43a [巨人の身体から造られる世界]
 
〈世界を生み出す男根の話〉
 
 ヒンズー教の最高神として、ヴィシュヌと肩を並べる存在はシヴァです。ヒンズー教
の古典的教理に拠りますと、シヴァは破壊の神とされ、創造神ブラフマー及びヴィシュ
ヌと共に、トリムールティと呼ばれる最高神の三人組を形作ると考えられています。し
かしシヴァを至高神として崇めるシヴァ教徒にとっては、ブラフマーとヴィシュヌも実
は、唯一絶対神格であるシヴァの一つの面相に過ぎぬと考えられるているのです。シヴ
ァ神のシンボルは、リンガと呼ばれる巨大な勃起した男根です。シヴァの絶対神として
の性格を強調した次の神話では、この陽根の神秘が物語られています。
 この神話も前述の神話と同様に、世界が創造される以前に、原初の大洋にヴィシュヌ
がその巨体を浮かべているところから始まります。
 
「果てしない眠りから覚めたヴィシュヌは、彼の方へ何か光り輝くものが猛烈な速力で
近寄って来るのを認めた。それは四面の創造神ブラフマーだった。ブラフマーは微笑し
ながら、海面に身体を横たえた巨大な神に向かって質問した。
『汝は誰か。何処から生まれ、此処で何をしているのか。私は、万物の最初の創造者で
あり、自らの起源を自分自身の内に持つ者だが』
 ヴィシュヌはこれに対して、抗弁して言った。
『とんでもない。私こそ世界の創造者であり、また破壊者でもある。私は今日まで、絶
えず世界を造ってはまた壊すことを繰り返して来たのだ』
 二柱の神は長い間論争を続けた。そのうちに彼等は突然、頭に炎を戴いた巨大な男根
が海面上に突き出たと見る間に、無限の空間へ向けどんどんそそり立って行くのを見た。
二柱の神は、暫くこの不思議に見取れてていたが、そのうちにブラフマーがヴィシュヌ
に言った。
『汝は海に潜れ。私は空中に飛び上がろう。そうしてこのものの両端が何処にあるか、
見極めてみようではないか』
 こう言うと、ブラフマーは鵞鳥に姿を変え、上へ上へと飛び上がり、ヴィシュヌも直
ぐに猪に変身して、海中にぐんぐん潜って行った。しかし、両神が全速力でそれぞれ上
と下へ行くにつれて、陽根はどんどん丈を伸ばすので、何処まで行っても端に達するの
は不可能だった。
 そのうちに突然、陽根に割れ目が生じ、その中に、シヴァの姿が現れた。二柱の神が、
畏まって礼拝すると、シヴァは彼等に向かって、『シヴァこそが彼等両神の源であり、
二神はシヴァとそのリンガより発し、その中に含まれるものである』と教えて、ヴィシ
ュヌとブラフマーの言い争いに決着を着けました。シヴァ教徒は、この彼等の至高神を
象徴するリンガを単独か、又は女陰ヨニと結合させた形で、世界万物の創造の源泉とし
て崇めています。
 
〈淤能碁呂島オノゴロジマ神話の天沼矛アメノフボコは男根か〉
 
 男性器を創造の源と見なす考え方は、インドに特有のものではありません。旧石器時
代の洞窟壁画にも既に、女性器を示すと見られる図形と共に、明らかに男性器を表すと
思われる図形が描かれています。クロノスによって切り取られ海に棄てられた天空神ウ
ラノスの男根からアフロディテが誕生した、と云うギリシア神話は良く知られています。
大地女神ガイアの胎内に、多くの神々を受胎させたこの創造神の陽根は、身体から切り
離された後も創造の働きを止めなかったのです。男根を万物の根源と考える発想は、太
陽神レーを主人公とする古代エジプトの次の神話の中にも、はっきり見て取ることが出
来ます。
 この神話でも、原初にはヌンと呼ばれる大洋だけが存在したと云います。ヌンの直中
タダナカに最初に出現が存在が、アトゥムとも呼ばれる太陽神レーで、レーは大洋の真ん中
に高くそそり立つ小山の形を執って発現したと云われます。その後で太陽神は、この自
分自身を象徴する小山の上で、ピラミッド文書に次のように描写されている仕方で、最
初の神々を生み出したとされています。
「アトゥムは、ヘリオポリスにて、自とく(手淫)するものとなれり。彼は手に自らの
陽根を執りて、欲望を刺激しぬ。息子と娘がこれよよりて生まれたり。兄と妹が、シュ
ーとテフヌトが」
 つまりこの神話に拠りますと、世界は創造神の自慰行為によって、その男根から生み
出されたことになります。
 
 この神話と似ているのが、わが国の淤能碁呂島神話です。ところで、「淤能碁呂島は、
伊邪那岐命と伊邪那美命が天の浮橋の上に並んで立ち、天沼矛と呼ばれる矛を原初の海
洋中に挿し入れ、海水を音を立てて掻き混ぜて引き上げたところが、矛の先から滴り落
ちた塩水が積もって出来たと物語られています。この海中に矛を突っ込み、掻き回した
上でまた引き抜くと云う行為は、男根とその精液を表すとの解釈があります。
 これと関連して注意したいのは、『先代旧事本紀』と云う書物に、伊邪那岐命と伊邪
那美命がこの天沼矛を、淤能碁呂島の上に立てて、「国の中の天の柱」とした、と記さ
れていることです。つまり二神は淤能碁呂島の上で柱の周りを巡りながら夫婦の契りを
結び国生みする訳ですが、この柱は神話の一伝に拠りますと、それ自体が勃起した陽根
を象徴すると見られる矛であったことになるのです。

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