42a [世界は卵から誕生した]
 
〈海底から釣り上げられた陸地〉
 
 原初の海洋の底から、陸地が得られると云う遣り方で、人間の住む世界が創造された
と云う話は、ポリネシアを中心にして、ミクロネシアやメラネシアなど、南太平洋の島
々の原住民たちの間でも語られています。この「南洋」の創造神話では、陸地は、太古
に神又は英雄によって、海の底から、魚を釣るようにして釣り上げられたことになって
います。
 マルケサス島の神話によりますと、「世界の初めにはただ海だけがあったが、その上
にカヌーに乗って浮かんでいたティキ神が、海底から陸地を釣り上げた」
 またニウェ島には、「太古には一面の大洋があり、その上にはただ暗礁があるだけだ
ったが、そこへ南方から一柱の神が帆舟に乗って遣って来て、海底から白い岩を釣り上
げニウェ島を造った」という神話があります。
 
 この「島釣り型」の創造神話は、ニュージーランドのマリオ族の間では、英雄神マウ
ィを主人公とする、次のような物語となっています。
「マウィには多くの兄たちがあり、また一人の祖母があった。この祖母は、マウィの兄
たちが毎日彼女の所に運ぶ食物によって養われていた。
 ところが、ある日のことマウィの兄たちはこの務めを怠り、祖母の所に持って行く筈
の食物を、自分たちで食べてしまった。それを見たマウィが、兄たちに代わって食物を
持ち、祖母の所へ行って見ると、彼女は重病に罹り、身体の半分は死んでしまっていた。
マウィは瀕死の祖母の下顎の骨を毟ムシり取り、それで釣り針を作って家へ持ち返った。
 翌日、兄たちは何時ものようにマウィだけを家に残して、海に魚釣りに出掛けようと
しました。だがマウィは、祖母の下顎の骨から作った例の釣針を隠し持ってカヌーの中
に潜んでいて、舟が沖へ出たところで姿を現した。兄たちはかんかんに怒って、最初は
カヌーをまた岸に戻しマウィを家に帰そうとした。しかし結局、マウィに釣針と餌を与
えなければ魚は捕れず、自分たちの邪魔も出来まいと考え、マウィのことは放ったらか
して置いて、漁に取り掛かった。
 
 マウィは自分の鼻を打って鼻血を出し、それを餌の代わりに例の釣針に付けて、糸を
海中に垂らした。すると直に手応えが感じられ、糸を引き上げて見ると、大魚の形をし
た陸地が釣り上げられた。マウィは兄たちに、この魚に危害を加えてはならぬと言い置
いて、その場から立ち去った。しかし、兄たちは彼の警告を無視し、魚にナイフで切り
付けたので、魚はカヌーを転覆させ、マウィの兄たちは一人残らず溺れ死んた。陸地に
凸凹があるのは、マウィの兄たちが付けた切り傷の痕である」
 わが国の神話では、「最初の陸地淤能碁呂島オノゴロジマは、伊邪那岐命イザナギノミコトが原
初の海洋中に矛ホコを挿し入れ、海水を激しく撹拌カクハンして引き上げたときに、矛の先か
ら滴り落ちた潮水が凝り固まって出来た」と物語られています。日本神話の研究者たち
の多くは、この淤能碁呂島発生の話を、右に例を挙げたような「南洋」の島釣り神話の、
一変種であろうと考えて来ました。
 
〈陸地は海上に浮遊する魚だった〉
 
 ポリネシアにはまた、陸地が最初は、海上を浮遊する魚であったと云う話もあります。
タヒチの次の神話がその一例です。
「タヒチ島はかつては、魚のように海面を浮かび漂っていた。タヒチの人々は、自分た
ちが乗っているこの魚の安定性に不安を抱き、これを固定するために、魚の腱ケンを断ち
切ることにした。まず数人の武人たちが、石の手斧で魚の陸地に滅多切りに切り付けた
が、何の効果もなかった。しかし、終いにタファイと云う名の武人が、オーストラル諸
島のツプアイから持ち帰った石斧を用いて、遂に魚の陸地の腱を切断することに成功し、
その結果魚は、漸く固定した島になった。タラヴォラの地峡は、タファイがこのとき魚
の喉に与えた切り傷の痕である」
 
 このように、陸地が最初は海上に浮遊する魚であったと云う考え方は、日本神話の中
にも見出すことが出来ます。『日本書紀』には伊弉諾尊イザナギノミコトと伊弉冉尊イザナミノミコト
によって国土が創造される前の、下界の有様が次のように云われています。
「開闢カイビャクの初ハジメに、洲壌クニの浮き漂へるは、譬へばなほ游アソぶ魚の水の上に浮か
べるがごときなりき」
 つまり陸地は初め、遊泳する魚のように、海上に浮かび漂っていたと云うのです。こ
の同じ状態は、『古事記』では、「国稚ワカく、浮かべる脂の如くして水母クラゲなす漂へ
る時」と形容され、ここでは原初の陸地の状態が、海に浮かぶ海月クラゲに例えられてい
ます。
 
 魚を捕らえるのと同じ仕方で陸地を得ると云う、ポリネシアの神話と共通する発想は、
『出雲風土記』に物語られた有名な「国引き」の神話にも見られます。
「八束水臣津野命ヤツカミヅオミツノミコトはある時、出雲の国が小さ過ぎると言って、童女の胸の
ように広く平たな鋤スキを執り、それでもって大魚の鰓エラを突き分けるようにして新羅の
三埼ミサキを切り離した。そしてこの陸地に三本縒ヨりの綱を懸け、「国来い、国来い」と
叫びながら、引いて来て繋いだのが、現在の杵築キヅキの御崎である。命ミコトはこのような
国引きを何度か繰り返して、出雲の国を広げた」
 
 日本神話ではまた、この国土を構成する島々は、淤能碁呂島オノゴロジマの上で伊邪那岐
命イザナギノミコトと夫婦の交わりをした伊邪那美命イザナミノミコトによって、母親が子を生むのと
同じ仕方で、次々に生み出されたと物語られています。これとよく似た「島生み型」の
陸地起源譚も、ポリネシアにあります。例えばハワイの神話に拠りますと、「女神パパ
は天の神のワケアと夫婦になって、先ずハワイ島とマウイ島を生んだ。その後ワケアは、
カウラと云う女神とも交わり、これにラナイ島を生ませ、またヒナ女神との間にモロカ
イ島を儲けた。これを知ったパパは、腹癒ハライセに自分もルア神と通じてオアフ島を生ん
だ。その後でワケアとパパは結局また仲直りして、カウアイ、ニハウなど残りの島々を
生んだ」
 このように、わが国の陸地起源神話はこれまで専門家によって、全体として南洋、特
にポリネシアの神話と似ていることを注目して来ました。

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