
が,このような政治と倫理による安楽の道の実現の教えを最も良く代表しています。
 第四は,哲学・形而上学の道の教えです。
 仏教が中国に渡来する以前の古代中国においては,哲学・形而上学によって安楽を実
現しようとする考え方が既に成立していました。その代表的なものが老荘の哲学です。
人間が「道」,即ち世界と人生の根源的な真理に目覚めを持つことによって,つまり哲
学的な悟りを開くことによって,人間の安楽を実現するという考え方です。その他儒教
の教典の中においても『易経エキキョウ』や『中庸チュウヨウ』『楽記』の哲学などには,矢張り
老荘の「道」の哲学が採り入れられていますから,その部門の哲学もこの中に加えてよ
いでしょう。このような老荘の哲学の立場においては多くの場合,政治に対する不信感
というものが基盤になっています。人間の真の安楽というものは,政治だけでは実現さ
れず,それは人間の心の問題であり,思索や思弁による真理への目覚め,真知に基づく
精神の自由こそが人間を安楽にする,そういった自覚が根底にあります。
 第五は,文学・芸術の道の教えです。
 これは人生の安楽の実現を政治や哲学によって期待するというよりも,もっと情感的,
美的な世界の中に,情緒的に安楽を実現しようとする立場です。従ってこの立場は,屡
々空想的(ファンタスティック)な世界へと奔放に思いを馳せて行くことになります。
道教の神仙的な世界,仏教の極楽世界,或いはそれとは反対の地獄などと対比させなが
ら,安楽の世界を情感的,幻想的に描いて行きます。
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