51 神像に関する用語解説
参考:至文堂発行「神道美術」
曼陀羅マンダラ
Mandala(梵語)の音訳。また曼荼羅とも書く。円輪具足エンリングソクと訳している。本来
は密教の修法スホウのために、多くの尊像を一定の方式に基づいて整然と描いた図像を云
う。神道曼陀羅はこれを応用したもので、神影像、本地仏、社殿などによって当該神
社の信仰とその構成を表し、礼拝の対象として用いた幅である。
法楽ホウラク
神仏習合の時代に、神々のために仏教的な修法や読経などを社頭で行って、平素仏教
守護の任に当たっている神々(護法神)の神意を慰めた行事を指す。
本地供ホンジグ
法楽の反対で、神社において本地仏のために供え物をして仏・菩薩を慰める行事。
三社託宣サンジャタクセン
伊勢・春日・八幡を三社と云う。三社託宣は室町時代に吉田神道で考え出したもので、
託宣とは「神のお告げ」の意味である。三社の神号或いはこれに三社の託宣なるもの
を書き添えた軸物は、広く民間で信仰の対象として使用された。
文子の霊託アヤコノレイタク
北野神社(京都北野天満宮)の起原説話。朱雀天皇の天慶五年、右京七条坊に住む巫
子ミコの多治比文子に天満大神(菅原道真公の神霊)が霊託(神のお告げ)を下し、そ
れに基づき右近の馬場を神地を定めて創立したのが、今の北野天満宮である。
式年遷宮シキネンセングウ
一定の年数を定めて神殿を新設し、神体を新殿に遷し祀ること。伊勢の神宮における
二十年目に一度の式年遷宮は有名である。宗教的には建築的な意味よりも、神殿の改
築を契機として、神霊も新しく蘇ることに重要な意義がある。
奉幣ホウベイ
神々に奉献するものを幣帛ヘイハク・ミテグラと総称する。奉幣とは幣帛を神々に捧げ、献納
することを指す。
司水神シスイシン(雨司神ウシノカミとも)
水を司る神、農耕の重要な用水を管理する神々を総称する。旱天や水害の折に祈念す
る神のことである。
神の依代ヨリシロ
神々が姿を現したり、祭礼の際に神々を迎えたりするとき、榊サカキの木などを立てて、
此処に神様が乗り移ったと仮定するものを総称する。
神籬ヒモロギ・磐境イワサカ
何れも古代祭祀における神祭りの場を総称する言葉で、「神祭りの場と其処にある神
の依代」と云う意味である。
本地垂迹ホンジスイジャク
本体である如来や菩薩等が、衆生を救うため、わが国の神々に姿を変えてこの地上に
出現したのであるとする考え方である。その原理は法華経の寿量品から出ている。
神仏習合シンブツシュウゴウ
仏教信仰とわが国固有の神祇信仰とを融合調和する思想、また神仏混淆とも云う。奈
良時代から明治の神仏分離に至るまで、一千百余年間に亘って日本人の信仰や思想形
成の基準となっていた考え方である。
御旅所オタビショ
祭礼のときに神幸があって、仮に鎮座される場所を云う。一種の神籬である。その起
源は原始信仰期に、農耕神を田の畔に迎えて祀った田宮タノミヤや野神ノガミの信仰から始
まったものと云われる。
補陀落山フダラクサン(布咀洛迦山フタラカセンとも)
Potalaka(梵語)の音訳、常に観音菩薩の往来し来遊する場所で、観世音菩薩の浄土
と解釈出来る。わが国では那智山青岸渡寺を以ってその代表的な観音信仰の霊場とし
ている。
来迎ライゴウ
如来や菩薩がこの世に出現して、往生者を極楽浄土へ引導すること。わが国の浄土信
仰では、人の臨終には弥陀が二十五菩薩を引き連れて来迎し、西方の阿弥陀浄土へと
引接インゼウすると信ぜられてきた。神道画にも来迎思想の影響がみられる。
幣殿ヘイデン(中殿とも)
本殿と拝殿の間を連接する建物で、幣帛を奉献する処である。
放生会ホウジョウエ
殺生を禁ずる仏教思想から、鳥・獣・魚を山野や池川に放ち善根を施す催しのことで、
神社では宇佐八幡宮と石清水八幡宮の放生会が有名である。
遠山文トオヤマモン
袈裟の文様の一つで、雲間に霞む山々の姿を彩りも美しく文様化したものである。僧
形八幡は必ず遠山文の袈裟を着ける。
[次へ進んで下さい]