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[仏教]

 
[浄土真宗の教義]
 
 第四の現在不退というのは、以上のような信心が確定した時に、最上のさとりに到達 することが定まり、この世に生きているうちから、如来と等しい徳にうるおう人である といわれるのである。このように親鸞は、この現在の世における利益を、最も高くたた えたのである。ややもすると浄土教というのは、浄土に往生することを目的とする教え であるから、死後の救いのみを主張しているように考える人もあるようだが、とんでも ない誤解である。
 事実親鸞は、現世で受けることの出来る十種の利益を『敢行信証』信巻の中に挙げて いるし、『現世利益和讃』十五首を残している。これには、仏の救いに遇うことが出来 たものは、おのずから法悦にひたり、自覚的主体を確立して、真実の生き方を進展して ゆくことができると述べている。
 
 第五の迷信排除については、かみに述べた現世利益との関係において考える必要があ る。すなわち、いくら親鸞が現世の利益を強調したといっても、物質的効果や福利を、 神仏に祈るというようなものではない。彼はあくまでも迷信を排除したのであって、神 仏に祈って禍いを除き、幸福を願うようなことは、正しい人間の生き方ではないことを 強調している。したがって、いたずらにたたりを恐れたり、山川草木の霊を信じたり、 日の吉凶、方角の良し悪しを言ったり、占いなどによって運命を定めるようなことはあ くまで否定したのである。
 
 人間に不幸が起こったとき、たたりや霊、日や方角、といったものに責任を転嫁して しまったなら、人間の迷いはますます深くなり、われわれの生活は破滅の一途をたどる ことになる。すべての幸福は神仏に祈ることによって与えられると考えるならば、人間 の努力や教育は不必要となり、人間はますます堕落してしまうであろう。このように迷 信は、人間を真実に生かす道ではないから、親鸞はあくまでこれを排除したのである。
 仏教においては、正しい因縁の道理を正視し、自分の生きる責任を自分に問い、いか なる苦難をも乗り越えて、よりよき人生の開拓に努力することを教えるのである。そう した決心と努力をつちかうものこそ、不動の信心なのである。
 
 南無阿弥陀仏のいわれを聞きひらき、信心に生かされるものは、いかなる障害にもく じけず、どんな誘惑にもまどわされず、人間の最高の目的であるそとりへの道を進ので ある。親鸞は「自分の浄土往生は間違いないと信じることの出来た人は、み仏の深いご 恩を感謝し、そのご恩に報いんがために、ひたすらお念仏を称えながら、どうか世の中 が平和であり、仏の教えが弘まるように、努力しなければならない」と述べている。こ れこそ浄土真宗における、人生生活の基本的姿勢を示したものと言えよう。
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