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[仏教]

 
[臨済宗の教義]
 
             参考:(財)仏教伝道協会「日本の仏教宗派」
 
 もともと、仏陀の教えも禅の初祖とされる達磨の法門も、じつは義玄と同じ大悟を坐 りとしている。禅の基本的な考え方は、大乗小乗の特色とされる「なやみはさとりの種 (煩悩即菩提)」や「なやみを断ち切らないで、安らぎをつかむ(不断煩悩得涅槃)」 という考え方を出るものではない。
 
 中国で発生した禅宗の特色は、そうした大乗小乗の教義を、己が身に引き受けて具体 的な力とする方法を見つけだしたところにある。
 たとおば初祖達磨はのちに二祖となる慧可えか が「私の心はまだ安らかではありません。 どうか私の心を安らかにして下さい」とたのんだとき、「心をもって来なさい。お前の いう通り安らかにしてあげよう」と答えている。そして慧可が「心をつかまえようとし てもつかまえるものがありません」と叫んだとき、達磨は「お前のためにお前の心を安 らかにしてやったではないか」というのである。慧可はすでに大乗の諸宗では不安な心 の他に別の悟りの心があるわけではないと説いていることを充分に承知していた。しか し単にそれだけのことなら、すでに古くより各種の『般若経』があり、『維摩経』もま たそのことを教えている。達磨はわざわざ中国に来る必要がなかった。慧可もまた達磨 にそれを求めはしなかったはずである。かれはすでに四十歳をすぎて、儒教・老・荘の思 想はもとより、大小乗の仏教教理を究め尽くしている。しかし、それらの哲学はかれ自 身の心の不安を解く道ではなかったのである。
 
 元来は、戒律や坐禅の修行がそうした役目を負うていたはずであるが、インドと中国 では、風俗習慣もちがい、文明の歴史もちがっていた。インド仏教と同じ戒律や坐禅を 、完全に実行することは困難だった。まして完全な悟りを得ることは、ほとんど絶望で ある。達磨にはじまる禅宗の発生は、かつての大乗小乗の外に、別の新しい思想を加え たものではない。大乗が大乗であるための、具体的・実践的で実現可能な悟りの方法を確 立したところに、この派の仏教の歴史的魅力があった。
 
 達磨が慧可に不安な心を差し出せと求めたのは、つかまえどころのない空の論理を知 らせるためでもなければ、単なる皮肉でもなかった。達磨は実際につかまえどころのな い心そのものを差し出させたのである。二人の問答は、そんな具体的方法の事例の一つ にほかならない。六祖と呼ばれる曹渓慧能もまた「文字を知らず、仏法を せず、ただ 道を会するだけ」という田舎老爺であった。「道を会する」とは根源的な自己の全体を 内から把むことであり、その全体を自由に語ることのできる力のことである。慧能は、 天成の禅者であった。広く大乗の哲学を知り尽くしている点では当時の最高権威であっ た神秀が、心という清浄な鏡に塵をつけぬよう、たえず注意し、努力するというのに対 して、慧能は「もともと何一つ心というものはない、何処に塵埃をつけようというのか 」と叫ぶ。神秀の考えが間違っていたわけではない。むしろ完全に大乗の原理に合して いる。問題はそんな完全な模範的優等生ぶりにある。神秀の主張は、禅宗の道ではなか った。禅宗のねらいは、病気を直す薬を研究したり、健康維持につとめる努力にあるの ではない。健康と病気という相対的な意識すらない、本来の健康体の確認と、そうした 本来の自己が自由に生きて創造してゆく新鮮な言行こそが禅の本領である。病気にかか らなければ、薬は無用であり、迷わなければ、悟ることすらあり得ない。
 
 慧能の主張をさらに前進させる馬祖道一は、日常の一挙一動のすべてが道の働きであ るとし、「平常心これ道」を説く。「平常心これ道」という発想は、道を高遠な理想に 求めず、日常の衣・食・住のところにあるとする中国古来の思想から出たものであり、中 国民族の宗教としての禅の本質をあらわすといえる。
 
 臨済義玄は馬祖の四世である。現実の個人の生ま身の自由と価値を説くことは、この 人において頂点に達する。かれは既成の哲学も倫理もすべて閑人の道楽にすぎぬとし、 人を縛る枷のようであるとさえいう。その最大のものが仏祖である。仏祖の言葉が経典 にほかならない。臨済は経典を不浄を払う故紙にすぎないとし、「仏を殺し祖を殺して はじめて解脱することができる」とする。この句くらい、臨済の本領を語るものはない 。本尊、教義、聖典のない宗教の誕生を、この人において見るのである。しかも、かれ はそうした自分の主張が固定化され、ドグマとなることを嫌って「わが語るところに執 着してはならない」といっている。こうして思想としては、もうこれ以上発展しようが なくなる。禅の思想は臨済において極まる。あとはふたたびそうした思想を固定化する ことなく、いかに具体的なものとして生かしつづけてゆくかという方法の探求となるほ かない。これが臨済を祖とする臨済宗で、やがて公案が発生する理由である。
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