02 論語一日一言
論語一日一言
参考:PHP研究所発行「論語一日一言」
本稿はPHP研究所発行村山孚氏著「論語一
日一言」を参考にさせていただきました。
同書は,「論語」の名句の中から一日に一言
ずつを採り上げて,それを読み砕いているもの
です。
本稿は,それを@孔子その人の言動,A儒教
の基となる仁徳に関するもの,B国政,治世に
関するもの,C君子たる条件,D社会や組織に
おける人間関係に関するもの,E切磋琢磨して
自身の修学に関するもの,F諌めたり守るべき
戒律的な事柄,の7分野に取りまとめたもので
す。
孔子に拠る論語は,「儒教」の教典とされて
います。
東洋の思想として,また日本人の道徳の基と
しての「儒教」は,「神道」にも相通じるもの
もあります。 SYSOP
易姓革命(えきせいかくめい)は、古代中国
において、孟子らの儒教に基づく、五行思想な
どから王朝の交代を説明した理論とされている。
即ち、易姓革命は、「天子は天命を受けて国
家を統治しているから、天子の徳が衰えれば天
命も革(あらた)まり、有徳者(他姓の人)が新
たに王朝を創始するとするもの」との考え方を
しているので、このことに関しては、わが国の
神社神道においては、否定的な見方をしている。
従って、儒教(論語など)を理解しようとす
るときは、このような考え方の部分を除いて考
察する必要がある。 H22.12.27 SYSOP
1[孔子]
学而時習之 不亦説乎 学びて時にこれを習う、また説ヨロコばしからずや
有朋自遠方来 不亦楽乎 朋トモあり、遠方より来たる、また楽しからずや
十有五而志于学 三十而立 十有五ジュウユウゴにして学ガクを志し、三十にして立つ
四十而不惑 五十而知天命 四十シジュウにして惑マドわず、五十にして天命テンメイを知
る
六十而耳順 七十而従心所欲不 六十にして耳ミミ順シタガい、七十にして心の欲ホッする所
踰矩 に従って矩ノリを踰コエズ
天下之無道也久矣 天将以夫子 天下の道なきや久し。天まさに夫子フウシをもって木鐸
為木鐸 ボクタクとなさんとす
朝聞道 夕死可矣 朝アシタに道を聞かば、夕ユウベに死すとも可なり
道不行 乗桴浮于海 道ミチ行われず、桴イカダに乗りて海に浮かばん
不恥下問 下問カモンを恥じず
三仕為令尹無喜色 三已之無慍色 三たび仕ツカえて令尹レイインとなるも喜色キショクなく、三
たびこれを已ヤめらるとも慍色ウンショクなし
已矣乎 吾未見能見其過而内自 已ヤんぬるかな。われいまだその過アヤマちを見て内ウチに
訟者也 自ら訟セむる者を見ざるなり
予所否者 天厭之 天厭之 われ、否ヒとするところのものあらば、天これを厭タた
ん、天これを厭タたん
述而不作 信而好古 述ノべて作らず。信じて古イニシエを好む
蓋有不知而作之者 我無是也 けだし知らずしてこれを作る者あらん。われはこれな
きなり
黙而識之 学而不厭 誨人不倦 黙モクしてこれを識シルし、学びて厭イトわず、人を誨オシえ
何有於我哉 て倦ウマず。われにおいて何かあらんや
是吾憂也 これわが憂いなり
子之燕居 申申如也 夭夭如也 子シの燕居エンキョ、申申シンシン如ジョたり 夭夭ヨウヨウ如ジョた
り
自行束脩以上 吾未嘗無誨焉 束脩ソクシュウを行なうより以上は、われいまだかつて誨オシ
うることなくんばあらず
子食於有喪者之側 未嘗飽也 子シ、喪ある者の側カタワらに食ショクすれば、いまだかつて
飽ホウせざるなり
不知老之将至 老いのまさに至らんとするを知らず
我非生而知之者 われは生まれながらにしてこれを知る者にあらず
子不語怪力乱神 子シ、怪カイ・力リキ・乱ラン・神シンを語らず
丘也幸 苟有過 人必知之 丘キュウや幸サイワイなり。いやしくも過アヤマちあらば、人ヒト
必ずこれを知る
奢則不孫 倹則固 与其不孫也 奢シャなれば不孫フソンなり。倹なれば固コなり。その不孫
寧固 ならんよりは寧ムシろ固なれ
子罕言利 与命与仁 子シ、まれに利リを言う。命メイと与トモにし、仁と与トモに
す
子絶四 毋意 毋必 毋固 毋我 子シ四ヨつを絶つ。意イなく、必ヒツなく、固コなく、我
ガなく
吾少也賎 故多能鄙事 君子多 われ少ワカくして賎イヤし。故に鄙事ヒジに多能タノウなり。
乎哉 不多也 君子、多タならんや、多ならざるなり
見之雖少必作 過之必趨 これを見れば少ワカしといえども必ず作タち、これを過ス
ぐれば必ず趨ハシる
夫子循循然善誘人 夫子フウシ、循循然ジュンジュンゼンとしてよく人を誘イザナう
予与其死於臣之手也 無寧死於 われその臣シンの手に死なんよりは、むしろ二三子ニサンシ
二三子之手乎 の手に死せんか
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