05d 修験道と山岳信仰
 
 一般に極楽には阿弥陀如来が,地獄には奈落に苦しむ死霊を導く仏として地蔵菩薩が
想定されています。しかしながら実際には,専ら地獄の怖ろしさが強調され,死霊を極
楽に導く地蔵菩薩が崇拝されました。それに伴って地蔵菩薩の対偶仏として天界を統轄
する虚空蔵菩薩が極楽の仏として崇められるようになって来ました。元々虚空蔵菩薩は,
古代の吉野山において山岳修行者が守護仏として重視した仏でした。また空海を始め山
岳修行者が,山中において虚空蔵求聞持法を修して修行するとこも多かったのです。こ
うしたことも背景にあったのでしょうか,伊勢の朝熊山を始め当山派の修験者が依拠し
た山岳においては,本尊を虚空蔵菩薩としている例が少なくありません。
 山岳中の霊地にある奇岩・滝・泉などは,修験者が山中に入る以前から神霊が住する
として,人々によって崇められていました。特に勝れた霊地の神霊・山の神・水分神な
どは,とりわけ大きな霊力を持つとされていました。蛇・狼・狐・熊などの動物がこう
した神の現れとして怖れられていました。中でも竜や蛇は各地の水分神の体現とされて
います。当山派修験の開祖に仮託された聖宝が大峰山において大蛇を退治した,との伝
承に観られるように,山岳に入った修験者が竜を退治したとの伝説は,修験者が山岳の
主とも云える水分神を自己の統御下に置いたことを物語っていると云えましょう。また
大峰山系の主峰である弥山の竜神が,天川の弁財天に祀られているように,修験者など
によって竜神が弁財天や八竜王として祀られることもまま観られたのです。
 山中の霊地の神霊は,山岳を曼荼羅と捉えた場合には,曼荼羅内の諸尊に充当された
訳ですが,大峰山などではその主要な八カ所の霊地に峰中修行の宿を設け,其処に役小
角が体得した金剛蔵王権現の眷属である大峰八大金剛童子を一つずつ祀っています。な
お大峰山中には,この八つの宿を含めて百二十(実際は七十余)の宿が設けられていま
したが,その多くは既に修験者が山岳に入る以前から神霊を祀る霊地でした。一方大峰
山と並ぶ修験道場である葛城山系では,峰中の拝所に法華経二十八品を一つずつ納めて
経塚を作っています。更にその主要な個所には葛城八大金剛童子が配されています。こ
のように修験者が山岳に入る以前には無秩序に存在していた山中の霊地が,修験道の影
響の下に,一定の世界観に基づいて体系化されて行ったのです。なおこのように山中に,
童子を祀ったり,宿や経塚を作ることは,大峰・葛城などの中央の修験道のみでなく,
全国各地の山岳の修験道場においても認められるのです。
 山岳は邪神邪霊,邪鬼や神霊の使いである動物の棲む魔所として怖れられていました。
こうした魔所に入り込んで修行した修験者は,これらの邪鬼や動物霊と闘い,それを降
伏させ自己の命ずるままに使役する力を体得した,と信じられました。役小角が大峰山
において前鬼・後鬼を使役したとの伝承,修験者が飯綱を使ったとの民間の伝承などは,
こうした力を体得した修験者の活動を示しています。更に修験者自身がこうした魔的な
神霊の力を持つ超自然者に変身した,と捉えられました。岩手県早池峰山麓の山伏神楽
の権現舞では,魔界の王者である獅子(権現様)に変身した山伏が,村人の安全を祈っ
て舞っています。羽黒山の修験者が峰中において用いる鈴懸の模様が獅子であるのも,
修験者の獅子への変身を示していると考えられるのです。
 天上や地下の他界と此の世との境界である山岳において修行する修験者は,境界的な
性格を持つ宗教者として捉えられています。山伏を天狗として怖れる信仰などはこれで
す。修験者は,半ば人間で半ば鳥の姿をした天狗であるとされたのです。また,修験霊
山には,鬼の子孫と称する者も居ました。修験者が峰入に際して頭髪を一寸八分の摘髪
にしたのも,僧でもなく俗人でもないことを示すためのものであったのです。修験者を
