05a 修験道と山岳信仰
 
〈山岳信仰〉
 山岳や海は,私共の日常生活が営まれている里とは異質の空間と捉えることができま
す。日常生活が行われる俗な空間である里に対して,山岳は聖なる空間と捉え得るので
す。とりわけ何処に行っても山岳が見られるわが国では,このように山岳を聖地として
崇拝する山岳信仰が広く認められました。民間信仰,神道,仏教などにしても,山岳信
仰と関連しています。更にまた山岳信仰を旨とする修験道と云う独自の宗教を生み出し
さえしたのです。
 山岳は,種々の理由から聖なる空間と考えられています。最も原初的なものは,コニ
ーデ(錐状火山)型の美しい山容,噴煙を吹き上げる火山,樹木が鬱蒼と茂った丘など
が,人々に山岳への崇敬の念を引き起こさせるという自然崇拝に基づくものです。更に
山岳は,精霊や神々が住む聖地とも考えられています。山中の泉,岩石,奇木などに精
霊や神が観じられたのです。とりわけ岩石が累々とした処や山腹などは,精霊や神々が
跋扈バッコする場所として畏れられました。
 山岳は,死霊や祖霊が住む他界とも考えられました。古代の山稜を「ヤマ」と呼んだ
り,葬式のことを「ヤマイキ」,葬儀を「ヤマシゴト」と云うこと,山近くに埋め墓,
里近くに詣り墓を造る両墓制など,山岳が死後の霊魂の行く他界と信じられていること
を示す証左は数多く認められます。死霊は山中で次第に浄化され,祖霊となって行きま
した。ただし不慮の死を遂げたり生者の供養が十分でない死霊は,怨霊・幽霊と化して
谷間や岩洞などに残留し,祟りをするとして怖られました。こうした処は,邪悪な霊や
神が住む処とされていたのです。
 一般には山岳に住む統括的な神を「山の神」と呼んでいます。柳田民俗学に拠ります
と山の神には,春になると山岳から下りて田の神となって農耕を守護し,秋には再び山
に帰って山の神となる農耕の守護神としての山の神と,マタギ,木地屋など山仕事をす
る者の守護神としての山の神があります。前者の山の神のためには,山中に山宮が,里
には里宮が設けられました。この農耕民の山の神は,水田稲作に必要な水を授けてくれ
る水分神に,山中の祖霊が浄化して加わったもので,氏神の原型をなすものと考えられ
ています。これに対して山仕事をする人々の山の神は,ネリー・ナウマンに拠りますと,「動物
の主或いは女王」としての性格を持ち,山の民に豊穣をもたらす女神とされています。
おそらく定住農耕生活の進展に伴って,こうした狩猟民の山の神が作物の豊穣をもたら
す水分神ミクマリノカミとも信じられるようになり,更にこれに祖霊信仰が習合した結果,前述
の農耕民の山の神信仰が形成されたと考えられることが出来ましょう。
 山の神は産神ウブガミとして崇められていました。難産のときに馬を山中に連れて行き,
馬が身震いすると「ウブ」がついたと云って連れ戻す習俗などはこの一例です。幼児の
魂を「ウブ」と云うことからしますと,産児は他界である山中の精霊(ウブ)を受ける
ことによって,初めて生者として認められたのではないでしょうか。
 山岳全体を神と崇める神体山の信仰も広く認められます。大和の三輪山を始め,諏訪
神社の上社,金鑽神社の御室ガ岳,宇佐神社の御許山,御上神社の三上山などはこの例
で,何れも神社の背後の山岳が御神体とされています。これらの山岳は,祭礼などの際
に限られた神職が入る以外は禁足地とされました。霊山の山麓から祭祀遺跡が発掘され
ていることからしますと,こうした神社に観られる山麓から山を拝すると云う信仰形態
は,古代信仰の面影を伝えているとも考えられるのです。
 山岳は,天上や地下に想定された聖地に到るための通路と捉えることもできます。山
岳は,天上や地下に想定された聖界と,日常生活が営まれる俗界である里の中間に位置
する境界領域 liminal space と捉え得るのです。この場合には,神や仏は山上の空中
に,又は地下に居ると云うことになります。そして山岳,実際にはその中の特定の場所
を経て,天上や地下の聖地に達し得ると云うことになるのです。より具体的には,大空
に接し,ときには雲によって覆われる峰,山頂近くの高い木,滝などは天界への道とさ
