06 修験道と神道1
 
               修験道と神道
 
                     参考:春秋社発行「修験道と日本宗教」
 
〈序〉
 日本民族の古来の神観に基づく宗教である神道と,日本古来の山岳信仰が仏教,道教,
シャーマニズムなどと習合して,平安時代末期頃に一つの宗教体系を形成するに到った修験道
とは,相互に密接な関係を持って展開して来ました。事実,神職家の中には,昔は修験
であったものが少なくありませんし,山岳の神社が修験的な儀礼を行っていることが屡
々認められ,両者を峻別することは極めて困難です。それ故この両者の関係を的確に捉
えるためには,概念的に神道と修験道を区別した上で論を進めることが望ましい。そこ
で本論に入るに先だって,まず神道と修験道の根本的な差異に関する私見(著者の考え
)を述べておくことにしたい。
 神道も修験道も,聖地の神格を崇め奉る自然発生的な儀礼中心の民族宗教です。しか
しながら神道においては,本来は神霊の居所とされる山岳や海中の島などが聖域とされ,
山麓や海辺においてその神を祀る形式が執られていました。その際神託などによって吉
凶・神意を知り,それに基づいて祭りごと(政治)が行われました。これは,神道が定
住稲作民を基盤にして成立,展開した宗教であることに拠っています。これに対して修
験道は,山や海を生活の舞台とする山民や海民の信仰と,聖地における修行を重視する
仏教や道教,シャーマニズムが習合した宗教であることから,聖域内において修行して験力を
体得し,里を遍歴してその験力を基に呪術宗教的な活動を行う山伏を中心としています。
けれども,殆どの日本人が定住稲作を営むようになりますと,修験道にしても定住稲作
民の宗教生活を考慮しなければ,その存続がおぼつかなくなってきます。こうしたこと
から,定住稲作民の信仰の中核をなす神道と修験道との交流が図られるようになるので
す。
 尤も日本人の宗教史を考える際には,この両者より以上に,神道と外来の仏教との交
流が考えられなければなりません。周知のように八世紀中頃から神社に附属して神宮寺
を建てたり,東大寺,比叡山,高野山などにおいて寺院の鎮守として神社が祀られまし
た。更に九世紀中頃から十世紀には,怨霊の祟りが怖れられ,菅原道真公を祀る天神社
などの御霊社が造られました。また疫病の蔓延を防ぐために,行疫神を祀る祇園社など
が成立しました。そしてこれらの成立や伝播に修験道が関わったとされています。その
後鎌倉時代に入りますと,神仏習合思想に基づく天台宗の山王神道や真言宗の両部神道
が成立し,室町時代には本地垂迹に立つ説話や美術などが隆盛しました。なお修験道に
しても,その名の起こりが,平安時代中期頃に山岳修行によって験力を修めた密教の験
者を指すことにあったように,当初から仏教と密接な関係を持っていました。中世末期
に成立した本山派や当山派などの修験道の教派にしても,天台や真言の仏教の傘下にあ
ったのです。なお近世期には,本・当両派の里修験が神社と関係を持って活発な活動を
しています。
 そこでまず,修験道と神道の関係を仏教も考慮に入れ,聖地の社寺に関するもの,御
霊社や祇園社に関するもの,里修験の活動の三者について概説しておきましょう。する
とまず最初の聖地における神道と修験道の関係には次の三つが考えられます。第一は古
来の神社に神宮寺が造られ,中世以降その神宮寺に修験者が入り込んだり,修験者によ
って新たに神宮寺が造られるのです。その代表的な事例としては,伊勢の世義寺,三輪
山の平等寺,石上の内山永久寺などを挙げることが出来ます。第二は比叡山や高野山の
ように,高僧が篭山修行の場として山岳に寺院を開き,その鎮守として地主神を祀って
一山を形成した処に,後に修験が入ったり,その中から修験が育まれたものです。比叡
山の回峰行,高野山の行人方がこの例です。尤もこの場合には,鎮守の神社と修験の関
係は,第一のものより稀薄です。第三は,猟師などの山人や民間の山林修行者が山中の
窟などにおいて山の神を感得し,それを権現として祀ったとの伝承を持つもので,熊野,
吉野,白山,立山,羽黒,彦山など修験霊山に観られるものです。後に僧侶や社家が入
り込んで,修験者と関係を持つ形が執られています。次の御霊社や行疫神に関するもの
では,北野天神や祇園社の創建やその信仰の唱導に観られる修験者の関与が注目されま
す。
 最後の里修験と神社の関係は,特に修験者の地域社会への定着が顕著になった近世以
降に注目されるようななったもので,その第一は,修験者が氏神や小祠の別当としてそ
の祭祀に与るものです。こうした神社の種類は神明,稲荷,八幡,熊野,御岳など多岐
に亘りますが,特に稲荷社が数多く求められます。なおこの場合,修験者が山伏の補任
の他に吉田家や白河家の補任を受けていることにあります。第二は,修験者が熊野,伊
勢など聖地の神社や御師に所属して,神社に檀那を導く役割を果たすものです。第三は
修験者が,本来は神社に属し後ノチ遊行するようのなった巫女と夫婦のなって活動するも
のです。修験者はこうした巫女に神霊を憑依させて託宣を得る憑祈祷によって災厄を明
らかにし,それに応じて加持祈祷を行ったのです。
 さて,こうした多様な修験道と神道の関係のうち,特に注目されるのは,最初に挙げ
た聖地の大社の神宮寺に依拠した修験者の在り方と,御霊社や行疫神への修験の関与で
す。このうち前者は,本来の神社に仏教が,そして修験道が入り込んだもの故,神道か
ら修験への道を考える上で適切であると思われます。そこでこれについて,わが国の神
社を代表するものであると同時に,相互に密接な関係を持つ伊勢神宮と大神神社を事例
として採り上げることにしたい。一方後者は逆に修験者が神社の創建や祭祀に関わった
ものです。これについては北野天神と祇園社を採り上げます。そして最後にこの両者に
観られる修験道と神社の関わり方を,先に挙げた修験道と神社の全体的な関係に位置付
けて検討することにしたい。
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