54 風土記の神話伝説
〈「記紀」や『万葉集』にあって、『風土記』にない神話伝説〉
「記紀」などに見られる著名な神話伝説であるにも拘わらず、『風土記』に記されて
いないものの典型的な例として、スサノオ神の八岐大蛇退治があります。
この神話は、高天原で乱暴を働いたスサノオ神が出雲へ追放され、其処で八岐大蛇を
斬り殺して奇稲田姫クシナダヒメを救う、と云う構成になっています。八岐大蛇退治の神話
は、広く世界に類例を持つ型タイプの神話であり、ペルセウス・アンドロメダ型説話と呼
ばれています。この舞台は出雲とされています。しかし、『古事記(七一二年成立)』
『日本書紀(七二〇年成立)』とほぼ同時代に完成した『出雲国風土記(七三三年成立
)』には、意外なことにこの神話についての記載が見られません。その代わり、意宇オウ
郡の拝志ハヤシ郷の条に、
天の下造らしし大神命、越八口を平コトムけむとして幸イデマしし時、此処の樹林茂り盛り
き。
と云う神話が残されており、同郡の母理郷の条に、
天の下造らしし大神、大穴持命、越八口を平け賜ひて、還りましし時、長江山に来ま
して詔りたまひしく、「我が造りまして、命シらす国は、皇孫命、平らけくみ世知らせ
と依さしまつらむ。但、八雲立つ出雲国は、我が静まります国と青垣山廻らし賜ひて、
玉珍タマ置き賜ひて守らむ」と詔りたまひき。
と記されています。拝志郷の記載は、天の下造らしし大神命が越の八口征伐に向かうと
きの状況を述べたものであり、母理郷のものは、天の下造らしし大神が越の八口を平定
して戻ったときの様子を記しています。此処に登場する越の八口は、八岐大蛇を想起さ
せます。事実、『古事記』では、「高志コシの八俣遠呂智ヤマタノヲロチ」と表記されています。
しかしながら、『出雲国風土記』の場合、あくまでも「越の八口」であって、大蛇では
ありません。そして何よりも、それを征伐するのはスサノオ神ではなく、天の下造らし
し大神(命)である、と云う点が重要です。天の下造らしし大神(命)とは、大穴持命
であり、この風土記の中で中心的な位置を占める神です。スサノオ神もこの風土記で主
要な位置を占める神ですが、その重要度ウェイトは大穴持命に遠く及びません。
出雲神話の典型である八岐大蛇退治神話が、このように『出雲国風土記』に全く記さ
れていないことは、とりもなおさず、この風土記の神話の特異性を物語っているのです。
〈『風土記』的神話世界〉
次に、「記紀」や『万葉集』には見られず、『風土記』のみに記されている神話を採
り上げ、『風土記』的世界を見ることにします。
その神話とは、「荒ぶる神」に纏マツわる神話です。「記紀」に見える荒ぶる神と、『
風土記』の荒ぶる神とは全く異なっています。例えば、『播磨国風土記』の神前郡の生
野の条に、
生野と号くる所以は、昔、此処に荒ぶる神ありて、往来の人を半ば殺しき。此に由り
て、死野と号けき。
とあるのがそうであり、この風土記の荒ぶる神は交通妨害の神として登場します。それ
も単に妨害するのではなく、往来の人数の半分を殺害すると云う、まさしく荒ぶる神な
のです。荒ぶる神は陸路の交通妨害だけでなく、賀古郡の鴨波里の条に、「毎ツネに行く
人の舟を半ば留めき」とあるように、海上交通の妨害も行っていました。また、この神
は、旅人が必ず通らなければならないような交通の要衝に居て殺害を繰り返す訳であり、
ときとして女神である場合もあります。しかし、このような荒ぶる行為も、祭ることに
よって和らいでいます。
このような荒ぶる神の事例は、『風土記』の中で何例か見出すことが出来ます。地域
的にも、播磨・伊勢・駿河・摂津・筑後・肥前などの諸国に見られ、かなり広い地域に
亘って神話の分布が確認出来ます。しかし、『風土記』に見られるような荒ぶる神は、
「記紀」にも『万葉集』にも一例も検出することが出来ません。更に興味深いことは、
このような荒ぶる神は、他の文献にも殆ど見られないことです。交通妨害をし、旅人の
半数を殺害してしまうと云う型タイプの荒ぶる神は、『風土記』特有の神と云うことが出
来、まさしく『風土記』的な神話世界と云えます。
〈終わりに〉
普通神話伝説とは、「記紀」に見られるものを想い出しますが、『風土記』にも特異
な世界が展開されてことを忘れてはならないと思います。
前述した八岐大蛇退治神話において、「記紀」と『出雲国風土記』とでは異なった神
話体系を持っています。一般に出雲神話とは「記紀」のものを云い、『出雲国風土記』
の神話は付加的に扱われているように見受けられますが、「記紀」は律令国家によって
編纂されたものであり、『出雲国風土記』は在地で出雲国造を中心に纏められたもので
すので、このような一般的傾向は誤りであると思います。寧ろ『出雲国風土記』に見ら
れる神話が「出雲神話」であり、「記紀」に記されているものは、「いわゆる出雲神話
」若しくは「出雲系神話」と云うべきと思います。
(原執筆者:瀧音能之氏)
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