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[仏教]

 
[日蓮宗の教義]
 
 さて、この三秘は、実践面において三つに分けて示されたものにすぎず、もとをただ せば教えとしての「南無妙法蓮華経」にもとづくものである。そして「南無妙法蓮華経 」は一念三千いちねんさんぜん という真理をそなえているのである。
 
 一念三千というのは、天台大師が、『華厳経けごんきょう 』で説かれる、迷いの世界である地獄か らはじまって、さとりの境地である仏界までを十に分類した 十界じっかい十法界じっぽうかい)と、『法華 経』に出てくる、あらゆる存在(もの)の在り方を十に分類した 十如是じゅうにょぜと、 『大智度論だいちどろん 』に出てくる、現実の世の中を三種に分類した三世間とにもとづいて「ものの真実の在 り方」を示したものである。それ故、一念三千は、真理の表現方式であるとともに、そ れによって表現される「ものの真実の在り方」、すなわち真理を指すのである。
 
 三千という数は、十の世界が互いにそれぞれの世界をうち に含みそなえている(十界互具じっかいごぐ )ということから、十かける十で百となり、その百のそれぞれが十の「ものの在り方 」である十如是の一つずつをそなえているので千となり、その一つずつが三種類の世界 を持っているので、合計三千種の世界があるということである。そして、これら三千種 の世界(三千種の「ものの在り方」)が、わずか一瞬の心の中にそなわっているのを、 一念三千と言うのである。
 
 天台では、この心は、われわれの迷いの心とされる。そして十界互具ということから 、こうしたわれわれの心にも仏界(仏の一念の三千の世界)が理論上実現可能なものと してそなわっており、修行によってこの完成の世界が顕れるという。
 
 これは、普通の凡人の迷える心に理論上そなわっている三千の世界であって、修行に よらなければ顕われないから日蓮はこれを「理具りぐ の一念三千」と呼んだ。そして日蓮み ずからは「 の一念三千」を説く。これは『法華経』の後半の本門にもとづくものであ る。本門において久遠実成が明らかにされると、久遠の釈迦牟尼仏の一念にそなわって いる三千の世界(仏界すなわちさとりの境地)は本来実現されていることになる。かく してその仏界に他の九界が本来そなわり、仏界も昔から九界にそなわっているという真 の十界互具が成り立つ。このことから、われわれも久遠実成の仏と同じく、始めなき永 遠の立場に立つと自覚し信ずることによって、われわれの一念は仏の一念と同一となる 。この一念にそなわる三千の世界は、とりもなおさず仏界である。この本門の一念三千 は、久遠実成という事実にもとづいて真の十界互具を見出したものであるから「事の一 念三千」というのである。日蓮は、この「事の一念三千」こそ仏のさとりの境地である ことをつきとめ、これを『法華経』に含まれている珠とみたのである。また、この「事 の一念三千」にもとづいて大曼陀羅だいまんだら を図顕した。
 
 『妙法蓮華経』というのは、もちろん普通『法華経』とよばれているお経の題目であ るが、「妙法蓮華経の五字」とか「南無妙法蓮華経の七字」といった場合、それは単な る経の題目ではなく、『法華経』そのものであり、この経典の真髄を象徴的にあらわし たものなのである。まさしく”名は体をあらわす”ということなのだ。
 
 そして、『法華経』の真髄こそが、「寿量品」にひめられている「事の一念三千」と いうことになる。したがって「一念三千を識らざる者には、仏大慈悲を起こして、(妙 法)五字(の袋)の内に此のたま をつつみ、末代幼稚のくびに懸けさしめたもう」と『観心 本尊抄』の中に述べられているのである。
 この場合、五字というのは単なる容器ではなくして、その中に「事の一念三千」を完 全に具えている、ということである。だから、「寿量品の 肝心かんじん、妙法蓮華経の五字」と いわれる。
 
 したがって、一念三千も五字も、ともに「寿量品」の肝心であって、別々なものでは ないが、一念三千は数理として示されたものであり、一方、五字、七字は、数理によっ てあらわされた真実を自分の心に引きつけて観ずる実践の具体的な 行法ぎょうほう として、末法の 時代のわれわれに与えられたものなのである。
 われわれは、この『妙法蓮華経』の五字を受けたもち、心に信じ口に唱え身体に行ず るのである。それ故、帰依きえ を意味する「南無」という二字を冠して「南無妙法蓮華経の 五字七字」といわれるのである。
 
 以上を要約すると、本尊(本門の本尊)に向かい、この真理のそなわった「南無妙法 蓮華経」(本門の題目)を意に信じ口に唱え、自分が受けたもつのみならず他の人々に も勧めることによって、個人の悩みが解消するばかりでなく、そこに理想の社会(本門 の戒壇)、すなわち仏の世界(仏国土)が実現する、というのである。
 仏教の各宗にはそれぞれ、理(真理)・教(真理を表現する教え)・行(教えの実践)・ 証(実践により得られるさとり、すなわち理想の境地)という四つの体系がある。日蓮 宗では、日蓮が信じ了解し実践した『法華経』を理・教・行・証の基本基本としており、五 綱は主として理と教を明らかにし、三秘は行と証とを示しているのである。
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