77 菅家文草〈北堂餞宴〉
 
                参考:太宰府天満宮文化研究所発行「菅家の文華」
 
 − 讃岐守時代 − 
 
〈北堂餞宴〉   −  北堂の餞ハナムケの宴
吾将南海飽風煙     吾将に南海に風煙に飽かんとす
更妬他人道左遷     更に妬ソネむ、他人の左遷と道イはんことを
倩憶分憂非祖業     倩ツラツラ憶オモふに憂ウレイを分つは祖業に非ず
徘徊孔聖廟門前     徘徊す、孔聖廟門ビョウモンの前
 
吾はこれより南海に赴き、かの地の風煙を万喫せんとする。
さも左遷の如く評する世人の怨めしさよ。
されど倩思うに、地方官の任は菅家の祖業ならず、
孔聖廟の前の立ち去り難さよ。
 
 
〈中途送春〉   −  中途に春を送る
春送客行客送春     春は客の行くを送り、客は春を送る
傷懐四十二年人     懐オモイを傷ヤブる、四十二年の人
思家涙落書斎旧     家を思ひては落は落つ、書斎旧フりたらむ
在路愁生野草新     路に在りては愁ひは生ず、野草新なり
花為随時余白尽     花は時に随はむが為に、余色尽き
鳥如知意晩啼頻     鳥は意を知るが如く、晩クレに啼くこと頻なり
風光今日東帰去     風光、今日東に帰り去る
一両心情且附陳     一両の心情、且シバらく附陳フチンせん
 
春は旅行く人を送り、旅人は春を送る。
旅人とは、傷心の四十二才の我れ、
主を失える書斎は旧りたらむと思えば、落涙止トドめ難く。
野の草の青めるを見ては愁いぞ生うる。
花は季節の移るに連れて、残花も散り失せ、
鳥は夕べに啼いて、春を惜しむかのよう。
春風春光は、共に東に移り去る。
我が心情ココロのそこばく(大部分)を、風光に托して都に知らせばや。
 
 
〈寒早十首(一)〉 − 寒は早し(一)
何人寒気早     何人にか、寒気早き
寒早老鰥人     寒は早し、老いたる鰥ヤモオの人
転枕双開眼     枕を転がし、双ナラび開く眼
低簷独臥身     簷ノキを低タれて、独り臥す身
病萌逾結悶     病萌キザしては、逾イヨイヨ悶モダえを結び
飢迫誰愁貧     飢迫りては、誰に貧を愁ウレふる
擁抱偏孤子     擁抱ヨウホウす、偏へに孤ミナシゴなる子
通宵落涙頻     通宵ツウショウ、落涙頻シキリなり
 
どんな人に寒気は逸早く堪コタえるか。
それは年老いた寡夫だ。
輾転反側して、眼はいよいよ冴え返り、
あばら屋の伏屋に独り寝の寒さよ。
病ヤマイ発しては悩みは更に茂く、
飢ウエ迫るも誰が面倒を看て呉れよう。
母親に別れた子を抱いて、
夜すがら頬を濡らすことよ。
 
 
〈同右(二)〉
何人寒気早     何人にか、寒気早き
寒早夙孤人     寒は早し、夙ツトに孤ミナシゴなる人
父母空聞耳     父母は空しく耳に聞くのみ
調庸未免身     調庸チョウヨウは身に免マヌガれず
葛衣冬服薄     葛衣カツイ、冬の服薄し
蔬食日資貧     蔬食ソショク、日の資タスケ貧し
毎被風霜苦     風霜の苦を被カガフる毎に
思親夜夢頻     親を思ひて夜の夢頻なり
 
どんな人に寒気は逸早く堪えるか。
それは疾トうに親に死なれた孤児だ。
父母のことはただ耳に聞くだけ、
調物ミツギモノも夫役ブヤクも孤児であるからとて免除になる訳ではない。
寒空に着た切り雀の葛の衣一枚。
物相飯モッソウメシも腹一杯は食えぬ。
風霜の害を受ける度に、
親が居て呉れたらと夢ばかり見ることだ。
 
 「葛衣」とは、葛の繊維で織った夏の粗服。
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