76 菅家文草〈早春内宴、侍仁寿殿、同賦春娃無気力、応製一首。并序。〉
 
                参考:太宰府天満宮文化研究所発行「菅家の文華」
 
〈早春内宴、侍仁寿殿、同賦春娃無気力、応製一首。并序。〉
夫早春内宴者、不聞荊・楚之歳時。非踵姫・漢之遊楽。自君作故、及我聖朝。殿庭之甚幽、
咲嵩山之逢鶴駕、風景之最好、嫌曲水之老鴬花。節即新焉、一人有慶年惟早矣、万寿無
彊。
於是粧楼進才、粉妓従事。繊手細腰、受之父母、軟雲農(衣偏+農)李、備髪膚。況陽
気陶神、望玉階而余喘。韶光入骨、飛紅袖以羸形。彼羅綺為重衣、妬無情於機婦、管絃
之在長曲、怒不癸(門構+癸)於伶人。変態繽紛、神也又神也。新声婉転、夢哉非夢哉。
臣通籍重門、踏綵霞而失歩。登仙半日、問青鳥以知音。楽之逼身、詞不容口。請祝尭帝、
将代封人。云然。謹序。
 
 一体、早春の内宴行事は荊楚の歳時記にも記録がなく、周漢時代の遊宴の真似でもな
い。嵯峨帝の先例を作られて以来、今上の御代に及ぶ盛事である。此処仁寿殿の庭の幽
邃なるは、かの嵩山スウザンの仙境もその比でなく、初春の風光の絶佳なるは、かの曲水に
老鴬が落花に囀サエズるの景も物の数ではない。時節は新春、天子は御悦び極まりなく、
年は正月、聖寿は万歳に亘らせ給ふ。
 茲に内教坊にては、選りすぐった舞姫を薦め、脂粉を凝らした舞姫は舞の座に進む。
天性の嫋タオやかな手振り、細そりした腰付、春の雲のような柔らかい毛髪、桃李の花の
如き膚ハダエ。まして、陽気は骨の髄まで染み透るので、舞台を望んだだけで、早ハヤ息は
弾み、紅の舞衣の袖を翻ヒルガエすだけで、早ぐったりする風情である。羅綺の重みに堪え
兼ねては、機織姫ハタオリヒメの無情を恨み、管絃が長々と続けば、何故終えぬかと伶人を恨
む。舞姿の千姿万態には、ただうっとりと、歌声の清艶さには、ただ夢見る心地。
 私は幸にこの席に列なるを許され、九重の仙境に歩を運んで、恐懼足の踏む処を知ら
ぬ。殿上に侍ること半日、青い鳥ならぬ女楽を聞いて、いみじき楽の音を覚サトった。妙
なる楽は身内を痺シビれさせ、筆も詞も及ばれぬ。かの尭帝の長寿を祝したと云う封人に
代わって、聖寿の万歳を寿コトホぎ奉タテマツる。
 
 「荊楚歳時記」一巻は、梁の完懐の撰。荊州・楚州など当時の楚人の年中行事を記した
もの。
 「姫漢」の、「姫」は周の姓。
 「咲嵩山之逢鶴駕」とは、此処仁寿殿の庭の幽邃さが、「列仙伝」に見える周の太子
王子喬が、白鶴に乗って嵩山に隠棲したと云う、その仙境にも勝るの意。
 「青鳥」とは、西王母の使いの鳥で、西方崑崙山から、七月七日に漢の武帝の許に飛
来したとのことが、漢武の故事に見える。その啼声は美しい。
 「封人」とは「荘子」に、華の封人(国境の番人)が、尭の寿を祝したとの故事が見
える。
 
 
〈同右詩〉
丸(糸偏+丸)質何為不勝衣 丸(糸偏+丸)シラギヌなす質カタチの何為れぞ衣に勝へざら
            む
謾言春色満腰囲     謾イツワりて言ふ、春色腰の囲りに満てりと
残粧自漱(漱の三水の代わりに立心偏)開珠匣 残粧自オノズから珠匣シュコウを開くに漱(
            漱の三水の代わりに立心偏)モノウし
寸歩還愁出粉囲     寸歩、還マタ粉囲フンイを出づるを愁ウレふ
嬌眼曽波風欲乱     嬌眼波を曽カサねて、風乱さんと欲す
舞身廻雪霽猶飛     舞身雪を廻して、霽ハれて猶ほ飛べるがごとし
花間日暮笙歌断     花間日暮れ、笙歌断つ
遥望微雲洞裏帰     遥かに微雲を望みて洞裏トウリに帰る
 
白絹見たいな肌の舞姫とて、舞衣の重みに堪え兼ねる程でもあるまいに、
それは春色が腰の囲りに充ち満ちていて懈怠ダルいのですなんて、嘘仰オッシャい。
控室に下った舞姫等は、化粧崩れした姿で、装飾品を外して手筥に仕舞うのももの憂げ、
一寸歩いて、内教坊に帰ることをも億劫がっているかのよう、
色っぽい瞳は、波の花の妖しく乱れるかのよう、
軽らかな身の熟コナしは雪の舞うかのようで、今尚舞っているのかと思われる。
やがて、花間に日落ち笙の音止めば、
山頭に懸かる微雲を望み、舞姫等は教坊に帰って行く。
 
 九重の御殿で、大内山に響く仙楽に合わせての美女の舞、春の気怠ケダルさ、なよなよ
と衣にも堪え切れぬ繊美さ嫋々さは、かの白楽天の「長恨歌」の一節「春寒浴を賜ふ華
清の池、温泉水滑らかにして凝脂を洗ふ、侍児扶け起せども嬌びて力無し。」の情景を
も想起させて、煽情的、肉感的で、中世の耽美主義の一端を覗ノゾかせている。
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