れ,奈落の底まで通じるかと思われる火口,断崖,深く続く鍾乳洞などは,地下の他界
への入口と信じられました。
 山中のこれらの場所は聖域でも俗域でもない,どっち付かずの境界として怖れられま
した。其処に祠が作られることも少なくありません。半ば動物の世界に属する境界的性
格を持つ鬼・天狗などの怪物,妖怪などがこうした場所に居るとされました。狐・蛇・
猿・狼・鳥など人里にも現れる身近な動物も,神霊の世界と人間の世界を結ぶ神使とし
て崇め怖れられました。境界領域である山岳は,こうしたどっち付かずの怪物が活躍し
ている怖ろしい土地と考えられました。
 山岳は,宗教学者エリアーデに拠りますと,世界の中心にあって天と地を結ぶ宇宙軸,或
いは宇宙全体を集約した宇宙山とされています。山岳を宇宙軸と捉える信仰は,吉野の
金峰山を国軸山と呼んでいることに象徴的に認められます。また宇宙山の思想は,仏教
で云う須弥山に典型的に観ることができます。わが国の妙高山,弥山などはこの須弥山
の思想に因む命名なのです。尤もこれらの命名が修験者や僧侶等の智恵に基づくもので
あったことは云うまでもありません。
 山岳が崇拝の対象とされるためには,里から望見し得る場所にあると云うことが必須
の条件とされました。里の遠く彼方に見られるコニーデ型の美しい山,長く続く山系,
畏怖感を引き起こす異様な山,噴煙を上げる火山などが,俗なる里に住む人々から聖地
として崇められたのです。また里近くの小高い丘,こんもり茂った森山も崇拝の対象と
されました。東北地方では連山の端に位置する小丘を端山(葉山)と呼んで崇めていま
す。
 山岳に対する里人の信仰は,生活のあらゆる面に浸透しています。誕生の際の産神と
しての山の神,八朔の山登りに代表される成人式としての山岳登拝,若者の恋が芽生え
ることも少なくなかった四月の山遊び,そして死後は死霊として山岳に帰り浄まって祖
霊から更に祖神になって行ったのです。年間の行事を執って観ても正月の初山入り,山
の残雪の形での豊凶占い,春先の田の神迎え,旱魃の際に山上で火を焚いたり,山上の
池から水を貰って帰る雨乞,お盆のときの山登りや山からの祖霊迎え,秋の田の神送り
など,主要な年中行事は殆ど山岳と関係しています。山岳や其処に居るとされた神霊は,
里人の一生にまた農耕生活に大きな影響を与えているのです。
 山岳は,水田稲作農耕に頼った里人に稲作に必要な水をもたらす水源地として重視さ
れていました。山から流れる水は飲料水として,また潅漑用水として里人にとって欠く
ことのできないものでした。こうしたことから,山に居る神を水を授けてとれる水分神
として崇める信仰が生み出されると云う水分神の信仰は,吉野・葛城を始め数多くの山
岳に観ることが出来ます。水分神に代表される水の神は竜神とされることも多く,蛇や
竜がその使いとして崇められることも少なくありませんでした。
 山岳の山の神は農民のみでなく,山中で仕事をするマタギ,木こり,木地屋などにも
崇められました。マタギは山の神を一年間に12人の子供を生む女性神として崇め,正月
初めの初山入りのときに,これを祀って数多くの獲物を与えてくれるよう祈願しました。
一方,木こりは春秋2回山の神にオコゼを供えて,山仕事の安全を祈ったのでした。漁
民等も山岳の神を航海の安全を守ってくれるものとして崇拝しました。これは,山岳が
航海の目標になると云う直接的な便益によるものです。北前船の航路に当たる隠岐の焼
火山,中国や琉球への航路として栄えた薩摩の坊津近くの開聞ガ岳などは,航海の目標
として崇められた山岳として有名です。
 以上述べてきましたように里から望見される山岳は,死霊・祖霊・諸精霊・神々の住
む他界,天界や地界への道,それ自体が神や宇宙と云うように,俗なる里と対峙する聖
地であると信じられたのです。そしてこうした山岳に居る山の神に代表される諸神・諸
霊は,水田農耕を営む農民の一生や一年間の暮らし,山人や漁民等の宗教生活の大きな
部分を占めていたのです。
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