04 古代信仰と道教/道教の神観念
 
           古代信仰と道教/道教の神観念
 
               参考:人文書院発行福永光司氏著「道教と古代日本」
 
[道教の神観念]
 
〈道教の教理から移入された神〉
 『万葉集』巻十九の四二六〇番において大伴家持は,
 「大君オホキミは神にしませば赤駒の腹ばふ田居を京都ミヤコとなしつ」
歌っておりますが,大君である天武天皇が神であるとされていますその「神」とは,同
じく天武天皇の崩御が「龍駕登仙」と表現され,また道教の蓬莱神山に住む神仙世界の
高級官僚を意味する「瀛真人オキノマヒト」の語が天武天皇の諡オクリナとされていることからも
強く示唆されているように,道教の「神仙」の「神」若しくは「神人」の「神」と重な
り合うような意味内容を持つ「神」ではないかと考えられるのです。この歌に続く作者
不詳の四二六一番の歌,
 「大君は神にしませば水鳥のすだく水沼ミヌマを都と成しつ」
の「神」も,また全く同様に考えることができます。
 次に柿本人麻呂の
 「大君は神にしませば天雲の雷の上に廬イホリせるかも」(同巻三の二三五番)
の歌の「神」についても,同じく人麻呂の草壁皇子の挽歌(同巻二の一六七番)に
 「神の命ミコトと天雲の八重かき分けて神下クダし、いませまつりし高照らす日の皇子ミコ」
若しくは
 「天の原、石門イハトを開き神上り、上りいましぬ我が大君、皇子の尊ミコト」
とある「神」と同じく,道教における天上の神仙世界に住む「神仙」若しくは「神人」
の「神」と重なり合う意味内容を顕著に持つと解釈されます。因みにこの草壁クサカベ皇子
の挽歌の中の「天雲」及び「天原」の漢語は,5世紀に中国の六朝時代に,道教の宗教
哲学用語「霊運」を自己の名前とし,幼少時代は道教の寺院に預けられて養育された(
『詩品』巻上)という宋の謝霊運の「祖徳を述ぶる詩」に「高情は天雲に属す」,また
北魏の『水経注』河水の条にも,漢代の天を祭る聖地の名前として「皇天原」を載せて
います。
 更にまた同巻三の二四一番反歌
 「皇オホキミは神にしませば、真木マキの立つ荒山中に海を成すかも」
についてこの「おほきみ」は皇子の「皇」であり,詞書にも明記されていますように天
武の皇子の長皇子を指します。そして「大君は神にしませば」の「大君(王)」が同じ
く天武の皇子である弓削ユゲ皇子を指す置始東人の
 「王ホオキミは神にしませば天雲の五百重イホヘの下に隠りたまひぬ」
の歌の「天雲」という漢語は,道教の神仙と親縁関係を持つ言葉です。この歌の本歌で
ある
 「ひさかたの天宮アマツミヤに神ながら神といませば」
の「天宮テンキュウ」という漢語も,また中国六朝時代に成立した道教教典の中に,神仙の棲
む天上世界の宮殿を意味して「天宮に飛昇す」などと用いられているのです。天武の皇
子であるこの弓削皇子の挽歌に歌われている「天宮に神ながら神といませば」の「神と
います」「神」こそ,中国における道教の「神仙」の面影イメージで「おほきみ」としての
弓削皇子の薨去コウキョ − 昇天 − を歌ったものと断定して大過ないでしょう。
 
〈神人と現人神〉
 道教の「神仙」は,原則として天上世界を住居としますが,地上の世界に住む人間と
結び付け一体化する思考を生むようになりますと,その結び付きなり一体化なりを最も
端的に示しているのは,神仙と共に道教の重要な神学用語である「神人」という言葉(
「神仙」の「仙」もまた山の字に人扁が付いているように本来的には「人」です。)で
す。道教の神学でいわゆる神人は,人であると同時に神である,神であると同時に人で
あるという存在です。しかし,この神人という言葉の原義は,中国の道教的な古典哲学
書である『荘子』の用例からも知られるように,「神のような人」即ち人間が修行努力
することによって超越的な存在である「神」の境地に到達し得たものということで,「
神」と「人」とのうち,基礎はあくまで「人」にあります。
 それに対してインドの仏教系の神と人とを結び付け一体化する考え方が,漢魏の頃イ
ンド・シルクロードを経由して中国に持ち込まれて来ました。例えばこの頃の漢訳仏典
『維摩経』などに出てくる「色人シキシン(人)として現れる薩摩(神)」の思想がそれで
あり,この場合の「人」と「神」とのうち「神」に重点が置かれています。神が人の形
を執って現れるというものです。日本の古典信仰で云えば,葛城カツラギの神だとか賀茂カモ
の神だとか,元々神である存在が一次的に人間の姿を借りてこの世に現れてくるという
考え方で,そういった神と人若しくは人と神の結び付きの関係,一体化の方向もある訳
です。
 人間が努力して神の境地に到達する,若しくは神そのものになるという「神人」の考
え方と,神の方が逆に人間の姿を借りてこの世に現れてきて,いろいろなことを説いた
り教えたりするという「現人神」の考え方の二つがある訳ですが,『万葉集』において
「大君は神にしませば」と歌われている場合の「神」というのは,一応道教の方の「神
人」の系列の「神」と観た方が良いのではないでしょうか。
 
