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[仏教]

 
[曹洞宗の教義]
 
             参考:(財)仏教伝道協会「日本の仏教宗派」
 
 禅の教えは坐禅を通して宇宙一切を支配している法則、真理に適合することであり、 これがために小我を打破して真実の自己に目覚めることであり、これによって己を無に して他のために尽くす利他の行に生きるとこである。この三つの眼目は禅を貫いている 根本の教えである。
 
 道元の教えの特質は、まず第一に、日本の臨済宗が中国臨済宗の継承を標榜したのに 対し、曹洞宗の宗風を継承する自覚をまったくもたなかったことである。道元の主著で ある『正法眼蔵』においては、五家の宗称は仏法を誤る乱称であると強調している。道 元の宗風が五家の一派としての中国曹洞宗の宗風を継承するものでないことを示すもの である。道元自身は禅宗の宗称さえ排して、自らの立場を正伝の仏法であると力説した のであるから、五家分派以前の復古禅を目指したものともいえる。
 
 正伝の仏法とは、釈尊に初まり達磨によって中国に伝えられ、以来祖師へ嫡嫡相承てきてきそうじょうさ れて道元に及んだ全一の仏法であるから、禅宗とも曹洞宗とも限定されるべき教えでは なく、まさしく正しく伝えられた仏法の教えそのものと呼ばれるべきである。
 第二に、道元の宗風の特質は、只管打坐しかんたざ を唱えたことである。只管打坐とは、ただ坐 ることである。この点、道元は日本の臨済宗が中国臨済宗を受けて公案を工夫する看話かんな 禅に立ったのに対し、中国の黙照禅の伝統を受けついだものとみられる。ただ坐るとは 、坐禅を何らかの目的のために奉仕させないことである。したがって、それは悟るため の修行でさえないのである。道元はこれを修証一等といい、修行と証とはいずれが初め でいずれが終わりということはできないと述べている。ここに道元の教えの特質がある 。このような道元の教えは、禅の原点に還る、禅の純粋化運動に外ならないのであって 、その原点に還れば、臨済宗も曹洞宗も本質的に異なる教えではない。両宗の相違は同 じ禅旨をいかに人々に会得せしめるかの方法上の相違に過ぎないのである。
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