52a 日本人の道徳観と神話伝説
〈協同主義の人生観〉
以上のような日本民族の心性の基本をなす四つの性格が機能して、日本人の民生の発
展と、経済的な適応とが円滑に現出し、生活の調和が遂げられました。そこで日本人の
平和性が貫かれ、また総ての道徳がそれを守るために培われました。道徳性とは、民族
生活の基礎的共同規制の上に形成されるものであり、民族の社会生活を円滑に営むため
に、成員の間に自ずから定められた共同の規制と云うべきものです。道徳は即ち社会成
員の共同習俗 − 慣習です。古代社会の慣習は、呪教的色彩の強いもので、呪術と禁忌
の形となって現れ、それから一つは慣習法となり、一つは道徳となりました。
故に古代日本人の道徳性は自他の利益と幸福とをもたらすことを目標として作用しま
した。それは究極において協同主義の人生観を形成する基本的な思考を形成しました。
その神話的表現は、「神カン直ナオび大オオ直ナオび」の思考です。素戔嗚尊スサノオノミコトが天照
大神に対し多くの罪を犯されたのに対し、大神はそれを無意識的過失として咎めず、弟
に対して悔悟反省を求めたと云う神話は、そのことを「詔ノり直し給うた」と記します。
これが「神直び大直び」の心です。祝詞の「御門祭」には、「咫過あらんをば神直備カン
ナオビ大直備オオナオビに見直し聞き直しまして、平らけく安らけく仕え奉らしめ賜う」とあ
り、「還却祟神タタルカミヲウツシヤラウ」祝詞にも、「天の御舎ミアラカの内に坐マす神たちは荒び給い
健タケび給うことなく、高天原に始めし事を神ながらに知シロし食メして、神直日カンナオビ大直
日オオナオビに直し給いて」とあります。神直日とは神秘である力の機能で事を糺す力の作
用を意味し、大直日はその不思議な力の偉大さを示します。その不思議で神秘的な大き
な力によって、犯した罪・誤ちを反省させるように仕向け、よく直して神の支配によっ
て平和な安らぎを戴けるようにと祈念するのであり、この神直日・大直日の霊力は「大
殿祭オオトノホガイ」の祝詞に、伊弉諾尊イザナギノミコトの禊ミソギの時に出現した神として、神直
日命・大直日命二神となって善を導く神とされます。これが古代日本における過誤に対
する是正反省の常套手段です。直びは一種の語呪であり、言霊コトダマ信仰 − 言葉の持つ
霊力によって言葉通りの行為が実現し、人間の行動がそれで左右されると云う信仰 −
に因ります。それは共同社会における禁忌tabooの侵犯者を悔悟反省させることによっ
て、共同体社会において従前通りの生活を送らせようとする道徳性の顕現です。かくの
如く古代日本人の社会道徳は協同主義の基盤の上に成り立っていました。
古代日本人の間に見られるこのような道徳性の動向は、協同精神に支えられていまし
た。前述の天照大神が弟の素戔嗚尊に対する寛大な反省要求に拘わらず、素戔嗚尊に反
省がなく更に乱業が続き、大神の水田の畔放アハナち・溝埋ミゾウメ・大嘗殿への屎麻里クソマリ
散し・大神の忌服屋イミハタヤへの天斑駒アメノブチコマの投入・大神の天衣縫女アメノミソオリメが驚怖に
より織器の梭ヒに陰上ホト衝き刺して死亡した等の事件が相次ぎました。これらは全て耕作
上の潅漑施設の破壊・禁忌侵犯の触穢行為で、祝詞に見える慣習法上の天津罪アマツツミに該
当します。この共同習俗に背反した行為は、遂に高天原の神々の総意によって高天原よ
り下界に追放されます。この決定は、神集カンツドイと神議カンハカリによるとされます。神話で
はこうした会議を、高天原の天安河アメノヤスカワの河原に八百万神を集合させ懸案の評議をさ
せ、その会議の議長には、思慮分別のある思兼神オモイカネノカミが任ぜられています。祝詞で
はそれを「天之高市アメノタカイチに八百万神等ヤオヨロズノカミタチを神集カンツドイに集い給い、神議カン
ハカリに議り給いて」と記します。これはあくまで神話であり史実ではありませんが、神話
はそれが社会に対し機能を持っていた時、当該社会の道徳律や社会規制を次代に伝授す
る役割を演じていました。そうであるならば神話の核心を把握すれば、一つの事実を復
原することが出来ます。素戔嗚尊の行為は共同体生活の破壊ですので、それに対する反
省がないため、協同主義に反する者に対する社会全体の利益と福祉とを守るために、協
同主義の立場において、平和と秩序とを害する者として、衆議を以て社会から遠ざけら
れたことの神話的反映です。その罰は、追放刑としてのカムヤライ、体刑としての抜爪
・断鬚、財刑としての千位置戸チクラオキド(多くの物を置く台の上に多くの罪穢を祓い贖う
ための祓具ハラエツモノを荷わせた)が科せられました。
このような古代日本人の間には民族性に根ざす理想から、彼等の道徳が定められ、そ
れを守る気力が湧き、倫理観が形成され、協同一致して行動をし、適合した美しく、清
く、明るい、素直な生活を営為する理想に燃えていました。其処から日本人の深遠な生
命観が生まれます。冥府の神が「一日の千人の人草をくびり殺す」と云うのに対し、創
造神は「一日に千五百の産屋ウブヤを建てる」と対話した神話は、人口の自然増を示唆す
る神話です。この道徳は生々殖産主義観です。この道徳観の基本は神話を見ますとムス
ヒの信仰に発しています。ムスヒは産霊であり、具体的には高皇産霊神タカミムスビノカミと神
魂神カンムスヒノ(カモスノ)カミに分け、男女禺(耒扁+禺)生グウセイ(二人生るること)の神のよう
に説かれていますが、元来はムスヒの霊能を持つ一神であり、この神の機能によって総
てのものが創造されます。
生活を享楽する思考は道徳として、日本人に三つの基本的思想を植え付けました。美
しく明るい生活の追求心は「明の思想」を、清き生活の欲求は「浄の思想」を、そして
真直に素直に生きる生活は「直の思想」を創り出しました。この三つの明・浄・直の思
想は日本国家に対しても、また天皇と臣君との倫理観においても、長い間その関係を支
える基本的な支柱として作用して来ました。
(原執筆者:水野祐氏)
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