44 [天と地はどうして分離したのか]
 
 ギリシア神話の中で、ホメロスと並ぶギリシア最古の詩人の一人ヘシオドスの叙事詩
『神統記』に、次のように物語られています。
「世界の初めにまずカオスが生じ、次に大地女神のガイアが生まれた。ガイアは天空ウ
ラノスを生み、その後でこの自分の息子と結婚して、オケアノスを始め、ティタンと呼
ばれる神々の種族を次々に生んだ。クロノスはこのティタンたちの中で、一番最後に生
まれた末弟だったが、狡ズル賢い知恵においては兄弟たちの中で最も勝っていた。
 この後でガイアは、なおウラノスと夫婦関係を続けて、まずキュクロプスと呼ばれる、
三人兄弟の一つ眼の巨人たちを生み、次にはこれも三人兄弟の、百本の腕と五十の頭を
持つ怪力の巨人たちを生んだ。ウラノスはこれらの奇怪な姿をした息子立ちを憎んで、
彼等が生まれると直ぐに、また大地の胎内に戻してしまい、光明界に現れることを許さ
なかった。ガイアは、ウラノスが自分の腹を痛めた子供たちに対する冷酷な仕打ちを深
く恨んだ。また彼女は、腹一杯に重荷を詰め込まれて、苦しくてならなかった。
 
 そこで彼女は、非道な夫に対して復讐するために、まず鋼鉄を生じさせ、次のそれで
以て巨大な鎌を作った。その上で彼女は子供たちを呼び集め、この鎌を使い彼女の謀り
事に従って、父親を懲らしめるよう彼等の要求した。すると他の子供たち全て怖オじ気付
き後シリ込みした中にあって、ただクロノスだけが、進んでその役を引き受けようと申し
出た。ガイアは喜んで、彼に大鎌を与え、計略をすっかり打ち明けて、待ち伏せの場所
に隠れさせておいた。
 やがてウラノスが、何時ものようにガイアと夫婦の交わりをしようと遣って来て、情
欲を燃やしながら、ガイアの上にすっぽりと覆い被さった。その途端にクロノスは隙か
さず、待ち伏せの場所から左手を伸ばして父親の陽根を掴み、右手の持った鎌でそれを
刈り取って、肩越しに海中へ投げ捨てた。ウラノスはこのようにして。自分の息子によ
って去勢され、ガイアとの夫婦仲を裂かれた上に、それまで彼が持っていた世界の支配
権まで、クロノスに奪われたのである」
 
 この神話はこのように、原初には夫婦であった天と地が、一連の子の神々を生み出し
た後で、子供たちの中の一柱の神によって仲を引き裂かれ、分離させられた次第を物語
っています。ところでこのように、天と地が太古には結合していたか、又は現在よりは
ずっと近い距離にあったのが、ある事件によって引き離され、今日見られるような広大
な空間に隔てられることになったと云う内容の神話は、実は世界の方々にあります。
 
〈伊邪那岐命と伊邪那美命は天父・天母か〉
 
 世界にある「天地分離型」神話の多くは、前述のギリシア神話よりずっと簡単な内容
を持ちます。台湾やフィリピンには、原初には天が低過ぎて、人々は不自由を感じてい
たが、ある日一人の女が、粟又は米を搗いているうちに、杵キネで天を突き、高い処に追
い遣ったと云う話があります。またタヒチの神話に拠りますと、大昔には巨大な烏賊イカ
が海底に居て、脚で天を引き付けていたため、天と地が相接していたが、ある時英雄神
のマウィが、海に潜りこの烏賊の脚を切ったので、天が地面から分離したと云います。
 このような「天地分離型」の神話は、わが国にも古くから存在したらしい。『播磨風
土記』には託賀タカと云う地名の由来を説明する話として、次のような伝説が紹介されて
います。
「昔一人の巨人が居り、背が高くて天につかえるために、何時も身を屈めて歩いていた。
彼が方々歩き回った末にこの土地に来ると、『他の土地では天が低いために、何時も身
を屈めて行かねばならなかったが、この土地は天が高いので背を延ばして行ける。高い
なあ』と言った。だからここを、託賀の郡コオリと云うのである」
 この話には、文字通りに読みますと、天と地の分離の趣旨は見出されません。しかし
これと良く似た、大男が天と地を分離させたと云う話は、「アマンチューが、昔、天と
地が近過ぎ、人間たちが蛙にように這って歩かねばならなかったのを憐れみ、天を押し
上げて高くして遣った」と云う沖縄の話にも見られ、また熊本にも、これと良く似た次
のような話があります。
「昔、天は大地の上に低く垂れていた。ある日のこと、アマンシャグマと云う大男が昼
寝をしていたが、目が覚めて急に立ち上がると、頭が天空に激しくぶつかった。そこで
アマンシャグマは腹を立てて、手に持っていた大きな棒で天を突き上げ、大地から遠く
へ引き離した」
 
 ギリシア神話と特に良く似た天地分離譚は、ニュージーランドのマオリ族の神話に見
出されます。
「原初には天神ランギと大地女神パパとは、夫婦として互いにくっ付き合っていた。彼
等の間には、多くの子供たちが生まれたが、彼等は直立することも出来ずに居た。そこ
で彼等は相談して、ランギを上に押し上げパパと引き離すことにした。何人かの神が失
敗した後で、最後に森の神タネが、天と地を結び合わせていた筋を切断して、ランギを
空中高く押し上げた。ランギとパパは、共に別離を悲しんで、悲痛な呻き声を上げた。
この時からランギの涙は雨となって大地に降り注ぎ、パパからは天に向かって、悲しみ
の霧が立ち昇るようになった」
 伊邪那岐命イザナギノミコトと伊邪那美命イザナミノミコトにそれぞれ、天父神と地母神の性格が認
められると主張する学者たちの中には、火の神の誕生によってこの両者が、上界と下界
に引き離されたと云う日本神話に、このような「天地分離型」神話の形跡が認められる
と考える人々もあります。

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