〈現人神は仏教思想〉
 神と人との関係を中心ににした日本の古代信仰を考える場合,縦軸の方向は暫く措く
として,横軸の方向においてこの問題を考えて行きますと,「神」の思想と信仰は大き
く分けて二つの系列に整理できるように思います。道教的な「神人」の思想信仰の方向
と,インド仏教的な「現人神アラヒトガミ」の思想信仰の方向とです。「現人神」の「現」と
いう漢字の用法を中国の古典で調べてみますと,仏教の入る以前には「現」という字を
「神」とか「人」とかを結び付けて熟語とした中国語の使い方は殆ど見当たりません。
つまり「人」として現れた神,即ち「現人神」の言葉と思想的信仰は仏教系漢語乃至仏
教系列の思想信仰ということになります。
 ところで,『日本書紀』や『続日本紀』など漢文で書かれた日本の古代文献を観ます
と,「明神御宇日本天皇(『日本書紀』孝徳紀)」,「明神御宇日本倭根子天皇アキツミカミ
トアメノシタシラスヤマトネコノスメラミコト(同前),「明神大八州所知倭根子天皇(『続日本紀』天平宝字
元年)などのように,「天皇」と結合して「明神」の語が用いられていますが,この「
明神アキツカミ」というのは,中国の道教系の「神」即ち「神人」の系列に属する「神」であ
ると観られます。即ち明々の威徳を道教的な神である天皇,例えば天武天皇のように最
終的には神仙世界である「瀛州」の「真人」とも成り得る道教的な神,『万葉集』に「
大君は神にしあれば」と歌われている「神」としての天皇を意味します。
 これに対して『日本書紀(雄略紀)』において,葛城の神が狩猟をしている雄略天皇
のところに現れて,
 わたしは「現人アラヒト之神」即ち「人の姿を借りて現れた神である」
と云われますが,この場合の「現人」ははっきりと仏教系漢語です。また同じく『日本
書紀(孝徳紀)』の「現為明神御八嶋国天皇」即ち「現れて明神と為り八嶋国ヤシマクニを御
シロシめす天皇」の「現」の字や,『続日本紀(文武元年)』の「現御神止大八島国所知天
皇」即ち「御神と現れて大八島国をば知ろしめす天皇」の「現」の字も同様です。
 なお,前記において引用した雄略天皇と問答をしている「現人之神」としての葛城の
神について,この神は『日本書紀』の漢文に拠りますと,「長人」即ち「一事主神ヒトコト
ヌシノカミ」とも呼ばれている「仙(神仙)」の如き「人」として示現しており,「現人」の
「人」が同じく先に引用しました孝徳紀の「現れて明神と為る」に相当します。そして,
これによっても「明神」という言葉が本来,仏教の「現人神」とは異なる道教系の漢語
であり,従って「現為明神」の天皇即ち「現れて明神となる」若しくは「明神として示
現し」,この大八嶋国を治めている天皇という言い方は,「明神」の天皇よりも後次的
であるということになります。
 以上,日本古代の天武持統期における「神」の観念乃至思想信仰を,主として『日本
書紀』の天武紀・持統紀の宗教関係の記述と『万葉集』の「大君は神にしませば」など
の歌を中心に,筆者は検討を加えてみました。
 結論として日本古代における「神」の思想信仰に関しては,「神人(「明神」)」の
語によって代表される道教系のそれと,「現人神」の語によって代表される仏教系のそ
れとの,二つの流れがあり,天武持統期における「神」の観念乃至思想信仰には,道教
系のそれが顕著に優勢である,と考えられるのです。
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