71 菅公に因む伝説
参考:日本放送出版協会発行『日本伝説名彙』
(昭和25.3.10第一版第一刷、昭和49.11.1第二版第五刷)
[菅公(菅原道真公)に因む伝説]
〈木の部〉
△一夜松
菅公流配の際、早良郡入部村の菟道岳の麓を通られたとき、我が罪の無実が後に明ら
かになるならば、この木は一夜のうちに茂るであろうと、一本の小松を植えたのが、一
夜のうちに古木となったと云う。「筑前伝説集」福岡市住吉町
△船繋松
菅公左遷の折、此処に船を寄せられ、この松に繋がれたと云うので、この名がある。
「武庫郡誌」兵庫県武庫郡御影町石屋(現神戸市東灘区)
菅原神社の東に潮井掛と云う処にある。菅公の船を繋いだ松と云う。元木は枯れ、若
木を植え継いだと伝えている。「遠賀郡誌」福岡県遠賀郡誌(現遠賀町)
△飛梅
菅原神社にありて、太宰府の神木を乞い分かったものだと云われている。福島県信夫
郡松川村(現福島市)
菅原道真が植えられたもので、太宰府にあるものと同種であるから、飛梅と云う。「
南越民俗二」福井県大飯郡大島村(現大飯町)
天満宮前の飛梅は、菅公の都の邸の梅が一夜のうちに飛んで来たものと云う。或いは、
菅公西遷の後、伊勢度会の社人白太夫が公の後を慕って筑紫へ下る途中、庭の紅梅の根
を分けて密かに携えて来た。公はそれを憚って一夜のうちに飛んで来た飛梅と言ったと
も伝えている。「筑前伝集」福岡県筑紫郡太宰府町
△飛松
菅公が愛せし松が、此処まで飛んできて枯れたと云う。後に一松を植えてその名残と
した。「摂陽群談」神戸市須磨板宿
△縁取梅
樋口の天神橋付近の天神様の境内にある梅を、縁取梅と云っている。花が特に縁を取
ったようになっている。これは菅公の霊験あらたかなためと云い、他に移しても芽を出
さないと云う。「南佐久郡口碑伝説集」長野県南佐久郡穂積村(現八千穂村)
△鼻ぐり梅
菅原に、道真の誕生地と云って祀った社がある。此処の梅の種に穴があるので、鼻ぐ
り梅と云っている。道真公が幼時、梅の実に穴を空けて糸を貫いて遊んだ梅が、地に落
ちて芽を吹いたものだと云う。「郷土研究二」島根県八束郡来梅町(現宍道町)
△御救梅オスクイウメ
御救梅は、天神河原の菅原神社の社前にある。この社の御神体は昔、川から引き上げ
たと云うので河上天神と云うが、この河上の一豪族の娘は、継母のために欺かれて河中
に落とされ、日頃信ずる天神を念じ、
河上の神の誓もあらんには救わせたまえこの花の主
と詠ずると、一枝の梅花を認め、これに取り縋って救われた。それからこの梅を御救梅
と云う。「北甘楽郡史」群馬県北甘楽郡小幡町(現甘楽郡甘楽町)
△天神松
天神松は、谷田部郡須磨村の民家より南海面の方の森の中にある。この松は菅公が筑
紫に流されたとき、この浜辺に舟を留め風波の難を凌がれ、この松の下に纜トモヅナを執っ
て休まれたので、天神松と云い、その後夜々海中から灯を捧げたので、竜灯の松とも云
う。「摂陽群談」神戸市須磨
由来は明らかでないが、根本に天神様を祠ってあるので、天神松と云う。神社合併の
際、この木を伐ろうとして熱病に罹って死んだ者がある。「南佐久郡伝説集」長野県南
佐久郡臼田町
結堀切の境の近くの天神原に、天神松がある。これは菅公が父是善卿と共に、今の八
束郡来待村菅原に来られたときか、或いは筑紫左遷のときにこの松の下で休まれたので
斯く云う。「島根県口碑伝説集」島根県斐川郡直江村(現斐川町)
△天神梅
菅公左遷のとき、この浦に船係りして、梅の枝を挿したのが枝葉栄え、八重で周囲四
尺、高さ三間の大木となり、花茎一つに実を八つ結ぶと云う。「備陽国誌・岡山名木珍
石伝説集引」岡山県児島郡引網村
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