[仏教] |
[真言宗の教義] 参考:(財)仏教伝道協会「日本の仏教宗派」 密教は、東洋における宗教の一般的な特質の一つである複合的な性格を多分に持って いる。そのために、真言宗の教理と儀礼の中には、インド・中国・日本などの宗教文化・民 族文化の少なからぬ部分が受けつがれている。神仏習合・本地垂迹といった綜合的な立場 が、真言宗の教理あるいは歴史と密接な関係をもったのもそのためである。このような 点において、真言宗の教義は、教義や実践の選択、単一化を目指した鎌倉仏教の各宗派 とはきわだった対照をみせているが、その複合性と包容力は、一面において真言宗と民 衆とを結びつける絆でもあった。 真言宗の現実の流布形態としては、民衆の現世利益に対する信仰がその主体を占める かにみえ、現代の知識人の宗教観では、現世利益の信仰は低俗な宗教のように思われが ちなため、真言宗の教理が誤解されている点も少なくない。 しかし密教は、古代インドの呪法とか宗教儀礼、さらにはアジア各地の民族文化とか 土着信仰といったものを自らの中にとり入れつつ、それらを絶えず仏教思想によって高 度な次元にまでひきあげてきた。密教ではいかなる低俗な信仰でもいったんは容認し、 その上で人々に一段と高い立場の存在に目を向けさせ、究極にはその高い立場まで導い てゆく。 たとえ卑近な現世利益を目的として信仰に入っても、最終的には宗教的な自覚を得て 、利他の精神に裏づけられた社会活動に向かう道が真言宗の教えでは示されており、こ の点において、個人の欲望の達成のみに比重をかける現代の御利益宗教とは一線を画し ている。 空海にあっては、密教の持つ包容性に、さらに思想的な組織化が加わる。かれはイン ド・中国における通俗信仰、さらにはその当時に日本に伝来されていた仏教各派の教説の ことごとくに一応の価値を認め、真言宗の立場を最上位に置いた十の段階の思想体系の 中にそれぞれを配置したのである。つまり、密教を主体として、全仏教の再編成と体系 化とをはかったのである。そういった構想は、かれの主著の一つである『十住心論』と 、その略論である『 密教思想によれば、現実世界に存在するあらゆる生物や無生物、さらには一切の思想・ 儀礼・習慣などは、一つとして否定されるべきものではない。みにくい人間の欲望すら是 認される。ものごとの本質を見とおす宗教的な目をもてば、それぞれが無限の価値と存 在意義を持つからである。 全仏教と顕教と密教とに二分され、密教の優位を主張する『弁顕密二教論』によって 真言宗の教判が樹立されているが、最終的には、顕教の思想も経典もすべて密教に包摂 せられるとする。要するに、顕密の差別は各人の宗教的な自覚の浅深に求められるとす るのである。一般によく知られている顕密の諸経典の奥に、空海は秘められた深い意味 を見出すことによって、これらをも密教の経典とみなしたのである。 空海が説く密教の教理は、多くの点で顕教とは異なっているが、中でも特徴的なもの は、法身説法と即身成仏の思想である。 法身というのは真理そのものを仏の身体とみなすものであるが、密教では、その法身 である大日如来を宇宙の根源的な生命力とみなし、現実世界の一事一物が、ことごとく この法身たる大日如来の説法であると説く。 さらに、それまでの仏教は、すべてのものが仏に成ることはみとめていたが、そこに 至るまでの期間や方法については、さまざまな立場があった。 顕教では、成仏する期間は長く、行がきびしいのが通例であったのに対し、空海は、 人間が密教の眼を開くことができさえすれば、この世で煩悩におおわれた肉身のままで 、ただちに仏に成ることができると主張した。即身成仏というのが、このような特徴を もった真言宗の成仏論なのである。そのためには、各人が実践を通して宗教体験の中で それをつかみとらねばならない。 すなわち、密教の行者は、自己の身体と言葉と心のはたらきの三者が、いずれも大日 如来のそれらと同一であることを宗教体験として把握し、大日如来と一体化するために 、手に印を結び、口に真言とか この三密の行を実践することによって、大日如来の加護がはたらくのである。この意 味において、真言宗の行は、浄土教の他力門とも、禅系の自力の行とも異なっている。 行者自身が三密の行によって生みだした功徳の力と、大日如来の加護の力が同時にはた らいて一体となったところに成仏が果たされるので、即身成仏が可能となるわけである 。 空海は、密教の宣布にあたって、既存の奈良の各宗の僧侶たちとも親交をたもち、東 大寺や大安寺の別当職についたり、興福寺で祈願会を行ったりしながら、旧仏教の密教 化をはかっていった。 空海の事蹟の中で忘れてならないものは、その対社会的活動であろう。日本で最初の 庶民の学校である かれの民衆福祉のための社会活動の原理は、現実を離れて理想を求めず、現実の社会 に生きる一切衆生に対して限りない慈悲心をもち、その物心両面にわたる救済を仏の智 慧の方便の行として最高の価値を認める密教思想にその裏づけをもっていた。 日本の歴史の中で、鎌倉時代の |
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