半僧坊と呼ぶのも,彼等のこうした性格を示しています。このように修験者は天上や地
下の他界と,此の世の人間の仲介を務める境界人と捉えられていたのです。
 修験者の峰入は,一般には春夏秋冬の四季のそれぞれに行われていますが,これも民
間の山岳登拝と密接に関係しています。即ち「春の峰」は,民間の卯月八日の山遊びと
関連しています。大峰山寺の戸開式は戦前には旧暦四月八日に行われ,修験者は山上の
石楠花シャクナゲを手折って下山しました。これなどは,山上において山遊びをした乙女が,
花を手折って下山する卯月八日の行事を彷彿とさせるものです。六月に大峰山中の拝所
に花を供えて廻る当山派の「花供の峰」にしても,山岳を旅する人々が霊地に花を手向
けて旅の安全を祈った習慣に酷似しています。七・八月頃,在俗信者が大峰山に登拝す
る「夏の峰」は,大和地方において盆山と云われていることからも分かるように,本来
は山中に眠る祖霊に会いに行くための峰入であったのです。羽黒山でも夏の峰は,月山
から祖霊を迎えるためのものとされています。更に専門山伏が,一定期間山中に篭もる
「秋の峰」にしても,現代の羽黒山の秋の峰に観られるように,近郷の子供等の成人式
の性格を持っているのです。
 秋から冬にかけて山中に篭もり,正月又は春先に出峰する「冬の峰」は,専門修験者
が特に験力を求めて行うものでした。これにしても,修験者が冬の期間中山岳に留まり,
春先に里に下って農神を守る山の神の力を体得するために,山の神が山中に留まってい
る期間中山中において修行したものと推測されます。冬の峰の出峰の日が,山の神が里
に下るとされる卯月八日に当たることも,この推測の正しさを裏付けているように思え
ます。冬の峰の修行者は,山中において年を越したことから晦日山伏と呼ばれ,特に験
力に秀でた者として崇められました。晦日山伏は出峰後,修行によって体得した験力を
競うために験競べをしたりしました。十二月晦日から元旦にかけて行われる羽黒山の松
例祭の鳥飛び・兎の神事・大松明まるき・火の打ちかえなどの競技は,冬の峰終了後の
験競べの面影を今に伝える興味深い行事です。
 山岳修行を終えた修験者は山の神を招いて祭りをし,ときには憑りましに託宣させる
宗教者として活躍しました。例えば福島県に広く分布する葉山祭では,修験者は葉山の
神を招いて憑りましに憑依させ託宣を下させています。また木曽の御岳の神を中座に付
けて託宣させる御岳講の前座や,山中の護法を憑りましに付ける美作の護法祭の修験者
などは,何れも山の神霊を操作する宗教者としての修験者の活動を一齣コマを示していま
す。更に権現と化した修験者が舞う早池峰の山伏神楽,延年の舞,修験的色彩の強い花
太夫が榊鬼に神付けをする奥三河の花祭,美作の荒神神楽,石見の大元神楽の託舞など
は,何れも山岳修行によって験力を得た修験者が山霊と化したり,それを使役すること
を示す芸能なのです。
 日本古来の山岳信仰は,一方では山岳を御神体或いは神々の鎮まる霊地として,山麓
から拝する神道となって展開しました。しかし一方においてこの山岳に入って修行する
ことによって,山の神の力を体得し,それを元に呪術宗教的な活動をすることを旨とし
た修験道を生み出しました。修験者は,自己の修行や呪験力を権威付けるために,民間
の人々の持つ山中他界観を外来の仏教思想で飾り立てました。更に民間の人々の山入り
の習慣に準じて峰入り修行をしながらも,仏教の成仏観を採り入れて自己の成仏,ひい
ては験力の根拠を説明しました。修験者はこうした思想に基づいて,庶民の現世利益的
希求に応えて呪術宗教的活動をすることによって,庶民の間に深く浸透して行ったので
す。

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