02f 論語一日一言
6[修身]
吾日三省吾身 われ日ヒに三たびわが身を省カエリみる
賢賢易色 賢を賢として色イロに易カう
過則勿憚改 過アヤマてばすなわち改アラタむるに憚ハバカることなかれ
不患人之不己知 患己不知人也 人の己オノレを知らざるを患ウレえず、己の人を知らざるを
患う
温故而知新 故フルきを温アタタめて新しきを知る
先行其言 而後従之 まずその言ゲンを行なう。而シコウして後ノチこれに従う
学而不思則罔 思而不学則殆 学びて思わざれば罔クラく、思いて学ばざれば殆アヤウし
攻乎異端 斯害也已矣 異端を攻オサむれば、ここに害ガイ已ヤまん
知之為知之 不知為不知 是知 これを知るをこれを知るとなし、知らざるを知らずと
也 なす。これ知るなり
不患無位 患所以立 位クライなきを患ウレえず、立つゆえんを患えよ
不患莫己知 求為可知也 己オノレの知らるなきを患ウレえず、知らるべきをなさんこ
とを求めよ
見賢思斉焉 見不賢而内自省也 賢ケンを見ては斉ヒトしからんことを思い、不賢フケンを見て
は内ウチに自ミズカら省カエリみる
聞一以知十 一を聞きてもって十を知る
三思而後行 三たび思いて而シカる後ノチに行なう
不遷怒 怒りを遷ウツさず
犂牛之子 (馬辛)且角 雖欲 犂牛リギュウの子、(馬辛アカ)くしてかつ角あらば、山川
勿用 山川其舎諸 サンセンそれこれを舎スてんや
為君子儒 無為小人儒 君子の儒ジュとなれ。小人ショウジンの儒となるなかれ
行不由経 行くに経コミチに由ヨらず
誰能出不由戸 何莫由斯道也 誰タレかよく、出イずるに戸コに由ヨらざらん。何ナンぞこの
道に由ること莫ナきや
知之者不如好之者 好之者不如 これを知る者はこれを好む者にしかず。これを好む者
楽之者 はこれを楽しむ者にしかず
博学於文 約之以礼 亦可以弗 博ヒロく文ブンを学びて、これを約するに礼をもってせ
畔矣夫 ば、またもって畔ソムかざるべきか
五十以学 易可以無大過矣 五十もって学ぶも、易マタ、大過タイカなかるべし
三人行必得我師焉 三人サンニン行なえば必ずわが師シを得ウ
如履薄冰 薄冰ハクヒョウ履フむがごとし
以能問於不能 以多問於寡 能ノウをもって不能フノウに問い、多タをもって寡カに問う
有若無 実若虚 犯而不校 あれどもなきがごとく、実ミつれども虚ムナしきがごと
く、犯オカされて校ムクいず
可以託六尺之孤 もって六尺ロクシャクの孤コを託タクすべし
学如不及 猶恐失之 学ガクは及オヨばざるがごとくするも、なおこれを失わん
ことを恐れよ
譬如為山 未成一簣 止吾止也 譬タトえば山をつくるがごとし。 いまだ一簣イッキを成ナ
さざるも、止むはわれが止むるなり
無友不如己者 己オノレに如シかざる者を友とするなかれ
歳寒 然後知松柏之後彫也 歳トシ寒サムくして、然る後に松柏ショウハクの彫シボむに後オク
るるを知る
未之思也 夫何遠之有哉 いまだこれを思わざるなり。それなんぞ遠きことかこ
れあらん。
不践迹 亦不入於室 迹アトを践フまず、また室シツに入らず
不患人之不己知 患己無能也 人の己オノレを知らざるを患ウレえず。己の能ノウなきを患う
工欲善其事 必先利其器 工コウ、その事コトを善ヨくせんと欲ホッすれば、必ずまずそ
の器キを利トくす
無遠慮 必有近憂 遠慮なければ必ず近憂キンユウあり
不曰如之何如之何者 吾未如之 いかに、いかにといわざる者は、われいかんともする
何也已矣 なきのみ
詩可以興 可以観 可以群 可 詩シはもって興オこすべく、もって観ミるべく、もって群
以怨 アツむべく、怨ウラむべし
日知其所亡 月無忘其所能 日ヒにその亡ナきところを知り、月ツキにそのよくすると
ころを忘ワスるるなし
博学而篤志 切問而近思 博コロく学んで篤アツく志ココロザし、切セツに問トいて近く思
う
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