52a 玉鉾百首
〈玉鉾百首〉その二
皇神スメカミのめぐく思ほす人草ヒトクサぞ 世の中の人ヒト悪アしくすなゆめ
大意:皇神の愛愍し給ふところの人民であるぞ、世の中の人等よ、人の為めに悪し
き事をなす勿れとなり。
世世ヨヨの祖オヤの御蔭ミカゲ忘るな代代ヨヨの祖は 己オノが氏神ウジガミ己が家のかみ
大意:一家をなして安く世を渡るは、代々の先祖ありての御蔭なれば、その御蔭を
忘るゝこと勿れ、代々の祖は即ちその氏を起したる氏神、その家を治めたる家神なれ
ば、孝敬を尽くして祭祀すべしと也。
父母チチハハはわが家イエの神わが神と こゝろつくしていつけ人の子
大意:父母ありてこそ子は有れ、子と有らんものは、父母をわが家の神と、心を極
めて孝養を尽し敬ひ奉れと也。
ぬえ草クサの妻子メコやつこらは皇神スメカミの 授けし宝慈愛ウツクしみ為セよ
大意:妻も子も奴婢の如き者も、皆皇神たちの我に授け与へられし宝と、慈しみ憐
みて大切にせよと也。
かも斯カくも時の御制度ミノリに背ソムかぬぞ 神のまことの道には有りける
大意:ともかくも時の政府の法令を遵守するが、皇神等の真マコトの道にて有るとな
り。
時々トキトキの御制度ミノリも神の時々トキドキの 御命令ミコトにし有れば如何で違タガはむ
大意:時々の法令も、善くも悪しくも其は時々の神の心にて行はるゝ事なれば違ふ
まじきものなりと也。
今の世は今のみのりをかしこみて 異ケしき行オコナイおこなふなゆめ
大意:今の世のありさま、己が心に飽アカず思ふ事ありとて、世にさからひて異風な
る行をなすこと勿れ、矢張其の制令に、かしこまるべき事なりと也。
安国ヤスクニの安ヤスらけき世に生ウマれあひて 安けく有れば物思モノオモひもなし
大意:国家太平の世に生れ来て無事に暮せば、何の物思ひもなし、実に幸福の極み
なりと也。
刈薦カリコモの乱ミダれりし状サマキ聞く時し をさまれる代ヨは尊くありけり
大意:昔時の乱世のありさまを聞く時は、浅間しき事のみなり、其れに引比べて思
へば、泰平なる世は忝けなきことなれば、御代の恵を疎忽に思ふ勿ナカれとなり。
天皇スメラギに神の寄ヨサせる御年ミトシをし 飽アくまで食べて有るが楽タヌしさ
大意:天皇に神の寄せ奉れる米穀を、十分に賜りて食ひて居るが、いとも楽しきこ
とかなと、神徳皇恩を歌へるなり。
事し有れば喜ウレし悲しと時々に 動くこゝろぞ人のまごゝろ
大意:喜しき事、悲しき事に触れて、時々に感動するが人の真心と也。
動くこそ人の真心うごかずと 云ひて矜ホコらふ人は岩木イワキか
大意:物に感動する心こそ真心なれ、吾は物の道理を悟り得たれば、心は物に動ぜ
ぬと云ひ矜るは無常なる石か木か、其れは真心にあらで外面を飾る偽ぞとなり。
真心をつゝみ隠して飾カザらひて 偽イツハリするはからのならはし
大意:真心を色に顕さず、欲しくても欲しからぬ体を作ろひ、嬉しくても嬉しとも
思はぬ状を飾らひて偽りするは外国風なり、所謂天心爛漫ならざるべからずと也。
から人のしわざならひて飾らひて 思ふ真心いつはるべしや
大意:漢人のしわざにならひて、官禄富貴をも求めず、喜怒哀楽にも動かず、天命
なりと悟りたる風をなすとも、中心に思ふ真心を偽り隠すべしやはと也。
玉極タマキハル二世フタヨは行かぬ現身ウツソミを 如何にせばかも死シナずてあらん
大意:死してまた再び来直キナオシのならぬ現ウツツの身を、如何にしたらんには死ずて有
るべきかと死を惜みし歌なり、これ人の真心なり。
現身ウツソミは為方スベなきものか飽アかなくに 此の世別ワカれて死マカる思へば
大意:この楽しき世に存ナガラふことは、飽く事のなきを偖サテも此の世を別れて死ぬ
ることを思へば、現身ウツシミは為セむ方スベもなきものかなとなり。
穢国キタナクニ予美ヨミの国辺クニベは否イナ醜目シコメ 千代とことはに此の世にもがも
大意:予美の国に行くことは否よ、穢き醜目の国よ、千代万代に生存イキナガラへて此
の世に在りたしと也。
千早振チハヤブル神の心を和ナゴめずば 八十ヤソのまがごと何ナニとのがれむ
大意:荒ぶる神の心を和めずては、数多き凶事を何とて遁るゝことを得むと也。
家にも身にも国もけがすな穢ケガレはし 神の忌イみます忌々ユユしき罪を
大意:穢は神の甚だ忌み給ふ罪なれば、身も家も国も穢ケガさぬ様に注意せよと也。
竃カマの火の汚穢ケガレ忌々ユユしも家内イエヌチは 火し穢るれば禍マガ起るもの
大意:竃の火の穢は恐るべきものなり、家内に火が穢るれば災難凶事の起るもの也
となり。
穢ケガレをし罪とも知らに禊ミソがずて 黙止モダある人を見るが鬱悒イブセさ
大意:物の穢を罪咎とも知らで身滌祓ミソギハライをもせずして、其の侭ある人を見れば
快からずと也。
あな恐カシコ予母ヨモつ戸喫ヘグイの禍マガよりぞ もろもろの禍起りそめける
大意:あゝ恐ろしや、伊邪那美神の予美ヨミの竃喰ヘグイをなし給ひ、終に此の国に帰
り給ふことを得ずなりて、やがて夫婦の間を絶ち給ひ、醜女ども追出来りて、終に伊
邪那岐神の身滌ミソギし給ふこととなりて、禍津日神成りいで諸の禍事は始りたりけり、
あゝ謹むべきは火なりとなり。
罪しあらば清き川瀬に禊ミソギして 速秋津姫ハヤアキツヒメにはや明アキらめよ
大意:若も罪咎あらば清き川瀬に至りて、身滌して、速秋津姫等の恩頼ミタマノフユによ
りて、速かに祓ひ清めよとなり。
凶事マガコトを禊がせれこそ世を照らす 月日の神は生出ナリイでませれ
大意:伊弉諾尊の黄泉国の穢に触れ給ひしを悪みまして、日向の小戸オドに至りまし
て、御身の水滌をなし給ひて清浄になり給へればこそ、世を照らす月日の神は現はれ
給ひたれ、世人も罪穢あらばその罪穢を祓ひ清めてこそ、功イサオしき事をも成し遂げめ
とや。
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