03a 道教と古代日本/「天皇」考
 
〈天皇の紫色〉
 皇居で行われる御前講義でのご下賜の品々は,真っ白く菊のご紋章を染め抜いた鮮や
かな紫色の風呂敷に包まれているとされます。紫色は菊のご紋章と共に日本国の天皇乃
至天皇家を象徴する尊貴な色でした。そして菊と呼ばれる植物の愛好が古くその由来を
中国に持つように,紫色の尊重もまた遠くその思想的源流を中国に持つのです。
 元々中国の思想史において永く正統の座を占めてきた儒教の教義においては,「紫の
朱を奪うを悪ニクむ」という孔子の言葉(『論語』陽貨篇)が何よりも端的に示していま
すように,紫色は憎むべき反価値的な色でした。その紫色が西暦紀元前3〜2世紀の秦
漢の時代から,宇宙の最高神として文献上に出現する太一神の住む宮殿を象徴する尊貴
な色とされ,乃至は太一神を祭る漢の皇帝達の甘泉宮に設けた祀壇若しくは祭場の幄ト
バリを象徴する聖なる色とされるのは,太一神が漢代に北極星の神格化されたものと解釈
され,その北極星の天空から地上に放つ光芒が紫色とされたからでした。
 宇宙の最高神としての太一神は,西暦紀元前後に中国の前漢末期から後漢初期にかけ
て多数成立するいわゆる『緯書』の中に観える宇宙の最高神たる天皇大帝と,その最高
神である唯一絶対性の故に同一視され,この天皇大帝の住む天上世界の宮殿がまた紫宮
若しくは紫微宮(紫宸殿)と呼ばれるに至ります。北極星の神格化である天皇大帝を2
字に略して「天皇」と呼び,その天皇の住む天上世界の宮殿を明確に「紫宮」と呼んで
いるのは,2世紀に後漢の張衡の「思玄賦(『文選』巻十六)」ですが,天上世界の天
皇(天皇大帝)の委託を受けて地上の世界に君臨する皇帝(天子)の宮殿を同じく紫宮
と呼んでいるのは,4〜6世紀に北中国を強力に支配して道教を国教とした北魏の王朝
でした。
 日本国の天皇(天子)若しくは天皇家を象徴する聖なる色を紫色とする思想信仰もま
た,この北魏の王朝にその源流を持つと観てよいでしょう。
 
〈天皇と神宮〉
 抑も「神戸」(兵庫県)とは神宮に充てられた民戸の意で,『日本書紀』の成立に先
立つこと2年の718年に藤原不比等らによって選定されたと云われる『養老令』神祇令に
も
 「凡そ神戸の調庸及び田租は、並びに神宮を造り、及び神に供する調度に充てよ」
とあるからです。
 この「神宮」という漢語は『日本書紀』景行紀に拠りますと,日本武尊が東夷の征討
に向かわれる途中,
 「伊勢神宮を拝み、仍ヨりて倭姫命ヤマトヒメノミコトに辞す云々」
と観え,同じく垂仁紀に拠りますと,その伊勢神宮というのは皇室の遠祖とされる天照
大神が,
 「この常世の浪の重波シキナミ帰ヨする国に居らむと欲す」
と誨オシえられましたので,この伊勢の国の五十鈴川の川上に造営されたのであると云わ
れています。
 ところで皇室の遠祖を祭る宮殿を「神宮」と呼ぶことは,中国最古の歌謡集『詩経』
の神楽歌の鄭玄注に,
 「(周王朝の)遠祖たる姜げん(女扁に原)キョウゲンの神(霊)の依る所、故に廟を神
宮と曰う(姜げんは女性の神)」
とあるに基づき,この神宮が造営された伊勢の国が「常世の浪の重波帰するところ」と
いうという「常世」もまた,同じく垂仁紀に
 「常世の国とは神仙の秘区にして俗(人)の臻イタらむ所に非ず」
などと観えています。
 天皇家の遠祖とされる天照大神を祭る伊勢神宮の御神体が鏡であり,鏡であることが
即ち道教の宗教哲学と密接な関連性を持つことについては前述しましたが,天照大神の
「大神」という言葉の使用,神宮を内宮と外宮に分かち,斎宮,斎館,斎主,采女イツキメ
等々を置くことなども,それらの用語と共に道教をその代表とする中国古代の宗教思想
乃至制度と密接な関連性を持ちます。9世紀初めの桓武天皇の延暦23年に伊勢神宮の神
職から朝廷に献上されている『皇太神宮儀式帳』に拠りますと,神宮の儀式儀礼の多く
は道教乃至中国古代の宗教思想信仰と密接な関連性を持ち,例えば祭祀に用いる「幣帛
」や「五穀」,「人形ヒトガタ」や「五色の薄ぎぬ」,神職の用いる「明衣キヨギヌ」,「裙
モ」,「袴」に至るまで,道教的な中国のそれが大幅に採り入れられているのです。
 
〈天皇と神道シントウ〉
 「神道」という言葉が中国の思想文献において最も古く観えているのは,『易経』の
「観」の卦の彖伝タンデンです。彖伝とは,『易経』の六十四卦のそれぞれについて一卦の
持つ総体的な意味を解説した文章であり,「観」の卦の彖伝の文章は,
 「盥テアラいて薦ススめず、まこと有りてうやうやし。下観て化するなり。天の神道に観て
四時たがわず。聖人は神道を以て教を設けて天下服す」
となっています。
 神を祭る場合には先ず手を洗って身心を浄めます。そして,お供物などを薦める前の,
これからお祭りを行うという精神の緊張した状態こそ真心が篭もっていて敬虔さの極致
であり,下々の人間に対して偉大な政治的感化力を持ちます。聖人即ち最高の有徳の為
政者は,春夏秋冬など季節の循環に規則正しい大自然の世界の,神秘霊妙な造化の真理
を観察して,その真理に基づく政治教化を実践して行きます。斯くて全世界の人間が悉
くその政治教化に服従し,天下の太平と天地の太和とがこの地上の世界に実現するとい
うのが,この文章の大意です。
 そして,このような天下の太平と天地の太和の実現を天上世界の皇帝である「天皇」
と結び付けて,『易経』よりも更に徹底した宗教的信仰の立場で「神道」 =神の世界の
真理= を強調しているのは,2世紀半ばの中国の山東瑯邪ロウヤの地区において「天神」
から「神書」 =神道の聖書= として道術の士の干吉カンキツに授与されたという『太平清
領書(『太平経』)』170巻です。
 わが国において「神道」という漢語を最初に用いているのは,8世紀初頭の元正天皇
の養老4年(720)に成った『日本書紀』ですが,例えば「天皇、仏法を信じて神道を尊
ぶ(用明紀)」,また「天皇、仏法を尊び神道を軽んず(孝徳紀)」などという「神道
」の概念の使用法は、前述干吉の『太平清領書』のそれに最も近いと考えられます。た
だ天皇の概念が『太平清領書』における天上世界の皇帝から,7世紀の唐の高宗(649〜
683在位)における「天皇」の称号の使用と同じく,地上の世界の皇帝を呼ぶ言葉として
変移していること,天皇が宗教的信仰若しくは祭祀祈祷の対象としてよりも祭祀祈祷の
主宰者,即ち神道の実践者として規定されている点が大きく異なります。

[次へ進む] [バック]