102d 菅家後草〈読楽天北窓三友詩〉
 
 回顧すれば − 公は燕雀の飛び交う庭から目を逸ソらして、じっと瞑目した。
 勅使の御入り − 正使藤原清実、副使中将忠包、強張コワバった表情で席に着く − ま
さかと思っていた左降の宣旨、それにしてもました忌まわしい罪名 − それでも自分は
意外な程平静に承った − 慌ただしく階段を下りて、やがて車の駆ける音が遠離る − 
自分はなおも元の位置に、身じろぎもせず頚ウナ垂れていた − 忍びの音の声が聞こえる、
几帳の蔭で女房等が泣いているのだ。やっと、あゝ悲しいことになったと思う − 顔を
上げる、男の子等が、怒ったような眼で自分を見下していた − 見交わしている中に、
自分も子等も血涙が溢れ、がばと相擁して動哭した。
 
 流れゆくわれは水屑ミクヅとなりはてぬ 君しがらみとなりてとゞめよ(大鏡)
 
 こんな歌を、上皇様に上った。上皇様は大いに驚かれ、わざわざ仁和寺から参洛、夜
になって御所にお着きになり、寅の刻(午前四時)まで左衛門の陣に坐らせ給うて開門
を迫られたとの御事。藤原菅根が門を守って、遂にお入れ申さなかったとか。あゝ有り
難い御恩寵。余寒厳しい深夜、尊い御身を以て、この道真を救おうために、上皇様には
一晩中左衛門の陣に坐られなさったのだ。
 配流も自分一人ならまだ忍ぼう。春秋に富む最愛の男子四人も、自分に坐して流され
たことは、父として忍ぶに堪えない。
 
 「尚書右丞もと印を提ぐ」。公の長男右少弁高視タカミを指す。「尚書」は太政官の唐
名。「右丞」は右大弁の唐名だが、茲では右少弁に転用している。詔勅を奏する重い役
で、正五位下に相当する勅授の官である。「印を提ぐ」は印綬を帯びること。連坐して
土佐権守に左降された。
 「吏部良中たに新緋を著く」。最近五位に叙せられた二男の式部大丞景行カゲツラが、そ
の喜びも束の間で、越後に流されたことを云う。「吏部」は式部省の唐名、「良中」は
郎中で、式部大丞の唐名である。この官は正六位相当であるが、景行は従五位に叙せら
れたので、緋色の服を着用していたのである。令義解リョウノギゲ衣服令に拠ると、臣下の
服色は、一位 − 深紫、二位・三位 − 浅紫、四位 − 深緋、五位 − 浅緋、六位 − 深
緑、七位 − 浅緑、八位 − 深縹ハナダ、初位 − 浅縹と規定されている。
 
 「侍中香を含んで忽ち殿を下る」。三男の蔵人クラウド兼茂が清涼殿から追われて、遠江
に流されたことを云う。「侍中」は蔵人の唐名、天子の側近に奉仕する役である。「香
を含む」は職原鈔上に、「漢朝にては尚書は親近の官なり。仍ヨッて口に鶏舌香を含み、
手に蘭を握る。故にこれを握蘭アクランと云ふ」とあるに拠る。
 「秀才筆を翫んでなお帷を垂る」。四男の秀才淳茂アツシゲが播磨に流されたことを云
う。「秀才」は文章得業生の唐名。「帷を垂る」は、塾を開いて子弟を教育すること。
  − 上皇様の御志も空しく、自分達父子は別れ別れに五ケ所に流されることになった。
 
 警固の武士共に急かせるゝまゝに車に乗れば、女房達は泣き崩れる。子供等は廂ヒサシか
ら飛び出して車に縋スガろうとする。あの時、子供の一人が、荒くれ武士から邪慳に突き
仆されて転んだのを私は見た − 。
 その後は、この筑紫までの長い辛苦の旅路であった。或いは東に進み、或いは西に行
き、くねりくねった田舎道を進むに連れて懐かしの都の空は遠のき、二月三月の春日遅
々たる頃とて一日一日の長ったらしさ。
 隔たり行く上に警固も厳重なので、親しい者の消息も聞こえず、せめて夢になりと見
て慰みたいと願うても、旅愁の辛さに碌々寝付くこともなかった。途中の景色も、一日
毎に野鄙になり下るばかりで、この淋しさは喩えんものもない。
 
 あまつ星道もやどりもありながら 空にうきても思ほゆるかな(拾遺集巻八)
 
 本当に、そんな不安な気持だった − 天空に煌キラめく星は、軌道も宿りもありながら、
空に浮いて見えるように、自分も駅亭と云う宿もあり、行く先は筑紫と決まっているの
に、不安と懊悩の中に旅を続けたのだった。
 こうして危険と不安に晒されながら、かつがつこの配所には着いたが、食は乏しい上
に着物も無いので、秋まで生きていたら凍え死にをしはせぬかと懸念される位だ。まし
て子供等に衣食を送ってやるなどとは、思いも寄らぬことである。
 
(五)
古之三友一生楽     古の三友は一生楽しみ
今之三友一生悲     今の三友は一生悲しむ
古不同今今異古     古今に同じからず、今古に異る
一悲一楽志所之     一悲一楽、志の之ユく所なり
 
 二十八韻の長詩の結びである。
 古の三友 − 白氏は酒と琴と詩とを三つの友として一生楽しんだが、今の三友 − 自
分は、燕と雀と詩とを友にしながら、これ程までに悲愁に沈んでいる。時勢が変われば
趣味も変わろう、性格が違えば悲楽も変わると云う訳であると。
 
 以上この詩は、白氏の「北窓三友の詩」に感じて作られたのだが、何と言っても、愛
する肉親と生木を割かれる思いで別れている父の情は、お世辞にも楽しいとは言えない。
慟哭の極みである。それを軒場に巣食う燕と雀の、夫婦親子打ち集ツドうて団欒し、分け
ても親鳥のせっせと餌を運ぶ慈愛深さを御覧になっては、慈悲を掛くる術もない今の身
を痛まれている。
 この詩は、前半はやゝ理に走り調子もぎこちなさがあるが、軒場の燕雀を点出する辺
りから滑らかになり、四子の連坐を回想する条に至って情迸ホトバシり涙溢れ、卒読に堪え
ぬものがある。特に「東行西行雲眇々、二月三月日遅々」の辺りは、三嘆させる絶唱で
ある。
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